2.転校生は悪夢を知っている
チャイムが鳴り、担任の葛西先生が入ってきたとき、生徒たちはすでに着席していた。偏差値がそれなりに高い我が校は、不良と呼ばれるほど素行が悪い者は少ないが、活発的な生徒などは先生が注意するまで席を立っていることが多い。
ゆえに、先生が来る前から全員席についているというのは珍しいことだ。普段は見られない光景に葛西先生も嬉しそうな反面、眼鏡をしきりに気にしてるあたり、どこか居心地悪そうに見える。
「えー、今日は全員席についてますね。本当に毎日こうならいいんですけどねぇ」
「だったら毎日転校生を連れてくればいいと思います」
「いや、毎日来たら流石に飽きるやろ。教室入りきらんし」
数名の生徒がくすっとした。反対に先生の顔が苦々しくなる。
「……早川くん、高崎くん、あなたたちは相変わらずですね。他の先生たちも色々と言ってましたよ。教職者として言いたくありませんが、職員室で『1年A組のあの子たち』って言ったら、すぐあなたたちのことだって通じるんですから」
誠に遺憾である。
「先生、高崎ネリマくんはともかく、僕はそんな変な目で見られるようなおかしな子じゃありません。失礼です」
「だからネリマって言うな。てか、俺はともかくってなんやねん、俺のどこがおかしいねん」
「喋り方」
「ただの関西弁やないか。ええ加減なこと言っとったらどつくで自分」
「え、自分をどつく? 自傷行為なんてやめなよ」
「その自分ちゃうわ。おのれを、どつくゆーとんねん」
「え、おのれをどつく? だから自傷行為なんてやめなよ」
「その己ちゃうわ。どつくぞワレ」
「え、我をどつーー」
「はいはいはいはい、君たち、いいかげんにしてください」
静止の声がかかったので、仕方がなく僕たちは席についた。先生は頭を押さえていた。
「せっかく今日は全員行儀が良いと思っていたのに台無しです。えー、知っての通り、今日はこのクラスに新しい生徒が編入してきます。早速呼びたいと思います。進行が遅れて余計に待たせていますので、一部の生徒は後で謝るように」
ちらりと隣を見ると、友人が眉をひそめてこちらの方を見ていた。お前のせいだぞ、と言いたげである。仕方がないので、僕も逆隣に座っている短髪女子の本田さんに、お前のせいだぞ、とにらみつけてみる。
にらまれた本田さんは、え、わたし関係ないよね!?、と言いたげに困惑している。
「すみません、大変お待たせいたしました。それではどうぞ」
先生は廊下にいるであろう転校生に向かってそう言うと、窓際へ離れた。教室の緊張感が高まる。
扉は静かに開かれた。少女が入ってきた。周りがわずかに沸き立つ。
低い背丈。長い黒髪。濃紺の制服。華奢な体型。膝丈のスカート。真っ白な靴下。6月なのに暑くないのだろうか。
少女は教壇の隣まで歩み寄ると、こちらを向き全貌を表した。白い肌。整った顔立ち。半分閉じられた瞳。眠たそう。
すごく可愛らしい女の子であった。遠目からはそう見えた。
他の生徒たちも少女に見とれているようで、あちこちでざわめきが起こる。両隣からは「ちっちゃいなぁ。歩いてたらうっかり踏むんとちゃうか」「あー、長い髪いいなぁ。わたしも癖毛じゃなかったらなぁ……」という高崎と本田さんのつぶやきがそれぞれ聞こえた。
改めて教壇の方へ意識を向けると、彼女はこちらへ背を向けて、のんびりと黒板に自分の名前を書いているところだった。そして、書き終えたのかチョークを置いて離れた。
黒板には縦に「皇 飛鳥」と書かれていた。
スメラギアスカ。ずいぶん格式高そうな名前だ。周りからも「オウさん? コウさん? ノウさん?」「馬鹿、あれはスメラギっていうんだよ」「スメラギさんか、ちょっと言いにくいなー」「すごい名前」と口々に言い合っている。
そして、少女はそんな周囲を気にした様子もなく、小さく咳払いを一つする。ピタッと皆が黙ると、ぼんやりとした目で静かにこう言った。
「……今日からこの学校にきます。シラタマアスカです。……よろしくお願いします」
ん?……ん? シラタマ? 僕を含めて教室中の人達は彼女の言葉にリアクションが出来ずとまどった。
僕は改めて黒板を見た。そして、良く見ると、「皇」の「王」が「玉」であることに気づいた。
白玉飛鳥。これが彼女の本名であった。微妙にざわつく教室の中で、「美味しそうな名前やなー」という高崎の感想がやけに響いた。
変わった名字の読み間違いという謎のハプニングによって、自己紹介そのものはなんともいえない結果に終わったが、それ以降、転校生は周りの生徒たちから引っ張りだこであった。
特に女子からの人気が凄まじく、休み時間の度に彼女の席である左端最後部の席には人群れが出来、色々と質問やら雑談やら持ちかけられていた。
白玉という一時は混乱を巻き起こした名字も、女子からは可愛らしいと好評だ。「白玉ちゃん」や「タマちゃん」と呼びながらキャーキャー叫ぶ姿は、もはや愛玩動物に接するような態度で、ある種人権を無視していると思える。
ただ白玉飛鳥は物静かで消極的な女の子だった。相変わらず眠たそうな表情で、周りを囲む女子たちに自分から話しかけることはなく、ほとんど相手にされるがままとなっていた。
発言も、ある子にどこから来たのと聞かれたら「家から来たの」、違う子に好きな動物を聞かれたら「パンダ以外は好きなの」、本田さんに使っているシャンプーとトリートメントを聞かれたら「シーエムのやつなの」といった具合に、質問が来たら淡々とそっけなく答えているだけであった。
そのためか、休み時間を迎えるたびに、白玉ちゃん可愛い、と黄色い声をあげていた女子生徒がだんだんと苦笑いするようになっている気がした。
「朝は転校生とか興味なさそうやったのに、自分めっちゃみてるやん」
教室の後ろの出口前から彼女を何気なく眺めていた僕に高崎がそう声をかけてきた。
今は昼休み中で、さすがに違う子と一緒に時間を共有したいためか、もしくはあらかた聞きたいことが尽きたためか、はたまた白玉飛鳥の不思議なキャラクターに疲れてきたためか、彼女の周りには3、4名の生徒しかいなかった。
「まあ、ちょっと気になってね。高崎は朝はあんなに転校生楽しみにしていたのにあまり食いついてないな、何でだ?」
「いや、可愛い子やとは思うけど、出来ればうちの柔道部に誘えそうな奴が欲しかったんや。あの子はさすがに無理やろ」
転校生をゲームの仲間と例えていたが、本当に戦闘要員が欲しかったのか。
高崎とくだらない話をしながら、何気なく転校生の様子が気になって視線を送ると、向こうもこちらを見ていた。思わず言葉を失う。
白玉飛鳥と目があってしまっている。しかも、さっきまで眠たそうだった目は大きく見開かれ、顔も引き締まっているように見える。怖い。こんな彼女を見たのは今日が初めてだ。そもそも今日初めて会ったのだが。
とっさに視線をそらす。周りの女子たちもいぶかしげにこちらを見ていた。それはいつものことなので気にしない。
「おい、あの子すっごい目でこっち見てるで。親の仇目の前にしてるみたいやで。お前とりあえず謝ったらどうや」
さっきまで笑っていた高崎も彼女の豹変に気づき、慌てたようにぼくにそう耳打ちする。
「いや、確かに彼女のことを話していたけど、特に彼女に謝らないといけないようなこと言った覚えはないよね」
「そんなんこっちも知らんよ。もしかしたら、ちょっとしたことが逆鱗に触れたんかもしれへんし、陰口そのものが嫌やったんとちゃうんか。てか、今朝のやつもまだ謝ってへんやん。まずはそれ謝ろうや。俺も一緒に頭下げたるから、な?」
ああ、そうだ、忘れていた。そもそも、彼女の周りを観察していたのは、朝のことを謝るタイミングを測るためだった。
よし、謝ろう。僕たちの何が彼女の気にさわったのかはしらないが、こちらに非があるのかもしれないということは否めない。それに、高崎も一緒に謝ってくれると言うのだから心強い。元々2人とも謝らないといけなかった気がしないでもないが、今はただ謝罪することだけを考えていた。
そう決意し、また白玉飛鳥の方へ振り向いた矢先だった。
彼女が席から立ち上がってこちらへ歩み寄っていた。女子生徒のかたまりをすり抜け、タマちゃんどうしたの、という背後の呼びかけにも気にした様子がなく、こちらとの距離を詰めてくる。頭の中でサメ映画の音楽が流れる。
そして、とうとう彼女はこちらへたどり着いた。正面から僕を見上げている。僕は彼女へ視線を合わせられず、つい顔を右へ向けた。
視線を反らした先、少し離れたところに、一緒に謝るといっていた高崎を見つけた。苦笑いで、すまん、ちょっと無理、と口パクで言いながら、手を顔の前に置いている。裏切られた。
視線を正面へ戻すと、彼女がこちらを穴があくほど見つめていた。とりあえず何か言うんだ。
そして、僕は意を決し、彼女の目を見すえて堂々と言った。
「ちょっとトイレ行ってきます」
僕は背後の出口へ向かった。謝ろうとはとても思ったが、こればかりは生理現象だから仕方がない。僕は扉を開け、外へ一歩踏み出した。そのときだった。
「最近眠れないの?」
僕は思わず立ち止まり、振り向いた。やっぱりなの、と相手の顔がわずかにほころんだ気がした。教室の生徒たちは、彼女が初めて自分から積極的に話しかけていることに驚きを隠せず、騒然としている。白玉飛鳥は続けて言った。
「怖いものを見ているの?」
僕はいよいよ凍りついた。彼女はどこまで知っているのだろうか。先ほどとは全く別の恐怖を感じた。このまま僕の全てが彼女の口からあらわになるやもしれないとさえ思えた。
どうしてそんなことを知っているのか聞きたかったが、上手く言葉にできなかった。すると、彼女は、ごめんなさい、と突然頭を下げた。
「明日まで我慢してほしいの。明日の夜には必ず回収するの」
僕はその言葉の意味が何一つ理解できずにいると、白玉飛鳥はまたしてもこちらへ寄ってきた。しかし、不思議と先ほどのような威圧感は感じなかった。
彼女は僕のそばにまで来ると、小さな声で僕だけに聞かせるように言った。
「あなたの悪夢はわたしが食べるの」
その後、彼女の目がふっと閉じられ、半分だけ開いた。眠たそうな表情でそのまま自分の席へと戻っていった。周りがなにやら騒いでいるが、僕だけ世界から切り離されたように何も入ってこなかった。
僕はただぼんやりと下を見ていたが、ふと下半身にぞくっとした感覚がきて、我にかえった。そして、とりあえず急いでトイレへ駆け込んだ。