蟲の女王4
「ウォルター! ウォルターぁぁぁ!!」
がくがくと揺さぶられ、思わずうるさいとウォルターは手を振り上げた。
ひどく眠いのだ。ああ、それに、胸が痛い。息も出来ないほどの衝撃に貫かれて、一気に目の前が暗転した。
「ウォルター?」
そうだ。あの馬鹿が……ライオネルが、蟲の女王に襲われたから。放っておけばよかったのに、なぜ体が動いてしまったのだろう。
人懐っこく、友達なんて言うから。柄にもなくどきりとした。故郷を滅ぼされてから、ただ無我夢中で生きてきたから…………友達なんて甘すぎる幻想を囁いてくれる人物は、彼の周りには、ただの一人もいなかったのだ。
ああ、それにしても、この痛みは……。
「……?」
唐突に、意識が浮上した。
そうだ。女王蛾に貫かれたのだ。あの鋭い鎌が、背中から胸へと突き抜けるのを感じた。致命傷だとも、観念した。
なのになぜ、自分はこうして生きている?
起き上がって見ると、身に着けている鎧の胸に、確かに大穴が開いている。だが、不思議なことに、その内側には傷一つなかった。
ずきずきと痛むのは、違う怪我だ。女王蛾によじ登ったり振り落とされたり、そりゃあ怪我の十や二十はするだろうという、激しい戦闘だったのだから。
「俺は……?」
さら、と、何かが懐から零れ落ちた。虹色の、砂。青に、緑に、紫に……。魔女からもらった不思議な魔法具が、砕けて砂になっていた。
「これ……」
「ウォルターぁぁぁ! よかったぁぁ!!」
ライオネルががばりと抱きついてきた。人目も憚らず大粒の涙を流して泣いているので、狙われやすいのにノコノコ前に出るなと、怒鳴る機会を逸してしまった。
「女王は?」
「倒したぞ」
ヴァルトが近付いてきた。愛用の大剣を、まだ鞘にも収めていない。鏡のような刃は、女王蛾の大量の血でぬらぬらと濡れていた。
では、自分が気を失っていた時間は、ほんの数分……いや、数秒だったのかもしれない。女王蛾の骸を前にして、さてどうしたものかと思案している騎士たちの中には、何が起きたか気付いていない者もいるようだった。
「大手柄だな、ウォルター。お前が翅を潰しておいてくれたおかげで、逃がさずにすんだ」
にやりと笑った顔が、ふっと引き締まる。
「だがな。あんまり心配かけるなよ」
部下というよりは、年の離れた弟にするように、ヴァルトは、ぐしゃぐしゃとウォルターの頭を掻き回した。
「まだやっと十六になったばかりの小僧が、死に急ぐような真似ばかりしやがって……」
しんみりと呟いた後、ウォルターに抱きついたままのもう一人の少年に、目をやった。
「さて」
まだ血塗れた大剣を鞘にしまうと、その堂々たる筋骨たくましい胸の前で、両手を組んだ。とてつもなくわかりやすく、ぱき、ぺき、と指を鳴らす。
「あの」
ライオネルの顔に、明らかな怯えの色が浮かんだ。目の前の騎士団長は、とても爽やかな笑顔を浮かべているのに、なぜか怖い。ものすごく怖い。
何か怒らせるような事をやっただろうか。ライオネルは後退りながら、必死に混乱する頭で考える。
女王蛾の死闘が凄まじくて、怖い怖いと思いながらもつい近くで見たくて、引っ込んでいろと他の騎士たちに怒鳴られつつも、前にじりじりと出てしまったが……。そして、知り合って間もない友人の命を危険にさらして……。
怒られても仕方ないことを、やはり、しているかもしれない。
「ご、ごめんなさいいぃぃ!!」
「ごめんですむかぁぁぁ!!」
少年騎士の情けない悲鳴と、騎士団長の恐ろしい怒声が、ようやく静けさを取り戻した森の中に、響き渡った。