再会
ウォルターはごく普通の人間だ。
魔力など欠片も持ってはいないし、特別に第六感が鋭いということもない。
だが、ただの人間でも、時として獣なみの本能を働かせることがある。
突然、冷たい雨が降り注いできたこの夜が、まさにそうだった。
暖を取るのに丁度良い深い横穴を見つけ、今夜の野宿はここにするかと腰を落ちつけた途端、急に思い立って外に出た。
そのまま、雨に打たれることも厭わずに、森の中を歩き続ける。
(何だ……? この感じ……)
隊商とは既に別れ、ウォルターは一人きりだった。この自分の中の違和感を、焦燥を、相談できる相手もいない。
(どうしたんだ……急に……)
無意識に、自分の衣服の胸元を掴んだ。動悸が速くなっているのがわかる。急げ、と、何かが全力で彼を駆り立てていた。
「ユリア……!?」
夜の帳の向こうに沈み込む、小さな人影。
月明かりすらないこの闇の中で、よくぞ見つけたと、ウォルターは自分で自分を誉めてやりたい気分になった。
駆け寄り、急いで抱き上げる。驚くほど大量の水が、その体から滴り落ちた。随分長いこと雨に打たれていたのだろう。体は芯から冷えきっていた。肌は青白く、唇は紫色で、小刻みに震えていた。
ウォルターは先程見つけた洞穴に戻った。
雨の当たらない入口付近にいた馬が、主人の帰りを見て、ひん、と嬉しそうに嘶いた。
(どうなってんだ……。なぜこんな場所に)
まったく訳がわからない。ウォルターは千里眼でも何でもないので、目には見えないこれまでの経緯を知る由もなかった。
ただ一つ、確かに言えることは、眼前には王都に残してきたはずの魔女がいて、その魔女は、体温が著しく下がりすぎて危険な状態にあるということだ。
冷たい外気が、この細い体から、温もりを……命までもを、奪おうとしている。
(ユリア)
濡れた衣服に手をかけて、一瞬、ウォルターは躊躇った。
必要なことだと、頭では理解している。真夏の昼ならともかく、雪こそ降らないものの、今は冬だ。北風は身を切るように冷たく、厚着をしていても末端からどんどん寒さが忍び寄ってくる。濡れたまま放置など、とても出来る状況ではない。
(後で怒るなよ……。仕方ないんだ)
これは人命救助だ、と、自分に言い聞かせながら、ウォルターは、ユリアの服を脱がせていった。意識のない人間から、絞れるほどに濡れそぼった衣服を剥ぎ取るのは、予想以上に手間だったが、何とかユリアを裸にすると、その体を乾いた毛布で包みこんだ。
焚き火の勢いを眺めやり、掻き集めてきた薪の量を確認する。明け方まではもつだろうと判断すると、彼もまた手早く服を脱いだ。ユリアと自分と、二人分の濡れた衣服を、突き刺した枝に掛け、地面に広げた。
明日までに乾いてくれればいいが……。
それから、魔女のもとに戻り、冷たい彼女の体を直に抱きしめた。自分の体温を分け与えようとするかのように。
(眠れそうにないな……)
長い夜の始まりだった。
温かくて、心地良い。
大きな何かにすっぽりと包み込まれているような感覚だった。
だが、手足を伸ばすと、たちまちヒヤリとした外気が肌を襲う。
そうだ。今は冬だった。掛布からはみ出したら寒いに決まっている。
ユリアは子猫のように身を丸め、熱源に縋りついた。大きくて温かいそれは、どうやらただの懐炉ではないらしく、ユリアがちょうど望んだように、頭を、背中を、撫でてくれた。
「ユリア」
呼びかけられたが、その声は、彼女が大好きな騎士のそれと同じだったので、起きるどころか安堵のあまり更に微睡みは深くなる。
貴方を探し回って疲れたの、だから眠いの、と、霞む意識の片隅で、言い訳めいたことを思った時……。
「起きろ!」
と、怒られた。
「は、はいっ!」
ぱっと目を開ける。
すぐ目の前に、探していたはずの騎士の顔があった。
「あ、あれ……」
「あれじゃない」
騎士はなぜか少し怒っているようだった。
せっかく見つけたのに、これでは再会を喜ぶことも出来ない。ユリアは思わず身を竦めた。上目遣いに騎士を見上げると、
「……頼むから」
強く……背骨が折れるのではないかと思うほど強く、抱き締められた。
「あんまり心配かけないでくれ……」
何となく、状況が呑み込めてきた。
急に降り始めた雨に急かされるように転移魔法を使って、またも気を失ってしまったのだろう。自分は、転移魔法については、才能がないか、あるいは絶望的に相性が悪いのかもしれない。
気絶して、雨に打たれていた魔女を、騎士が見つけてくれたのだ。彼に助けられるのはこれで何度目だろう……。
ウォルターはユリアを恩人と呼んだけれど、ユリアに言わせれば、六年前の恩などとっくに使い果たして、砂一粒ほども残っていないに違いなかった。
「ごめんなさい……。それから、助けてくれてありがとう」
謝罪と礼の言葉を口にして、力強い腕に身を委ねる。
幸せな気分に浸っている間もなく、唐突に、ユリアは自らの違和感に気付いた。
(……ん?)
毛布の隙間から見下ろすと、自分の裸の胸が視界に入った。その下も……何も身に付けていない。
(えっ……えっ?)
周りを見ると、昨日着ていたはずの服が乾してある。そうか、濡れていたから脱いだのか……いや、自分で脱いだ記憶など無い。
「わ、私……」
「?」
「……はだか」
「あー……」
騎士の目が泳いだ。
「仕方ないだろ。濡れたまま放っておけないし」
「ウォルターが脱がせたの?」
「俺しかいないだろ」
「え……と……あれ? ええっ!?」
「お前なぁ……本気でやばかったんだぞ」
「そ、それはそうですけど、でも!」
騎士の方はきっちり衣服を身に付いているので、裸なのはユリアだけだった。それがまた、一層の羞恥を煽る。いや、相手も生のままだったりしたら、かえって目のやり場に困ってしまうのだが……でも!
「み、見た……」
「そりゃあ……見たというか、見えたというか……。ある程度は」
「………………!!!」
「でもまだ何もしてないぞ」
「ままま、まだって何ですか! まだって!!」
うろたえて、茹で上がった蛸のように真っ赤になっている様子が、可愛くて仕方ない。
脱がせる手間も省けるし、いっそこのまま押し倒してしまおうかなぁ、などと、つい不埒なことを考える。
魔女は、騎士にとって、常に身に付けている剣よりも大切な存在なので、そんな勢いに任せた真似はしないけれども。
「わかってんだろ?」
魔女をしっかりと腕に中に閉じ込めたまま、騎士が囁く。
一度は諦めようとも思ったが、何の運命の悪戯か、再び彼女は傍らに戻ってきてしまった。戻って来たからには……二度と手放すつもりなどない。
「俺はお前が好きだ」