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魔女と騎士  作者: 宮原 ソラ
3章
46/57

誇りと希望


 自分を突き動かしているものが何なのか、実は、ウォルターにもよくわかっていなかった。

 ザカリアは滅んで既にない。被害が深刻すぎて復興すら出来なかったかの町は、今は巨大な埋葬地と化している。王都の霊廟のように管理されているわけでもないから、立てられた無数の墓標は七年前から野ざらしのままだ。

 雨風に叩かれ、削られてゆく石の標のように、段々と、人の記憶からも消えていってしまうのだろう……。

 それはそれでやむを得ない、と、ウォルターは思っている。

 死んだ人間よりも、生きている人間の方が大切だ。過去は振り返って懐かしむ分には良いが、それに囚われてしまっては、先へと続く道そのものまで見失ってしまう。

 

(じゃあ、なぜ、俺は……今を捨てて過去に向かっている?)


 答えは単純だった。

 放っておけなかった。それだけだ。

 せっかく静かに眠りについている家族を、友人を、辛い想い出よりも楽しい想い出の方が遥かに多いあの町の人々を、無理やりに揺り起こし、朽ちた体のまま歩き回らせるという、畜生にも劣る行為をしている者がいる。

 それが許せなかった。何とかしてやりたかった。

 そのために、騎士の身分も責任も全て擲ってしまうなど、愚かの極みだとは思うが……その愚かしさもまた自分という人間の一部なのだから、仕方ない。


(結局、俺は、騎士には向いていなかったのかもしれない……)


 賢く生きようと思ったこともあったが、駄目だった。

 冷静に、と、常に自分に言い聞かせてはいたが、持って生まれた気質は、周りの者がそうと信じているほど、ウォルターは穏やかではない。内に火のように苛烈な部分を秘めている。

 ただ、それを、上から押さえつけて、見えないように隠してしまうのが、人より少し上手かっただけ……。


(これ以上、ザカリアを掻き回すな……!)


 馬を走らせ、考え事をしながらも、長年の間に身に付いた習性で、ウォルターは油断なく周囲に目を配っていた。

 まだ夜営の準備をするには明らかに早い時間帯、街道から外れ、不審な動きをする一台の馬車に気付いた時、ウォルターは反射的に馬を止めた。

 休憩でも取るのかと思ったが、そうではない。

 剣を腰に下げた男たちが数人見える。そのうちの一人が、馬車の中から、布にくるまれた大きな荷物を引きずり出した。

 いや、荷物ではない。あれは……。


(人間!?)


 ウォルターは馬の腹を蹴った。いま騎乗している馬は、騎士だった頃の愛馬ではないが、なかなかに賢い馬で、主の命令を良く聞いた。

 人馬一体となって突進してきた黒い影を、男たちは避けきれず、ある者はまともに蹄に踏まれ、ある者は逃げようとして自ら転んだ。

 一人の男が果敢にも応戦しようとしたが、閃光がひらめいた瞬間に、男の剣は、信じられないほど遠くに弾き飛ばされていた。馬上の青年の剣が自分の剣を叩き落としたのだと気付く間もなく、第二撃が襲いかかり、男はたちまち昏倒した。

「な、何だ、お前……!」

 仲間が一撃で気絶させられたのを見て、男たちの間にどよめきが走る。

 面倒な、と、ウォルターは思った。斬り伏せるのは簡単だが、目の前の男たちは、どうやら賊の類ではないらしい。賊にしては剣の扱いが未熟すぎる。

 時々魔がさして悪さをしたくなる、中途半端な小悪党……といったところか。ならば、命まで奪う必要はない。

 ただ一言、脅しをかけた。


「どいつから死にたい?」


 男たちの顔に、明らかな怯えの色が広がった。悪鬼でも見てしまったかのように喉の奥で悲鳴を漏らすと、彼らは脇目も振らず一目散に逃げ出した。


「大丈夫か?」


 布に包まれている人間に声をかける。身もがいて顔をひょっこり覗かせたのは、まだ十六、七の少女だった。

 大きなはしばみ色の瞳に、みるみる涙が盛り上がり……。

「も、もう駄目だと思いました。ありがとうございます……!」

 少女が顔を覆って泣き出した。小さな頭が、肩が、小刻みに震えている様子を見ていると、いつかの光景を思い出さずにはいられなかった。


(ユリア……)


 まだ思いきれない。忘れられない。

 折に触れ、魔女の姿が脳裏を過ぎる。

 まだ……会いたい。






 少女を助けて数刻後、後続の馬車がぞくぞくと追いついた。

 旅人が行き交う街道すじに、空の荷馬車に少女が一人きりという妙な取り合わせだったので、おかしいと思ってはいたが、商人団の十五台もある馬車の先頭車両であったらしい。

 活発な少女は、仲間のために先の街で宿を取ってやろうと単独先行し、先行し過ぎて、先程の男たちに絡まれるという災難に遭遇したのだった。

 少女はサーシャと名乗った。商人団の責任者の娘だった。商団の長は、娘を救った勇者をいたく気に入り、しばらく同行していけとウォルターをしきりに誘った。

 正直、先を急ぎたいウォルターにとっては有難迷惑な提案であった。が、この商人団の中になんとアマンダがいたことから、話はややこやしい方向へと進んでしまう。

 十二人の弟妹を育てる女商人は、相変わらず逞しかった。

 相変わらずのあっけらかんとした態度で、


「みんな! こちらの方はねぇ、なんと王宮の黒騎士様なんだよ!」


 と、のたまうものだから、普段、騎士など見たことのない商人たちは、たちまち大騒ぎとなった。

「へぇーっ! 黒騎士様かぁ! あの! へえぇーっ!」

「俺らと同じだなぁ。ああ、でも、さすがにいい体つきしてんなぁ」

「馬鹿。同じなもんかい。よく見ろよ。お前の三十倍はいい男だぜ!」

「なぁなぁ、騎士様。西に向かっているのかい? ちょうどいい、俺らと一緒に行こうぜ! 騎士様がいてくれりゃあ、この先も安心だ!」

「黒騎士って、あの蟲の女王を毎回退治してくれている黒騎士だろ? 冒険譚をぜひ聞かせてもらいたいもんだねぇ!」

 こんな調子で、離してもらえそうにない。

「いや、俺はもう騎士では……」

 律儀に説明しようとしたが、

「何かの任務で御忍びなんだろ? こんな場所に一人でいるもんなぁ。いいっていいって、皆まで言うな!」

 ……誰も聞いてはくれなかった。






 日没になり、商人たちが夜営の準備を始めると、勢いに呑まれて何故か同行することになったウォルターも手伝った。

 遠征などで慣れているので、彼ら以上にウォルターは手際が良い。

 商人たちが数人がかりで組み立てているテントを、手早く一人で仕上げてしまうと、またもやんやの喝采が湧き起こる。褒めてもらえるのは有難いのだが……毎度これではやりにくくて仕様がない。


「すまないねぇ。うるさい連中で」


 夕食は途中から宴会になった。騎士の歓迎会だそうだ。

 ウォルターは人だかりを避けるように端の方に移動したが、主役が隅に行くなと、すぐにも人の輪の中央に引き戻された。

 大きな酒瓶をどん! と傍らに置き、アマンダがウォルターの隣に座る。ウォルターの器になみなみと酒を注ぎ、自分も豪快にぐびぐびと飲みながら、アマンダは陽気に笑った。

「みんな西の商人なんだ。王都には行くけど、長い間の滞在はない。王宮の黒騎士様なんて、何かの式典くらいでしか見たことないのさ。だから珍しくてねぇ……。この騒ぎさ」

「騎士様、おつぎします!」

 反対隣に、サーシャが腰を下ろした。じろりとアマンダを目で牽制する。

「ちょっと姉さん! お酌なら私一人で足りているわよ!」

 別の男が、また違う酒を持ってやって来た。

「おぉ、両手に花だねぇ、騎士さま。俺はむさくるしい男だけど、仲間に加えてくれや!」

「あっ! 俺も俺も」

 飲んでも飲んでも、次々と器が酒で満たされる。ウォルターはほとんどざるだが、全く酔わないわけではない。

 旅空の下、二日酔いに悩まされる事態だけは避けたかった。そろそろ……と辞退した頃には、すっかりみな出来あがっていた。

 商人の一人が、何処からともなく楽器を取り出した。

 若いころ歌手を目指していたというその男は、耳に心地よい声で、朗々と一つの唄を歌い始めた。



  おお あれに見ゆるは 一陣の速き風

  美しきアリストラの大地を守るもの

  伝えよ その雄姿を その偉業を

  讃えよ 誉れ高き 我らが黒金の騎士団を



 ウォルターは初めて聞く歌だった。男の声は良いのだが、歌詞は稚拙でありきたりの感を拭えない。  が、男にならい、一人、二人、と商人たちが次々と曲に加わる。

 終いには、皆が声を揃えての大合唱になった。肩を組み、その組んだ肩を左右に揺らし、延々と同じ旋律を繰り返す。歌詞は五番まであり、五番が終わるとまた一番に戻る。

 よく覚えているなとウォルターが感心すると、さほど酔いが進んでいないらしい初老の男が、笑いながらそれに答えた。

「皆、憧れているんだよ、騎士様に。騎士という……生き方に」

 初老の男は、ウォルターの杯に液体を注いだ。酒ではなく水だった。


「男なら憧れて当然だろう? みんな、子供のころ、一度は夢見るもんさ。騎士になりたいってな。……実際になっちまう奴は稀だが」


 黒騎士団は、全てのアリストラ人に、広く門戸を開けている。

 入団するには、難関とされる試験を突破しなければならないが、逆に言えば、試験さえ通れば誰でも黒騎士になれる。

 実力さえあればいい……貴賎は一切問われない。


「俺ら平民にとっちゃあ、貴族なんかよりよっぽど名誉ある人たちなんだよ。黒騎士様ってのは」


 なぁ? と、男が自らの杯を高く掲げた。

 穏やかに細められたその目を、ウォルターは、真っ直ぐ見返すことが出来なかった。


 知らなかった。

 そんな風に思われていたなんて。


 黒騎士は憧れ。平民の希望。貴族の名誉に遥かに勝る……彼らの、誇り。


(俺、は)


 捨ててきたものの大きさを、思い知らされる。

 騎士様、と慕ってくれる目の前の朴訥な人々を、手酷く裏切っているような……どうしようもない罪悪感を、初めて、感じた。



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