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鉄の女と婿探し

作者: 烏有

 

 私には娘がいる。

 実の親子ではないが、この世の何よりも愛しい存在だ。


「お母様!」


 緩く波打つ、柔らかな金の髪。

 青玉を嵌めこんだような鮮やかで大きな瞳。

 細い首筋は滑らかで白く、ふっくらとした唇は桃色に色付き甘い芳香を放っている。


「おはようございます、お母様!」


 ドレスを揺らして満面の笑みで駆け寄ってくる少女を抱き留めながら、穏やかに微笑む。

 死んだ兄と義姉の忘れ形見は、歳を追うごとに驚くほど美しく成長した。


「お早う、エリゼ」


 朝の挨拶とともに、今日も愛しい娘との一日が始まった。





 私がエリゼを娘として迎えたのは、彼女がまだ三歳のときだ。

 馬車ごと崖から転落して帰らぬ人となった兄夫婦の代わりに、エリゼを育てる決心をした。

 それは私が丁度二十三の誕生日を迎えた頃のこと。今から十一年前の、寒い冬の日であった。


「お母様、今日もお仕事ですか?」


 ――我が愛娘エリゼは、今年で十四になった。


「ああ、議会が長引いてね。寂しい思いをさせてすまない、エリゼ」

「良いんですの、エリゼはお稽古に励んでおりますわ」


 十のときから王宮に勤めていた私は、今では財務長官として国の重役を担っていた。

 伯爵であった父の口添えもあったのだろうが、実力で勝ち取った地位だと自負している。でなければ女の身で、魍魎跋扈する王宮で生き抜くことなど不可能だ。


 どんなときでも隙を見せず、鉄の女と呼ばれながら国に尽くす日々。そんな私にも唯一、心安らげる場所がある。

 愛しい娘が待つ、我が館だ。


 エリゼは義母である私を、本当の母のように慕ってくれた。

 傾国の美女と言われた義姉上の生き写しのように、美しく可憐な少女である。

 また兄の血を受け継いだのだろう、とても賢く聡明な子だ。


「エリゼは優しい子だね。母は嬉しいよ」

「母上と父上の、そしてお母様の娘ですもの」


 実の両親の死も乗り越えて、明るい子に育ってくれたことが何よりの救いだ。

 穏やかな朝食のひとときを共に過ごしながら、愛しい娘との至福の味を楽しんだ。




 さて、そんな順調な親子生活だが、最近大きな悩みがある。


「少々宜しいでしょうか、リデル卿」

「……何かご用だろうか」


 議会の終了と共に、愛想笑いを浮かべた男が手招きをする。

 今日はパパリア男爵か。禿げた小男を無表情に見下ろしながら、内心で大きく溜息を吐いた。


「私の息子がですね、今年で十七になるのですが、いやあこれが中々優秀な息子でして、はい」


 人当りの良い笑顔で、男爵はぺらぺらと舌を回す。


「我が息子ながら、父親以上の器だと思っているのですよ、はい。昨年には騎士団試験にも……」

「多忙なので、ご用がなければ失礼する」

「え?……ああ、申し訳ありません、どうかお待ち下さい」


 要領を得ない息子自慢に痺れを切らして、踵を返そうとする。

 それを慌てたように引き留めて、男爵は「では本題に」とわざとらしい咳払いをした。


「実は我が愚息が、リデル卿のご息女、エリゼ嬢に一目惚れ致しましてね」


 とっておきの秘密を語るように、無意味に声を潜めてこちらを窺う。


「父としては是非とも息子の願いを叶えてやりたいと思いまして、はい」


 ああ、やはり今日もか。

 続く言葉が容易に想像出来た私は、男爵の声を遮るように口を開いた。


「そう言うことなら、まず公式な書面を用意されるのが礼儀だろう。悪いが失礼する」


 凍えるような冷たい眼差しで睨めば、びくりと小太りな身体が跳ね上がる。


「そ、そんな……待って……」


 制止の声も無視して、無慈悲に男爵の横を通り過ぎる。短い足で追い縋ってくるのを振り切って、王宮議事堂を後にした。


「……どうしたものか」


 人気の無い場所で、ぼそりと憂いを漏らす。


 ――我が愛娘エリゼは、今年で十四になった。


 それはつまり、王国の法律で婚姻が許される齢になったと言うことだ。

 いつまでも手元に置いておきたい愛しい娘にも、縁談が舞い込み始めたのである。


「兄上、義姉上、私はどうすべきでしょうか……」


 天を仰ぎながら、答えの無い問いを投げかける。

 認めたくない現実に頭を抱えながら、秘書官の待つ馬車乗り場へと足を進めたのだった。




----




「……エリゼ、話がある。良いだろうか」

「何ですの、お母様?」


 或る日の夕食の席で、私は意を決した表情でフォークを置いた。


「エリゼは……誰か、気になる男性がいるかい?」

「気になる、男性?」


 冷製のミートローフを切り分けながら、エリゼは可愛らしく小首を傾げた。

 ふんわりとした金髪に、桃色のドレス。お姫様のように可憐な娘は、どんな仕草も女らしくて絵になる。

 私のような母の下で、よくそ立派な淑女に育ってくれたと感謝が絶えない。世話係のネル婆や家庭教師のアリア女史にも、同じくらい感謝している。


「何でそんなことをお聞きなさるの?」

「……エリゼももう十四だ。いつかは夫を迎えることになる。もしエリゼにそう言う相手がいるのだったら、母は出来る限りおまえの望みを叶えてやりたい」


 銀の杯に満たされた水を見つめながら、重い口調で意を告げた。


「別に、おりませんわよ」


 しかしエリゼはきょとんとした表情を浮かべた。

 その返事に落胆よりも安堵が勝ってしまうのだから、親馬鹿も良いところだ。


「では、どんな男性が良いとか、希望はあるかい?」

「うーん……今いち良く分かりませんわ」


 顎に手を当ててて思案して見せたが、答えは出なかったらしい。

 どうしたものかと困っていると、エリゼが事も無げに口を開いた。


「そう言うお母様だって、まだ結婚しておられないじゃありませんの。私だってまだまだ先のことですわ」

「な、何を言うんだエリゼ」


 焦る私にふふんと鼻を鳴らして、ミートローフを口に含む。


「母は特殊な例だ。決して真似ようとしてはいけないよ」


 言って聞かせるように首を左右に振る。

 咥内の肉をきちんと咀嚼してから、エリゼは可愛い顔で答え返した。


「私はお母様のように自立した女性になりたいのです」

「……いや、私はただ男性から嫌われているだけなのだよ」


 胸を張るエリゼに、ぼそりと真実を告げる。

 多くの男を蹴落として地位を築いてきただけに、女としての評判は頗る悪い。

 どこか情けなくなりながら視線を落とした。


「まあ、お母様がお認めになる方がいらっしゃったら考えますわ」


 落ち込む私に同情したのか、優しい娘はそう言ってじゃがいものポタージュに口をつけた。


「母の知り合いには、相応しい男はいないのだが」


 政治の中枢に身を置く私の周りには、腹黒く癖のある男しかいない。


「今日のスープ、とっても美味しいわ。後で伝言を頼みましょう」

「……そうだね、ハイン爺も喜ぶだろう」


 そんな母の嘆きを聞き流すように、エリゼは夕食を楽しんでいる。

 夜が更ける中で、蝋燭の灯りが私の煩悶のように揺れ動いていた。




----



 この日、私はひとつの決意を胸に夜の宴へと繰り出していた。


「おお、これはリデル卿ではありませんか」

「貴女が夜会に来られるとは、お珍しいことですな」

「……時間に都合が付いたもので」


 とある貴族の主催した夜会。いつもならばすぐさま断りの返事を書いていた招待状を持って、豪奢な門を潜った。


 色取り取りのドレスに身を包んだ淑女らと、着飾った紳士らがそこかしこで歓談をしている。楽団の弦楽が優雅に響き、貴族の華やかさを象徴するように煌びやかな世界が広がっていた。


(ああ、あれもこれも全て無駄金だ。これだから貴族は浪費の豚などと笑われるのだ)


 無意味で悪趣味な装飾を横目に見ながら、やはり来るのではなかったと苛立ちを強くした。


 己も伯爵家の人間として育った身だが、厳格な父は惰性を嫌う人であった。そんな父を見て育った私は、世の特別階級らの生活振りに嫌悪感を覚えてならない。


 勿論消費が経済を促進させるのは当然のことだ。裕福な者が金を落とさねば下級の者たちが潤わない。

 貴族の贅沢は決して無意味な行為ではない。私も高級官吏として豊かな生活を享受しているのだから。


(それにしても、もう少し頭を使えないものか)


 もっと効率の良い経済の循環を作る為にも、有意義な消費をして欲しいものだ。

 政治家としてこの国の未来を憂いながら、革靴の踵を鳴らして歩みを進めた。



 さて、そんな不平を抱きながらもここに来たのは、偏に娘のためであった。

 世の上流階級の習いに従い、社交の場にてエリゼの婿候補を探そうと奮起したのである。

 勿論エリゼが望まなければ、無理に婚姻を結ばせるつもりはない。


「ねえ、あちら……」

「ああ、財務長官の……」


 とは言え、私はそれなりに浮いているようだ。

 女性はドレスが当たり前の中で、コートとブーツと言う出で立ちの女は私だけだろう。それなりに値の張る仕立ての良いものを着てきたが、あまり意味は無かったらしい。

 元よりこのような場に足を運ぶことなど滅多とないのだ、物珍しそうな視線に晒されるのは仕方のないことだろうが。


 こんな調子で婿候補が見つかるだろうか。壁の花となって年若そうな男性を品定めしていると、不意に右隣から陰が落ちた。


「リデル殿、暫く振りです」

「これは、フレイ軍団長」


 正体は王国軍の第九軍団を率いる軍団長、ウェンダー=フレイであった。

 最近軍団長に就任したばかりの、二十代半ばの若き青年である。しかしその統率力と剣の腕は、王国でも五本の指に入ると噂されている。

 しなやかに鍛えられた肉体に、実直そうな精悍な顔立ちの持ち主だ。夜闇のように濃い黒髪と、切れ長の青い瞳が印象的な、清廉潔白の士である。


「このような場所で貴女をお見かけするとは思いませんでした」

「少々事情がありまして。軍団長閣下もお変わりなく」

「閣下はお止め下さい。まだまだ若輩の身です」


 酷く生真面目に答えるフレイとは、数年前に軍部の裏金問題を追及した際に顔見知りになった。

 反発の多い中で、彼はとても協力的だったのを今でも良く憶えている。

 最近の若者は軽薄な者が多い、などと年寄りのような偏見を持っていた私にとって、フレイ殿は昨今稀に見る好青年だ。


「リデル殿はこう言う騒がしい場所がお嫌いかと思っていました」

「議会も往々にして騒がしい場所です。私とて時勢に疎くては困りますので」

「そうなのですか」


 私の適当な嘘に納得したように頷く。

 相変わらず裏表の無い姿に、彼のような男なら娘の婿でも良いかもしれないと思った。歳は少し離れてしまうが、公人としても私人としても立派な人間であるのは間違いない。

 一応探りは入れておくかと、話の口火を切った。


「そう言えば、フレイ殿はお幾つでしたか」

「二十五になります」


 と言うことはエリゼと一周り違うのか。まあ、それぐらいなら許容範囲だ。


「結婚のご予定はおありなのですか」

「……お恥ずかしながら、ありません」

「これは失礼を申しました」


 少し踏み込んだ質問をすれば、眉根を下げて苦笑を返してくる。

 光明を見出した私は、更に突っ込んだ内容に手を出した。


「フレイ殿ともなれば引く手は数多でしょう。軍団長就任を契機に、身を固められてはいかがかと」

「仰る通りです……父にも常々そのように言われています」


 やや表情を硬くして、フレイは目蓋を伏せた。

 どこの親も子供の将来は心配なのだと、彼の父君に同感してしまう。

 この様子なら、現在めぼしい相手はいないと見て良いだろう。家格の問題などは後回しにして、エリゼに紹介してみるのも良いかも知れない。

 第一の候補が見つかったことに安堵していた私に、フレイがふと顔を向ける。


「リデル殿は、どうしてご結婚されないのですか?」


 唐突に己に返って来た問いに、少し面食らってしまう。

 皮肉ともとれるが、フレイの誠実な顔はただ素直な疑問を向けただけのようである。


「既に娘のいる身でありますから」


 困惑を無表情の下に隠して、当たり障りのない返答を返した。


「ですが法的には貴女は未婚扱いです。婚姻の自由は認められています」


 糞真面目にそんなことを言う彼に、何だか気恥ずかしさが込み上げてくる。この場でも酷く浮いているこの年増に向かって、何とも真っ直ぐな若者だ。


「私を妻にしたいと言う男など、余程の奇人でしょう」


 要するにモテないのだ。これ以上言わせないで欲しい。

 そんな気配を察したのか、フレイは複雑そうな顔をして押し黙った。


「では佳い夜を」

「……はい、リデル殿も」


 気まずい空気になる前にさっと礼をして、フレイの横を通り過ぎる。

 失言だと後悔しているのだろうか、何か言いたげな様子だった。



「おお、リデル卿!」

「いやあこれは驚いた!」


 その後も見知った顔に何度か出くわしたが、皆一様に私の存在に驚きの表情を浮かべるばかりであった。




----




 あの晩は、フレイ以上の候補は見つからなかった。

 その後も何度か適当な夜会に顔を出してみたが、思うような成果は上がらない。

 可愛い娘の婿ともなれば、審査が厳しくなってしまうのは致し方無いのだ。

 そう己を納得させながら、次はどの宴に参加しようか考えていた。


「やあやあ、長官サマ。今日も葬式みたいな恰好に陰気なお顔だねえ」


 次の予算会議に向けて、各方面との折衝に王宮内を回っていたとき。道化のようなおどけた身振りで、着飾った男が進路を塞いだ。


「何かご用か、楽士殿」

「うふふ、そんな顔しちゃって、俺と会えて嬉しい癖に」


 誰がだ。その口を今すぐ縫い付けてやろうか。

 女のように艶やかで長い赤髪を緩く束ねた男は、陽気な声で流し目を寄越す。手に抱えた異国の弦楽器をシャランとかき鳴らして、蠱惑的な笑みを浮かべた。


 宮廷楽士のジーマ=カリエッタ。

 弱冠十七歳にして古今東西の風雅をほしいままにする若者だ。

 楽器を弾かせても詩を詠ませても、舞を躍らせても一流と聞く。

 その人気は絶大で、こうして王宮を自由に出入りすることが認められている。芸能だけでなく、そのどこか異国的で妖艶な容姿も貴婦人らから大いに評判らしい。


「悪いが急いでいる、失礼」

「ああ、長官サマだけだよ。この俺を有象無象のように扱うのは」


 大仰な仕草で天に向かって嘆いて見せる。

 長年王宮に出仕している私も、勿論カリエッタと面識があった。

 しかしその飄々とした為人がどうにも苦手で、あまり良い印象は持っていない。

 そんな私を揶揄って楽しんでいるのだろう、余計に絡まれることが多くなってしまった。


「聞いたよ、アンタが最近男漁りに精を出してるって」

「……は?」


 すらりとした長い指をこちらに向けて、にやりと口の端を吊り上げる。


「今まで毛嫌いしていた夜会に、連日参加しているらしいじゃないか」


 到頭男が恋しくなったのかな。

 馬鹿にするように厭らしい笑みで、カリエッタは囁いた。


 まさか、そんな噂が流れているとは。

 何という不名誉な誤解なのだろう。

 いやしかし、常識的に考えれば仕方がないのかもしれない。

 三十四にもなって独身の、嫌われ者の女長官が夜会になど行けば、男目当てと邪推されるのも無理はない。


「私がどこで何をしようと、楽士殿には関係ないこと。詮索は無用だ」


 口さがない衆人の噂に辟易しながら、無表情のままカリエッタに言い返した。

 少しの動揺も見せない私に、美しい楽士は不愉快そうに眉を寄せる。


「じゃあ本当に、男が欲しくて夜遊びに興じていたわけだ」

「悪いが足を止めている時間が惜しい。失礼する」


 娘の婿探しをしていたと言うことは出来なかった。

 我が娘エリゼは既に多くの男から狙われている、美少女なのだから。少しでも周囲に知れてしまえば、既成事実などと馬鹿げたこと考える輩が現れないとも限らない。

 娘の安全を第一に考えて、己にかかる悪評を弁明することはしなかった。


「……ふうん、がっかりだよ」


 擦れ違い様にカリエッタがそう呟く。

 その声は享楽的な男には珍しく、沈着として無感情な響きであった。


「相変わらず良く分からない男だ」


 あんな不実な男は、死んでもエリゼの婿には選ばない。

 決意を胸に、ひとりの母から財務長官へと頭を切り替えた。




----




「もう、そう言うことならどうしてこの叔母を頼らなかったのですか」

「申し訳ございません、叔母上」


 この日、私は王都から離れて叔母の元を訪ねていた。

 年齢の割に童顔の叔母は、少女のように頬を膨らませていた。


「まあ確かに、エリゼはびっくりするくらい可愛い子ですもの。貴女が慎重になるのも無理はないわ、シルベーゼ」

「では力をお貸し頂けますか、叔母上」

「ええ、もちろんです。私にお任せなさい」

「有難うございます、どうか宜しくお願いします」


 胸を張って頷く叔母に深く頭を下げて、感謝の念を伝えた。



 あれから数日、単独での婿探しに限界を覚えた私は、信頼の置ける叔母に協力を要請することにした。

 今のところフレイ以外に良い候補は見つかっていない。


「今度お友達に探りを入れてきてあげましょう」


 エリゼに少しでも多くの選択肢をと、社交界に顔の広い叔母を頼ったのだ。

 快諾してくれた叔母に重ねて感謝を告げて、安堵の溜息を漏らした。


「それにしても貴女はどうなのですか、シルベーゼ」

「どう、と仰いますと」

「まさか死ぬまで独り身でいる気じゃないのでしょう?」

「……私の話は良いではありませんか」


 唐突に向けられた話題にさっと視線を逸らして、カップの紅茶に口を付ける。

 そんな姪に憤慨するように、叔母は声を荒らげた。


「まさか本当に未婚を貫くつもりなの?」

「私にはエリゼがいてくれれば良いのです」


 夫を持たなくても生きていけるだけの稼ぎはある。国に尽くし、娘を愛しながら生を全うするのが私の理想なのだ。いつかエリゼが嫁いでしまったとしても、陰から幸せを願って生きていければ良い。


 叔母は呆れて物も言えないとばかりに肩を落とす。

 すると思い立ったように顔を上げた。


「そうだわ、この際貴女の結婚相手も見付けてあげましょう!」

「結構です、お止め下さい」


 何と良い案でしょうか。

 そう言ってうきうきと席を立つ叔母の背中を慌てて追いかける。

 その後長い時間をかけて、思い留まるように諭し続けたのだった。




 ----




「さあ、行きますよシルベーゼ」

「……はい、叔母上」


 王国でも一二を争う大公爵の、盛大な誕生会の会場。各地から多くの知名人が招かれた、絢爛豪華な舞踏会である。


「全く、どうしてそんな格好で来たのです?」

「私がドレスなど着た方が、悲惨なことになります」

「もう、仕方の無い子だこと」


 叔母のお小言を聞き流しながら、馬車を降りる。場違いさを拭えないまま、叔母に手招かれて会場へと足を踏み入れた。




「では私は皆様から情報を仕入れてきますから。貴女も偶にはこう言う場を楽しみなさいな」


 若い頃は社交界の花形として名を馳せた美女は、そう言って紳士淑女らの輪に溶け込んでいった。

 行動の早い叔母は、あれからすぐに今回の宴を紹介してくれた。今までの夜会とは比べものにならない、大規模なものだ。

 これならエリゼの婿候補も見つかるかもしれない。叔母の審美眼を信頼して、目立たないように会場の隅で彼女の成果を待っていた。


「……リデル殿?」


 そうして喧騒を避けるように佇んでいた私に、いつかのように声をかける男がいた。


「フレイ殿」


 見上げればすらりとした長身の軍団長が、驚いたようにこちらを見つめていた。

 奇遇なこともあるものだ。そう感心して挨拶を交わした。


「リデル殿は、お一人で?」

「叔母の付き添いで参りました」

「そうですか、出来ればご挨拶したいですが」

「今は歓談を楽しんでいるようなので、後ほど伝えておきましょう」

「有難うございます」


 胸の勲章を輝かせて、実直な美丈夫は凛とした装いで人目を惹いていた。

 ああ、やはり良い青年だ。

 あれ以来多くの男を観察したが、フレイ以上の好人物は見つかっていない。


(この機を逃すのは惜しいだろう)


 叔母の進捗状況はまだ把握していないが、この偶然の出会いは好機である。

 幸いなことに、既にお互い面識がある。


「フレイ殿、少々ご相談したいことが」

「私に、ですか?」


 意を決して、フレイをバルコニーへと誘った。




 夜風が心地良く頬を撫でる月下のもと。

 広いバルコニーの手摺の前で、フレイと私は対面していた。

 喧騒は遠く、風に乗って演奏が届くだけであった。


「急にこのようなことを申し上げるのは、失礼だと承知しています」


 人気のないのを確認してからゆっくりと口火を切る。

 神妙な口調の私に、フレイも真剣な眼差しでこちらを見下ろしていた。


「フレイ殿は私が知る中で最も誠実な、善徳の士です。五年前も貴方だけは私の方針に協力して下さった。あのときから私は、貴方をとても尊敬しています」

「……そんな、リデル殿は正しい行いをされたのです、私はそれに賛同しただけのこと」


 脈絡の無い賛辞に、フレイは照れたように謙遜した。


「もしフレイ殿さえ良ければ、なのですが」

「何でしょうか」


 時期尚早かもしれない。そんな不安を胸に瞼を伏せる。

 もう一度周囲の気配を確認してから、再びフレイを見上げた。

 じっと見つめれば、彼の青い瞳が一瞬ゆらりと揺らめく。

 覚悟を決めて、私は声を発した。


「我が娘に会っては頂けないでしょうか」

「……は?」


 思い切って告げた言葉に、フレイは大きく瞠目して驚愕の声をあげた。

 直後に沈黙が二人の間に満ちる。


「いや、我が娘は親の私から見ても器量も良く可憐な娘でして、フレイ殿にも気に入って頂けるかと……」


 やはり急すぎただろうか、私としたことが計画性の無いことをした。

 そう焦っていつかのパパリア男爵のような言葉を紡いだ。


「まずは一度、お会い頂いてから今後のことを……?」


 言い淀みながら視線を右に左にと彷徨わせる。

 しかしフレイは硬直したように反応を見せない。


「フレイ殿?気分を害されたなら謝罪を……」


 無言のフレイを窺うように一歩距離を詰め、顔を寄せた。

 しかしその瞬間、静寂を打ち消すようにシャランと弦を弾く音が鳴り響く。


「本当に男漁ってたんだ」


 弾かれたように振り返れば、派手な身なりの男が宵闇の下で手摺に悠然と腰掛けていた。


「……楽士殿」


 夜が良く似合う妖艶な楽士カリエッタは、いつもの道化じみた笑みではなく、何故だか酷く苛立った顔でこちらを睨み付けていた。

 大事な場面でこんな男と出くわしてしまうとは。

 己の不運に思わず舌打ちをして、射殺すように双眸を細めた。


「今は大事な話をしている最中なので、席を外して頂きたい」

「大事な話って何かなあ。こんな場所に男連れ込んでする話ってさァ?」


 身軽にひょいと手摺から飛び降り、ツカツカと私の眼前まで歩み寄ってくる。


「貴殿には関係無い」

「年甲斐もなく男遊びなんかしちゃって……恥ずかしくないの?」


 己の出せる最も冷徹な声音で、美しい青年を睥睨した。

 しかしカリエッタは私以上に強い口調で噛み付いてくる。


「貴殿がどんな邪推をしようと構わないが、彼の名誉を穢すような侮辱は看過出来ない」

「リデル殿、私のことは気になさらず」

「へえ、()ねえ……」


 私の後ろのフレイを睨め付けるように見上げる。

 値踏みするように視線で舐め回した後、カリエッタは嘲笑を口元に刻んだ。


「こう言う馬鹿真面目の優等生くんが好みなんだ?」

「……口を慎まなければこれ以上は容赦しない」

「そんなに怒っちゃって。なに、本気で入れ込んでるの?」


 娘婿候補であり優れた軍人であるフレイを侮辱されて、今にも緒が切れそうになる。

 しかしどうしてこの男はここまで絡んでくるのだろうか。いつもなら私以外の人間に、これほど敵愾心を向けることはないのに。

 今日はどこか様子が可笑しい。ひと目で機嫌が悪いのが分かる。

 フレイを庇う私を見て、何故かカリエッタも一層怒りを露わにした。


「どう見ても俺の方が男前でしょ、意味分かんない」


 ああもう限界だ。

 止まない侮辱にもう我慢ならないと声を荒らげようとしたとき、カリエッタが口早に捲し立て始めた。


「俺の方が話し上手だし気遣い上手だし、一緒にいて飽きさせないし、料理も得意だし綺麗好きだし、我が儘とか幾らでも聞くし……こう見えて意外とマメだし記念日とか大事にするし……」

「……はあ?」


 急に始まった口上は、何を言っているのかさっぱり理解出来ない。

 もしや酔っているのだろうか。

 カリエッタの正気を疑いつつ、首を傾げた。


「おい、何を……」

「こんなぽっと出の男にデレデレしやがって……絶対に許さない。こいつのどこが好きなの?夜が上手いとか?絶対に俺の方が良いから。超絶優しくするし俺の方が若いし体力あるし経験豊富だし……」

「い、良い加減にしないか!私は彼に娘を紹介していただけだ!」


 下品な話が飛び出したために辛抱堪らず、頭突きせんばかりの勢いでカリエッタに怒鳴り散らした。


「……むす、め?」


 すると急に勢いを失くし、私の言葉を反芻するように口をぱくぱくと開閉する。

 私とフレイを交互に見遣って、愕然とした表情を浮かべた。

 それまでの怒気が嘘のように萎み、ひゅるひゅると夜風の音が虚しく間をすり抜けていく。


「なに、それ……」


 暫く茫然と瞠目していたカリエッタは、蚊の鳴くような声で呟いた。

 うわあだとか、ああだとか、はっきりしない呻き声を上げて頭を抱える。

 それを奇異なものをみるような目で見ながら、この男は一体どうしたのかと慄いていた。

 そんな私の視線も気にせずにひと頻り唸ってから、ガシガシと乱暴に頭を掻きむしりって「ああもう良いや」と顔を上げた。


「こうなったら、可愛い年下の純情を弄んだ責任を取ってよね」


 ふっきれたように溌剌とした、しかし妖艶な微笑。

 カリエッタは私の右手を取ると、手慣れた動作で指先に口付ける。

 すぐさま払い除けようとしたが、きつく握られてびくともしない。


「だから、貴殿はさっきから何を言って……」

「良い加減分かれよ、馬鹿じゃないんだからさあ……」


 そう言って顔を寄せる美麗な青年の、燃えるように赤い瞳がゆっくりと緩む。

 そうして口が触れてしまうほどに近付いてきた、そのとき。

 力強い手に引き寄せられて、私の身体は後ろへと傾いた。


「フレイ殿……」


 見ればフレイが私を背に庇うようにして、カリエッタの前へ立ち塞がっていた。

 ああ、何と正義感の強い、頼りになる若者だろう。やはり彼ならエリゼの夫に相応しい。


 そんな感動を覚えながら大きな背中を見つめていた。

 しかし、次の瞬間我が耳を疑うことになる。


「貴様、殺すぞ」


 地を這うように低く、無慈悲なひと言。

 それは紛れもなく清廉潔白にして誠実な男、フレイ軍団長の声であった。


「……はあ?何だって?」


 一拍置いて、カリエッタが苛立ち混じりに聞き返した。

 ……今の声は幻聴か?

 フレイの顔を窺おうと一歩前に足を出したとき、彼は静かに口を開いた。


「二度とその薄汚い口が利けないように殺してやる」


 その口元をしっかりと見ていたために、今度こそ聞き間違えでないのは明らかだった。

 フレイの瞳は暗い湖底のように、光を失くして澱んでいる。好青年の面影はどこかへふき飛び、背筋が凍りそうな冷徹な眼差しをカリエッタに向けていた。

 フレイは徐に腰の剣に手をかける。


「汚らわしい妄執でこの方を穢そうなどと……今すぐその首を刎ねてくれる」


 今にも剣を抜き払おうとする右手に縋りついて、慌てて制止する。


「フレイ殿、そこまでしなくとも……!」

「いえ、こんな輩を生かしておくわけには」


 どうしてそうなるんだ。

 確かにカリエッタの侮辱は聞くに堪えなかったし、怒るのも分かるが。

 それにしてもあの程度のことで斬首しようなどと、フレイが言うはずもない。そこまで狭量な人物ではない。

 もしやこの男も酔っているのか?

 必死の制止が届いたのか、フレイは柄から手を放した。


「……申し訳ありませんリデル殿」

「いや、貴公の正義感……は有り難いが……」

「私はご息女の夫となることは出来ません」


 え、今その話をするのか?

 しかも拒否だと?

 二重の衝撃に鉄の女の無表情を崩しながら、何故かと食い下がった。


「どんなときも正義を貫く貴女の姿に、私は憧れていました。五年前貴女が救い出してくれなければ、私は人ではなくなっていたでしょう」


 先の狂気じみた様子が嘘のように、瞳に穏やかな光を宿す。懐古するように目を伏せ、胸に手を当てた。


 確かに五年前の裏金問題の際、フレイは上官を裏切ることを思い悩み憔悴していた。

 それを私に救済されたと思っているのだろうか。私は職務を全うしただけで、決してそんなことはないと思うが。


「私が心を捧げるのは、あのときからずっと貴女だけです。これからもずっと……」


 精悍な顔にふっと柔らかな笑みを浮かべて、慈愛の言葉を告げる。

 こう言う経験が皆無な私でも、雰囲気ぐらい察せる。


 ――もしやこれは、愛の告白と言うやつなのだろうか。


 そう思った瞬間、胸がどきりと跳ね上がる。

 いやいや落ち着け早とちりだ。きっとそうだ。


「いや、フレイ殿……」

「ずっとずっとずっとずっと……」

「……フレイ殿?」


 視線を泳がせながらまごついていると、何やらフレイの様子が可笑しい。

 再びフレイの顔を見れば、穏やかな瞳はどこか陶酔の色を湛えて私を見下ろしていた。


「私がこの浅ましい思いを留めておけたのは、貴女が誰のものでもなかったから。人知れず貴女を愛することが出来ました。けれど……」


 ぎろりとカリエッタを睨み付ける。


「あんな下劣な男に穢され、奪われ、手が届かなくしまうのなら……いっそ私が……」

「あははは、馬鹿じゃないの?」


 何やら本格的に様子が怪しいフレイを遮るように、カリエッタは高笑いする。


「アンタさあ、この人に娘を紹介されたんでしょ。その意味分かってる?男としてまるっきり相手にされてないってことだよ」

「貴様……」

「その点俺と長官サマは、あんなことやこんなことまで経験済みの深ァい仲だもんね?」


 フレイは瞳孔を開き切って、今にもカリエッタに斬りかからんばかりに唸る。

 それを一笑してカリエッタは満面の笑みで同意を求めてきた。


「断じて違う。と言うか一度落ち着け……」

「俺はさァ」


 私の制止を無視してカリエッタは言葉を続けた。


「俺を鑑賞人形みたいに扱う奴らが大嫌いなんだ。アンタだけだよ、そこらのガキと同じように俺のこと叱ってくれたのは。嬉しかったし、アンタのことが大好きになった」


 相変わらず妖艶な容姿であるが、その顔はいつもよりもどこか幼げで素直だった。

 初めて垣間見た宮廷楽士の胸の内に、声も無く驚く。


「いや、しかし貴殿は私を散々貶して……」

「それは可愛い照れ隠しだと思って許してよ」


 拗ねたように頬を膨らませて、そっと私の耳に唇を寄せる。


「代わりにこれからは、どろどろになるくらい優しく優ァしく、愛してあげるからさ」

「なっ……!」


 私は何度混乱すれば良いのだろう。

 親子ほど歳の離れた男に耳元で囁かれただけで、言葉を失ってしまう。




 何だ、この状況は。

 もしや私が、この私が、二人の男性から求愛されているとでも言うのか?

 有り得ない夢だ幻だ。こんな殺伐とした愛の告白があるか。


 私は何をしにここに来たんだ?

 ああそうだ、私は娘の婿を探して……!


「あら?シルベーゼ?」


 当初の目的を思い出してはっとした瞬間、聞き覚えのある声に名前を呼ばれてびくりと振り返った。


「探しましたわよ。そちらの方々は……?」


 叔母は羽飾りの付いた扇をパシリと閉じながら、姪とそれを囲むように立つ二人の男に視線をやった。

 ――これは、不味い。


「シルベーゼ?急にどうしましたの?」


 その瞬間、私の脚が無意識に駆け出した。


「急用ですお先に失礼します叔母上」

「ええ?ちょっとお待ちなさいな!」


 一目散に会場から去ろうとする私を呼び止めながら、叔母は後を追い駆けてきた。


(あんな状況を見られては何を言われるか!)


 馬車の席に腰を下ろすと、暫くして叔母が怒りながら乗り込んできた。

 それを見て心底安心した私は、いろいろな出来事から逃げるように御者に合図を送り、事情を追及しようとする叔母の声に耳を塞ぐのだった。




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 魔の邂逅から一夜明け。


「長官、顔色悪いですよ?二日酔いですか?」

「私は酒など飲まん」

「ですよねえ」


 私は青白い顔を晒しながら、秘書官とともに王宮を闊歩していた。



 あれから館に帰還し、私は現実逃避とばかりに寝台に入った。

 が、一睡も出来なかった。そして朝を迎え、疼く頭を抱えて仕事をこなしていた。

 何とか気持ちの箍を締め直して、予算会議は滞りなく済ますことができた。


「昨夜は寝つきが悪かったんだ」

「それは大変ですね。最近妻が薬草育てにハマってましてね、良ければ今度お持ちしますよ」

「……頼む。細君にも宜しくお伝えしてくれ」

「ええ勿論。いやあ、妻は今朝も私に特製の茶を用意してくれましてねえ、本当に自慢の奥さんですよ」

「そうかそうか」


 惚気る秘書に気の無い返事を返して、人知れず肩を落とした。



 魔の邂逅から一夜明け、私もひとまず気持ちの整理をした。

 私の逃亡によって何だか色々と有耶無耶になってしまったが、一晩経てば全て酒の席での珍事だと思うことが出来た。

 きっと二人とも酔っていたのだ。

 酒の臭いはしなかったが……いや酔っていたに違いない。

 そして私も場の空気に当てられたのだ。

 でなければこの私が年下の男相手に取り乱すわけもない。

 あんな醜態を晒したなどと、思い出すだけで……。


「だ、大丈夫ですか長官!」

「……すまない」


 視界が眩み、目元を覆って立ち止まる。

 政治家としての、そしてひとりの母としての矜持が揺らぐ音が聞こえて、心の平穏を保てないでいた。


「一度執務室に戻って、医師を呼ばせましょう。僕の肩で良ければお貸ししますから、さあ」

「悪いなレイアム君」


 やはり年齢とともに心身とは弱っていくのだろうか。己の衰えを感じながら、秘書官の肩に手を置いた。


「でしたら私がお運びしましょう」

「うわあ!?フレイ軍団長!」


 その刹那、足音一つ立てないで背後に現れた男に、二人してその場から飛び退いた。


「フレイ殿、どうしてこのような場所に……」


 元々滅多に会う機会のないフレイとは、暫く遭遇することもないだろうと高を括っていたのに。

 超多忙のはずの軍団長が何故こんな場所にいるのか。

 私の言いたいことを理解しているのかいないのか、フレイは穏やかな微笑で礼をした。

 何故だかそれが、薄ら寒く感じてしまう。


「レイアム秘書官、私がリデル殿を医務室までお連れ致します」

「へ?いやいや、軍団長閣下にそんなことを……ねえ長官?」

「ああそうだとも。フレイ殿、お気持ちだけ頂いておこう」

「……私を不要だと仰るのですね」


 レイアムと顔を合せて頷き合っていると、フレイは鉛のように重たい声を発した。


「いや、そう言うわけではなくて」

「でも良いのです。私はいつでも貴女をお守りして……」


 その虹彩は濁り、人形のように表情は消えている。

 すうっと冷たくなった空気に、気の小さい秘書官は耐え切れず声を上げた。


「あ、ああそうだ長官!今日の来客予定に変更があったんですよ、早く戻らないと!」

「そ、そうか?ならば急がねば」

「でで、では失礼しますね軍団長閣下!」

「フレイ殿失礼する!」


 流石私の秘書だ、空気を読むことに関しては右に出る者はいない。

 抜群の助け舟を出してくれたレイアムに感謝しながら、不自然でないぎりぎりの早足で踵を返した。

 背中に刺さる粘ついた視線を振り切るように、脇目も振らずに逃亡した。




「してレイアム君、来客の変更と言うのは」


 フレイの陰が見えなくなったところで、レイアムに尋ねる。

 彼は思い出したように手を叩いて、少し渋い顔をした。


「いやあ、僕もお断りしたんですけどね。長官は公私をきっちり分ける方ですから、個人的なご用件は困りますって言ったんです。けど芸術振興の一環だとか仰られたんで仕方なく……」

「……おい、それってまさかとは思うが……」

「宮廷楽士のジーマ=カリエッタ殿です」


 もう応接室でお待ちだと思いますよ。

 それを聞いた瞬間、私の足が止まった。


「長官?どうしたんですか?」

「……すまない、やはり体調が悪い」

「え?」

「ああ駄目だ、天地が回るように吐き気がする」

「え、え?」

「お客人にはお帰り頂いてくれ。私は医務室で薬を貰ってくる」

「ちょっと長官!?」


 そうして目を白黒させる秘書官を置き去りにして再び進路を変える。

 擦れ違う人々が慌てて道を開け、もはやどこが病人だと言わんばかりの形相で医務室に駆け込んだ。



「やあ、待ってたよ?」

「……何でここにいるんだ……!」


 しかし辿り着いた医務室の寝台に、待ち構えるように奴はいた。


「アンタの考えることも、居場所も、何だって分かるんだよ?」


 白い胸元を肌蹴させて、妖しく笑う。

 長い赤毛を寝台に垂らして、悠然と寝そべっていた。


「さあて、良いことしようか」

「ば、ばか!私には娘がいるんだぞ!」

「なあに?ああ、今度娘さん紹介してね。良い父親になるからさ」

「ち、父親……!?」


 エリゼと三つしか歳が違わないだろうが貴様!

 石像のように硬直する私の手を引いて、寝台へと誘おうとする。


 もうどうしてこんなことに。

 考えることを放棄したくなった私を攫うように、剣を装備した軍団長が乗り込んでくるのはほんの数秒後であった。




 娘の婿を見付けるどころではなくなってしまった初夏のこと。

 叔母からこの話を聞いたエリゼは「お母様にもついに春が来たのですわね!」と諸手を上げて喜んだと言うのだから、立つ瀬がない。


「私も弟か妹が欲しいですわ、お母様」

「止めてくれエリゼ、そんなことを冗談でも言うもんじゃない」


 本気で真に受ける奴らがいるのだから。

 ああ、私はいつまで鉄の女としての矜持を守っていけるのだろうか。


 フレイの分厚すぎる手紙をそっとしまい、カリエッタから贈られた高価な装飾品の数々を送り返す手続きをしながら、私はこれからの未来を酷く憂いたのだった。



力尽きました。非常にお粗末様でした。

激しい齟齬を修正致しました。

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