命の石1
遠く、自らの分身とも言える虹の石が砕け散るのを、女は感じた。
(彼は、助かったんだ)
フードの奥で、女は、その形良い唇にゆるゆると微笑を浮かべる。
自らの運命にも関わる大切な石を失ってしまったが、惜しいとは思わなかった。それよりも、死の影を纏わりつかせていた若すぎる騎士から、その気配が綺麗に消え失せたことの方が嬉しい。
石はまた作れば良い。一つの石を作るのに、五年もの歳月を要するが……石さえあれば、またこの都に戻って来れる。
(不便だけど、仕方ないよね)
アリストラ王国の遥か東方にはレテという魔峰があり、女はその麓の集落の出身だった。
魔峰に抱かれたかの地には、不思議な力を持つ人間が稀に生まれる。彼らは、魔女、あるいは魔法使いと呼ばれ、力の強弱はあれど、精霊の声を聴き、火を、風を、水を、万物の根源を自在に操ることができた。
だが、強すぎる力は必ず制約に縛られることとなる。魔法使いたちは、総じて短命であった。殊に魔峰レテを離れるとその影響は顕著であり、ほとんどの者が二十代の若さで命を落とした。
魔法使いたちはレテの気の届く範囲に自らの身を置き、閉ざされた地で静かに暮らすより他なかった…………およそ二百年前、一人の魔女が、レテに囚われることなく命を繋ぐことのできる、秘術を見つけ出すまでは。
(命の石の魔法……)
レテの山脈から切り出した水晶を真円に精製し、そこに、何年もの歳月をかけて、自らの魔力を凝縮させる。
真珠が核に美しい層を纏わりつかせるように、幾重にも集められた魔法の力は、やがて虹色に輝き結晶化して、命を守る輝石となるのだ。
(レテに戻らなきゃ……)
開け放しの窓越しに、時折気まぐれに雲の合間から顔を覗かせる月を見上げていた女は、ゆっくりとその場を離れた。
試行錯誤して棚に並べた道具類や、不器用な手つきで一生懸命に作った値札を、一つ、一つ、愛おしそうに眺めやる。
王都に来て、店を開いたのはほんの一年前のこと。田舎で自給自足の生活をしていた自分が店を切り盛りするなど、想像もできないことだったが、様々な人々の力を借りて、どうにかこうにかやってきた。
特に黒騎士団長のヴァルトには、本当に世話になった。もともとこの店は女の祖母のものだったが、祖母亡き後、孫娘に引き継がれるまでの空白期間、店と看板を守ってくれていたのは彼だった。
信頼のおける人物だけに店の存在を話し、お得意様も作ってくれた…………高価な魔法具の作成依頼などもその中には無論あり、贅沢さえしなければ、穏やかに日々を紡いでいくことが出来たのだ。
(お礼を言ってから……ヴァルト様に)
黒騎士団は遠征中だが、精鋭の彼らのこと、十日もすれば城に帰還するだろう。
それまでの間、のんびりと店仕舞いをしながら待てばよい。
(彼にも……)
一度しか会ったことがない、しかも単なる店主と客という間柄でしかない、黒髪の少年の顔が、なぜか脳裏に浮かんでくる。
大人びた表情をしていた。濃く深い青い瞳が、レテの湖畔の色にも似て、綺麗だと思った。差し出された手に釣り銭を乗せる時、ひどく緊張したのを覚えている。
目深くフードを被っていて助かった……恥ずかしそうに頬を赤らめている様子を、見られずにすんだから。
(名前……何ていうのかな)
それを知る機会が、間もなく訪れるなんて、この時の魔女は夢にも思ってはいなかった。