西に微睡む3
宿の娘の説明によると、友人の村というのは、三十カルムほどの距離にあった。
さほど遠くはない。馬で駆ければ一時間もかからずに着く。
気になるのは、宿の娘の情報が二日前のものだったという点だ。その二日の間に、もし騎士と魔女が移動を始めてしまっていたら……また捜索のやり直しである。
「それにしても、ユリアがウォルターと一緒にいるってのはどういう事だ? あいつは一人でザカリアに行ったんじゃないのか?」
抵抗なく声が出せる程度まで速度を緩め、イアニスが問いかける。
「一人で行っただろうね。わざわざ足の遅い女連れで出るはずがない。ユリアの方が追いかけたんだよ。俺たちより先にウォルターを見つけるあたり、さすがと言うより他ないけどね」
フィオルもそれに合わせ、答えた。
「どうやって追いついたんだ……」
「ユリアは魔女だ。彼女にしか出来ない移動手段があっても不思議はないさ」
「ウォルターにしても……あいつならとっくにザカリアに着いていてもいいはずなのに。どうして、まだこんな所をうろついているんだ?」
「さぁ? 偶然と必然の女神に足止めでもくらったんじゃないのかい? おかげで、ユリアが、俺たちが、追いつけたという訳さ」
フィオルが再び馬の足を速めた。イアニスがそれにならう。
まだ村にいてくれと、祈るような気持ちで、彼らは駆けた。
世話になっている間、ウォルターは村の仕事をよく手伝った。
もともと体力には自信があり、水汲みや薪割りの類は苦にならない。幸いにしてかなり手先が器用な方なので、屋根の手入れや柵の補修も玄人並みに上手くこなした。
村人は多少うるさいが、みな人柄が良く、温かい。ユリアがレテの村にいるようだとポツリとこぼしたのを聞いて、妙に親近感も湧いていた。
彼女の故郷は、こんな素朴な雰囲気の村なのだ。ザカリアの件が片付いたら、ユリアを連れてレテに行ってみるのも良いかもしれない……そんな事を、ふと思う。
平凡でつまらない村と、悪し様に言う輩もいるけれど、平凡のどこが悪いのか、ウォルターは不思議だった。
彼も平凡に生きたかった……両親と、兄と、友人たちと……穏やかに。静かに。
(……とはいえ、ザカリアをどうしたものか。ユリアの話からすると、迂闊には近付けない……)
目覚めたユリアから、ザカリアの現状については聞いた。
どうやら、あの白い傭兵は、とんでもなく邪悪な魔法使いへと変貌を遂げてしまったらしい。魔力はユリアより圧倒的に高く、並みの魔女など遥かに凌ぐ千里眼で、近付く者をことごとく看破するというのである。
ユリアの知らせを受けずにうっかりザカリアに踏み込んでいたら、屍兵と魔法の総攻撃で蜂の巣にされていたところだ。
妙な具合に命拾いをしたと思わないでもないが、溜息を吐きたくなるような状況に何ら変わりはなかった。
(何が目的なんだ……。どうも奴がわからない。何がしたいのか)
村長家の娘に頼まれて、ウォルターは、炊事に使う水を汲みに共用の井戸に来ていた。
辺りはすっかり暗くなっている。
素朴な村人たちは、陽が落ちると家から出ないのが当たり前のようで、畑にも道端にも人の姿は見えなかった。
夜になっても勢いの衰えない王都とは随分違う。その代わり、朝はすこぶる早く、夜明けの太陽と鶏の鳴き声と共に、彼らは元気に活動を開始するのだ。
(……ん?)
遠くに、二つの騎影が見えた。
人と馬の影は、見る間に近付いてきた。
ウォルターは咄嗟に身がまえた。一瞬、賊の類かと思ったのだ。
だが、はっきりと姿を確認できるようになると、驚きのあまり提げていた水桶を取り落としそうになった。
「フィオル!? イアニス!?」
二つの人影もまた、ぽかんと口を開けた。彼らの方も、遠くに見えた水を汲みに来た人影を、ウォルターだとは認識していなかったらしい。
「お前っ……ウォルター! この馬鹿!」
感動の再会は、実に、こんなあっけないものだった。
「フィオル……イアニス。何故……お前らが」
わけがわからなかった。ユリアと違い、二人の友人らには、遠路はるばる自分を追いかけてくる理由がない。
咄嗟に脳裏を過ぎったのは、団長に予想外に重い処罰が下されたのでは、ということだった。あるいは、王命を無視して宮廷を出奔したウォルターを、罪人として捕らえに来たか。
「忘れ物だ、ほら」
そんな彼の危惧など吹き消してしまう屈託のない笑顔と共に、イアニスが布に包まれた長物を放り投げる。
受け止めてみると、それは手放したはずの黒の騎士剣だった。
「……なぜ」
「まぁ、宮廷の方でも色々あってね。後でおいおい話すよ」
ああ疲れた、とでも言いたげに、フィオルが馬から降りて伸びをした。ふ、と表情を引き締める。
「とりあえず先に言っておく。ウォルター、君は騎士だ。騎士が自分の剣を忘れるんじゃない」
ウォルターは、長年使いこんだ愛用の剣を、やや複雑な表情で見下ろした。
「……騎士、なのか。俺はまだ」
「エメライン嬢とその婿殿の機転でね。君はオスカレイク家の密命を受け、陛下の許可を得て動いているという事になっている。その書状もここにあるよ。こんな暗い外で広げるような物でもないから、今は出さないけどね」
とりあえず、馬を休める場所と、体を温める葡萄酒でも欲しいなぁ、と、追いかけてきた者たちは図々しい事を言い、さすがに迷惑だろうと頭を抱えつつ、ウォルターは村長に客人の更なる増員を告げたのだった。
翌日、黒騎士が三人も来た! と、村中がひっくり返るような騒ぎになったのは、言うまでもない。




