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魔女と騎士  作者: 宮原 ソラ
3章
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西に微睡む2


「何も言わず、いきなり出奔。……らしくないですね。そうは思いませんか? あいつは、上に馬鹿が付くくらい、実直というか……真面目なところがありますからね。当然、詫び状の一つや二つ、残して行くはずなんですけどねぇ」

 去り際に、フィオルが言い残していった言葉が、いつまでもヴァルトの耳を離れなかった。

 確かにその通りだった。およそウォルターらしくない。十五歳から七年間見守ってきた男の性格を考えれば、あり得ない行動だった。

 ザカリアへと心が飛んでも、世話になった者たちへの配慮をウォルターならば忘れない。自分一人の身に咎がおさまるよう、何らかの手を打つはずだ。

 ヴァルト自身、しばらくバタバタしていたせいで、そんな単純な事実にも気付けなかった。エメラインとその夫になる予定の青年の機転で、騎士は事無きを得たが、あのまま失脚に追い込まれでもしていたら……経歴の傷などよりも遥かに重い後悔に、ヴァルトは死ぬまで苦しめられただろう。


(俺なんかより、フィオルの方が、よほど冷静に、正確に、ウォルターを見ていたという訳か……)


 新しい騎士団長には、信頼のおける新しい副騎士団長が必要だ。伯爵家の嫡男であるサイラスは、いずれ家を継ぐためにその職を辞さなければならない。この先、五年も十年も、ウォルターの隣に立ち続けることは出来ないのだ。

 若い騎士団長を、時には叱咤激励しながら、しっかりと下から支えることの出来る人間は……。


(フィオル・クレメント、か)


 年はウォルターより三歳上の二十五歳。黒騎士の入団試験は、なんとその年の首席で突破している、天才肌の青年だ。

 皮肉っぽい言動の割には、不思議と周りに敵がいない。上にも下にも同期にも、誰に対しても立ち回りが上手いということだろう。


(世渡りの上手さは、ウォルターにはないな)


 馬鹿が付くほど実直。それがウォルターだ。その不器用さこそが魅力の一つではあるが、それだけでは風当たりが強くなってしまう。


(補う、か……。良いかもしれんな)


 未来の構図が、漠然と、ヴァルトの中で形を作り始めていた。






 逃げるように沈みゆく落日の陽を追いかけて、二つの騎影が平らな大地を駆け抜ける。

 ふと振り向けば、東の空には既に闇が押し迫っていた。

 無理をして、馬も人も潰すわけにはいかない……そう判断したフィオルとイアニスは、ちょうど見えてきた小さな町に、今夜の宿を求めることにした。

 

「さて。とりあえずは部屋の確保かな」


 冬の始まりの小さな町の小さな宿は、案の定、閑散としていた。

 ほとんど店番をさぼって編み物に熱中していた店の娘は、鄙びた田舎ではついぞ見かけたことのない洗練された若者らの登場に、間抜けにぽかんと口を開けた。

「い……いらっしゃい、ませ?」

 本当に、うちに用事があるのだろうか。こんな小さな町の小さな宿に。えらく場違いな二人組だが……。

 戸惑う娘を安心させるように、金髪の男が柔らかく微笑んだ。

「部屋を二つ取りたいのだが……空いているかな?」

 娘の顔に、さあっとたちまち朱が昇った。はい! と勢いよく立ち上がる。

 立ち上がった拍子に、膝の上に置かれてあった編み物がぱさりと落ちた。それにも気付かない様子で、娘は急いでカウンターの仕切り板を跳ね上げた。

「ど、どうぞ! こちらに! ご案内しますっ!」

「ありがとう」

 赤毛の男が、彼女がふき飛ばした編み物を拾い上げた。

「かぎ針が一本外れてしまっているな。俺たちが急に声をかけたから、驚いたのだろう。……すまんな」

「いえいえいえ。滅相もありません!」

 単に見目良いだけではなく、彼らはとても紳士的だった。物語に出てくる騎士様のようだ、と、娘は思う。

 そういえば、近くの村に住む友人が、家に黒騎士様が来てるの! と、たいそう自慢していた。

 ちょうどこんな感じだろうか。目の前の二人も、随分と立派な剣を腰に履いている。おそらく何かの紋章が刻印されているであろう柄の部分は、黒皮が巻かれていて見えないが、町の鍛冶師が唸って地団太を踏みそうなくらい、見事な業物なのはわかった。


「あの……もしかして、お二人は宮廷の騎士様ですか?」


 無邪気な期待を込めて、娘は問う。二人の男は、一瞬、ひどく驚いた顔をした。

 金髪の青年が、再び優しげな微笑を浮かべて、娘に聞き返した。

「なぜ……そう思うんだい?」

「は、はい。あの、友達の村に王宮の黒騎士様がいらしているのです。ちょうど同じ時期に、ただの旅人には見えないお二人がお見えになったので、もしかして……と」

「村に……黒騎士?」

「は、あ。何でも、高熱を出して倒れた娘さんを連れて来たとかで。その娘さんも、貴族の姫君みたいにお綺麗な方だって」

「なるほど……」

 金髪の青年が、内緒話でもするかのように、屈みこんで娘に顔を近づけた。

「もしかして……その貴族の姫君らしい女性は、見事な銀髪の持ち主ではないのかな?」

 娘は、突然間近に寄せられた美しい顔に魅入っていたが、はっと我に返り、何度も慌てて頷いた。

「そうですそうです。銀細工を溶かして紡いだような、本当に綺麗な銀色の髪だって、言ってました」






「……悪い。宿泊はまたの機会にさせてもらうよ。どうやら急ぎの用事が出来たようだ」

 言うが早いか、金髪の男が身を翻す。呆気にとられている宿の娘の手に、赤毛の青年が金貨を一枚握らせた。

「すまん。君の友人の村にいるという騎士は、どうやら我々が探していた人物らしい。これは迷惑料と情報の提供料だ。取っておいてくれ」

 娘は、掌の中の黄金の輝きを見つめ、ぎょっとしたように首を振った。

「こ、こんな御代、頂けません……! これ一枚で、うちの宿なんて一カ月は泊まれます!」

「君が教えてくれた内容は、これでも足りないくらい、我々には価値のあるものだった。遠慮せず受け取って欲しい」

 わずかな時間も惜しい様子で、赤い髪の青年もまた去った。

 受付の前での一連のやり取りに、ようやく気付いたらしい宿の主が、のんびりと奥から現れた。

「ん? お客さんか? ……どうした、狸か狐にでも化かされたような顔をして」

 娘は口を尖らせた。

「馬鹿言わないでよ、父さん。あんな綺麗な狸と狐がいるもんですか」

「はぁ?」

「精霊様が人の形を取ったら、あんな感じかしらねぇ」

 だが、彼らが狸でも狐でも、ましてや精霊などでもないことは、残されたずしりと重い金貨が証明してくれる。

「どうやら、父さん、私は王宮の黒騎士様に会っちゃったみたいよ。格好良かったわぁ……」

「何だかよくわからんが……」

 王宮の騎士なんてものに下手に憧れたら、婚期を逃すだけだ。身分相応なところにさっさと旦那を見つけてくれと、父親は、至極真っ当なことを思った。




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