未来の騎士に告ぐ
「ユリア姉ちゃん!」
王都の外壁門に向かって歩いていると、背後から呼び止められた。
黒髪に金茶の瞳の少年が、ひどく慌てた様子で駆けてくる。
「アレク」
ユリアは相好を崩した。
以前、スウェンに呪いをかけられた少年だ。雑多な精霊を手当たり次第に纏めたものを、無理矢理に心の中に押し込まれていたので、おかしな影響が出てしまうのではないかと危惧したが……幸い、異常は無かったらしく、少年は健康そのものだった。
ただ、一つだけ、気になることを言っていた。
あの事件以来、瞳の色が、黒から金茶へと変わってしまった、と。
少年は、ユリアの前で立ち止まると、その不思議な色合いの瞳で、旅装束の魔女を見上げた。
「……本当なんだ」
利発そうな顔立ちが、くしゃりと歪む。
「本当って……何が?」
あえてのんびりとした風を装って、ユリアが問う。少年は力なく首を振った。
「ウォルター兄ちゃんが、城を出て行ったって」
「誰から聞いたの?」
「……ごめん。立ち聞きした。スウェン兄ちゃんとエメライン様が話しているのを」
貧民窟出身の少年には、昏睡から目覚めても、帰る場所が無かった。哀れに思ったエメラインが、償いの意も込めて、王都で最も待遇のしっかりしている孤児院に世話したのだ。
里親を探すことも考えたが、それは驚いたことに少年自身が辞退した。
両親の死後、親戚中をたらい回しにされた揚句、貧民窟に捨てられた少年は、嫌というほど血の繋がりのない親を持つことの難しさを知っていた。だから、自ら希望したのだ……孤児院がいい、と。
施設で寝る場所と食事を確保すると、今度はたびたびスウェンの元を訪れるようになった。聞けば、地理や語学などの、孤児院では到底補いきれない高等な学問を、教えてもらっているのだという。
(将来、なりたいものでもあるの?)
ユリアが聞くと、少年は少し顔を赤らめて……笑うなよ、と前置きした上で、答えた。
(黒騎士になりたい……)
(えっ)
(ウォルター兄ちゃんみたいな……立派な黒騎士になりたい)
(笑わないよ。……とても、素敵なことだと思うよ)
(でも、孤児院のみんな、無理だって。……黒騎士なんて、なれるはずないって)
(そんなことないよ。黒騎士は……誰にでも可能性が与えられているもの)
(うん……)
(私から、ウォルターに頼んでみようか? 貴方に、剣術を教えてあげてって)
(えっ。ほんと?)
(うん。きっと、喜んで教えてくれるよ。……弟が出来たみたいって、貴方のこと、言っていたから)
その約束を果たさないうちに、ウォルターは姿を消した。
「兄ちゃん……帰ってくるよね?」
金茶の瞳が、不安そうに揺れていた。ユリアは腰を屈め、栄養状態が悪かったせいか平均より小柄な少年に視線を合わせ、微笑んだ。
「帰って来るよ。どうしてもやり遂げたい事があって、今は少し都を離れているだけなの。だから、それが終わったら、帰ってくるよ」
「俺、もう、剣を教えて欲しいなんて我がまま言わない。兄ちゃんの邪魔しない。だから……」
「それは我が儘ではないの。ウォルターは……何かを目指して頑張ろうとしている人を、邪魔に思ったりしない」
待っていてあげて、と、魔女は言った。
子供らしくない遠慮など必要ない。親がいない分、ウォルターに、自分に、存分に甘えればいい。
亡くなった本物の両親には、叶うべくもないが……その温もりの欠片くらいなら、与えてあげることが出来るかもしれない。
「待っている人がいる所に、人は帰って来るものなの。私が、そうだったように……。だから、貴方も、あの人を待っていてあげて」
「姉ちゃんは……待たないの?」
少年が問いかける。
目の前の魔女は、子供の彼の目から見ても、あまりにも儚げで。厳しい長旅に耐えられるものなのかと、余計な心配をしてしまう。
「私は追うことにしたの」
ユリアは悪戯っぽく笑った。
「私は魔女だから……追いかけて、捕まえることにしたの」
少年は、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。小首を傾げる。
「よくわかんないけど……頑張れ、ユリア姉ちゃん」
無責任に応援した。
「ありがとう、アレク。貴方も頑張るのよ。私たちが、このまま……いなくなったとしても。貴方は、未来の黒騎士なのだから」
少年が何か言うより早く、ユリアは身を翻した。
開け放たれた巨大な外壁門の内外を、ひっきりなしに行き交う人の波に、その姿はすぐに呑み込まれ、消えた。




