1.悪夢
夢を見た。
そこは石造りの薄暗い部屋で、僕は裸で木製の十字架にしばりつけられていた。
僕と十字架をつないでいるのは有刺鉄線のようで、巻き付けられている手首や足首や胴体には針が刺さり、そこから幾すじかの血が流れ出ている。下を見ると、大きな受け皿が敷いてあり、流血は全てそこにたまっていた。
針が刺さっても痛みはないが、針が体内に埋め込んで残る感覚が気持ち悪い。つい、身じろぎすると、それらは余計に食い込んでなお圧迫感が増した。
なんとか状況を打開しようと辺りを見渡す。
すると、突如目の前が明るくなった。目をこらしながら見ると、誰かがろうそくの刺さった燭台を持ってこちらへ押しつけるように照らしている。
さらによく見ると、少し違和感があったが、それは肉屋のおじさんだった。彼は僕の体に合わせて、燭台を動かしながら隅々まで何やら確認をしている。ふくよかな体型のおじさんが体を動かすたびに、たるんだほほもつられてスライムのようにぷるぷると動いていた。
「ああ、もう血抜きは終わっているようだね」
血抜き? この鉄線は血を抜くためにわざわざ巻いたのであろうか。自分でも確かめると、確かに血痕こそ身体中にべったりとついているが、血の流れそのものは止まっていた。
「こいつは筋肉も脂肪も少ないからさっと炙るだけでもいけるだろう」
そういうと、おじさんはろうそくの火を僕の胸に押し当ててきた。熱さは感じないが、気味が悪い。しかし、有刺鉄線で縛られ身動きが取れない現状ではどうしようもなかった。
しばらく胸の産毛や皮膚をちりちりと焼かれ、何やら餅のような焼き目ができた頃、ようやく肉屋のおじさんはろうそくを退ける。「良いにおいだね」と彼はとろけそうに言ったが、においなど分からなかった。
「じゃあ、そろそろ解体に入ろうか」
そういい、肉屋が懐から取り出したのは全長数十センチの鋭くとがれた包丁であった。同時に僕は先ほど感じていた違和感にようやく気がついた。
彼には目が無かった。本来目のある部分にはぽっかりと2つ穴が空いているだけである。
ふふふ、と肉屋が笑う。包丁を持った腕をこちらから少し遠のぞけたあと、じわりじわりとその距離を詰めてきた。銀色の刃が僕を突き刺すために向かってくる。
これはやばい。今さらそう感じた。
なんとか言葉で制止させようとしたが、息がのどにつまって声がうんともすんとも出ない。無我夢中で叫ぼうとしているうちに刃との距離が差し迫る。
とうとう本気で怖くなり、来るな、来るな、来るな、来るなと何度も思い続けるが、その願いも叶いそうになく。
そして、包丁の切っ先は焼けた胸の中心へ触れて────
「転校生?」
今日何度目かのあくびを噛み殺しそう聞くと、隣席の高崎練馬は満面の笑みを浮かべた。少し癪にさわった。
「せやで。うちのクラスに来るって話やわ。なんや、早川はあんまりテンション上がらへんのか。転校生やで、転校生」
「転校生といっても、別に特別な人間が来ると決まっているわけでもないのに、そんなに騒ぐことないんじゃないか?」
僕は色めき立つ教室を見渡しながら言った。6月のじめじめとした空気の中、よくそこまで騒げるものだ。
「まあ、ゲームとかでも仲間が増えるイベントってわくわくするやん。どんな人来るんやろ、楽しみやなー。あー、今日は転校生のこと以外どうでもいいかもしれんわ」
もし、転校生が微妙な奴だったらどうするのであろうか。知らないうちに容姿のハードルが上がる転校生を哀れだと思った僕は、まだ知らないその人のために、友人の浮かれた気持ちを壊してみることにした。
「ふーん、そんなものなのかな。……ところでネリマ、ちょっといい? 口の中に変なものついてるよ」
「え、うそ、ほんまか? てか、ネリマって言うな。練馬や」
「そんなことはどうでも良いだろ。もうすぐ転校生来るんだぞ。取れるものか確認するから、口を開けてみなよ」
こっちはどうでもええことないんやけどな、ああ、と高崎が口を開けたので、僕は身をかがむように近づいて、さらに口を開くように促す。
途中高崎が何か言ったが、口を大きく開けたまましゃべっていて聞き取れないので、無視した。
「ちょっと口を開けたまま待ってて、僕良いもの持ってるから」
僕はポケットをまさぐり、中に入っている口臭スプレーのふたを外す。
そして、何気なく取りだし、高崎の口内へ一吹き。
形容しがたいうめき声を挙げて、友人は暴れだした。はずみで椅子から転げ落ち、横向きで尻を押さえながら、ばたばたとしだす。幸い、僕らの席は最後尾で背後には誰もいなかったので、他に被害はなさそうだ。
高崎くん、大丈夫?、と心配する母性強い系女子の声と、その他大衆のどよめきと爆笑が教室を包みこむなか、高崎は少し落ち着きを取り戻すと、カッ、カッとせきこみながら立ち上がった。
頭をはたかれた。痛い。
「何すんねん自分! めっちゃスースーするやないか!」
ミントの香り漂う罵声に、僕は頭頂部をさすりながら申し訳なく言った。
「ごめん、その、気になったものだから」
「何がや。口臭か、においがきになったんか。すっと言えや、すっと言ってくれたほうが傷つかんねん」
「ごめん、直接言わずにさりげなく打ち消した方が傷つくことないかなと思ったから」
「傷ついたわ! 心もケツも傷ついたわ!」
ここで母性強い系女子も呆れたらしく、辺りには笑い声だけが残った。
「落ち着きなよ、周りの人間がお前のことを見ている」
「なにお前他人事みたいにゆーとんねん! おのれのせいやないか!」
「わかったから、わかったから。そうだ、転校生、転校生の話をしよう」
「転校生とか、どうっでもええわ!」
高崎、さっきと言ってることが違う。
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