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魔女と騎士  作者: 宮原 ソラ
3章
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悪夢の胎動4


 商家に生まれたダレルは、情報が、時に黄金を上回るほどの価値を持つ事を、幼い頃より知っていた。

 だから、彼は、どんな小さな噂話にも耳をそばだてた。特に人が公言したくない秘密を手に入れることが好きだった。さすがにそれを使って強請りをするほど落ちぶれてはいないが、他人が知らない事実を自分だけが知っているという優越は、彼に喩えようもない昂揚感を与えるのだった。

 彼はウォルターの秘密も知っていた。友人であるフィオルもイアニスも知らない、ウォルターが滅びの町ザカリアの出身であるというその過去を、彼だけは知っていた。


 ある日、ダレルは、騎士団長と副騎士団長に呼び出された。


 召喚の内容は、ザカリアで死人が蘇り辺りを徘徊しているという噂があるので、それについて調べてこい、というものだった。

 なんで俺が、と、ダレルは思った。ザカリアは遠い。馬で往復し、更に調査もとなると、何カ月もかかってしまう。

 この寒い冬の時期に、快適な城を離れ、とっくの昔に無くなってしまった廃墟の町を歩き回るなど御免被りたかった。しかし、彼に断る権利はない。


「なぜ私に?」


 ようやく、それだけを言った。

「腕が立ち、情報集めが上手く、不測の事態にも落ち付いて対応が出来る。加えてお前の実家は西の地方でも手広く商いをしている商家で、地理にも明るい。適任だと思ったからだ」

「そこまでお褒め頂くと、断れませんね」

「ザカリアはオスカレイク領だ。伯爵にも渡りをつけた。警備兵をお前の権限で自由に使って良いそうだ……それと」

 騎士団長と副騎士団長は、互いに視線を交わし合った。

「この件については絶対に誰にも言うな。口の軽さは身を滅ぼす……言うまでもない事だが、わかるな?」

「ええ、もちろんです」

 ダレルは微笑んだ。

 恭しく退出した後、廊下に誰もいないことを確かめてから、大きく舌打ちの音を立てた。


(ザカリアで歩き回る死人、ね。ウォルターに教えてやったら、奴がどんな顔をするか……見ものかもしれないな)


 自分の軽はずみな言動が、後にどのような混乱を引き起こすことになるか、この時のダレルは知る由もなかった。











 一週間ほど後、ウォルターが騎士団長の執務室を訪れた。

 もともと愛想には欠ける男だが、その表情は、いつにも増してさらに険しい。

 何か相談事か、一緒に酒でも飲みながら話すかと団長は誘ったが、部下の固く強張った顔つきを崩すことは出来なかった。

「ザカリアで死者が蘇り、辺りを彷徨い歩いているというのは、本当ですか」

 いきなり単刀直入に、ウォルターは聞いてきた。

 ヴァルトが鋭く問い返す。

「誰に聞いた?」

「誰にも聞いておりません。そういう噂を耳にしました。だからここに確かめに来たのです。……団長、これは本当の話なのですか」

「……本当か、否か、それを聞いてどうする」

「本当なら、俺が行きます。ザカリアを調べるその役目、俺にやらせて下さい」

 ダレルの奴が喋ったな、と、ヴァルトは思った。

 死人が歩き回る話は、内容が内容だけに噂が立っても不思議はないが、それに調査員を遣わせたのは極秘の事項だ。騎士団長と副騎士団長を除いては、ダレルしか知らない。

 それに気付かず口走ってしまうほど、ウォルターは焦っているのだろう。彼らしくもない。

 いつものお前はどうしたと、喉まで出かかった言葉を、ヴァルトは辛うじて呑み込んだ。

 唐突に、騎士団長は思い出したのだ。

 そうだ。目の前の男は、まだ二十二歳だった。青二才といってもいい年なのだ。いつの間にか、たくさんのものを期待しすぎて、すっかり失念していたが……。

 人生の全てに達観できるほど、長く生きてはいないのだ。


(だが、お前は騎士だ。冷静になれ、ウォルター)


 常ではない精神状態のまま、異様な事態に陥っているであろうザカリアに、一人でやるわけにはいかない。

「適任者は既に選んだ。決定は覆らない」

「団長!」

「ああ、そういえば」

 突然、騎士団長が、殊更に明るい声を出した。器用に話題転換など出来る性格ではないはずなのに、その不自然に明るい声音のまま、喋りつづける。

「陛下から、正式に命令が下ったぞ。ウォルター、お前をしばらく剣の指南役に当てたいとのことだ。当直の間、お前は自分の仮眠時間を削って陛下に付き合っていたんだってな。そういう事は先に言えと、陛下が呆れていたぞ」

「……今は、そんな話をしているのでは」

「陛下からの勅命だ。騎士にとって、これより重要な話があるか? ウォルター。お前には陛下の剣の指南役を命じる。名誉だと思え。……城を離れることは許さん!」

「…………っ!」

 騎士の拳が、僅かに震えているようだった。

 そのまま胸倉を掴まれ、詰め寄られるのではないかと思ったが、ウォルターはそんな真似はしなかった。

 ふ、と、彼は腕から力を抜いた。青い瞳は、少年時代にいつか見た、凪いだ海の静けさを取り戻していた。

 あまりに静かすぎて、それがかえって、不気味なほどに。


「……わかりました」


 言葉少なに、ウォルターは去った。

 ヴァルトの執務室から……城からも。


 数日後、ウォルター・レアリングという一人の騎士が、剣も、貸与された何もかもを捨て置いて、宮殿を出奔したと、騒ぎが持ち上がった。











 古びた石造りの建物を、ウォルターは見上げた。

 六年前、魔女と初めて出会い、六年間、その不在を守り、そして今、魔女が住んでいる、思い出の家を。

 辺りはまだ薄暗い。冬の只中の夜と朝の狭間の時間は寒く、外套を着ていても冷気が身の内側に迫ってくるようだった。

 不審者と咎める者もいないのを良いことに、ウォルターはしばしその場に佇み続けた。

 このまま建物の中に踏み込んで、眠っているユリアを抱きかかえて、連れ去ってしまいたい。黒の騎士剣を手放した時ですら感じなかった、自分でも呆れてしまうほどの未練に、ただ驚くばかりだった。


(ユリア……。俺、お前に……)


 後一カ月、一年の最後の月に、ユリアは二十歳の誕生日を迎える。

 その時に、伝えたかった想いが、言葉が、あった。


 何事もなければ、きっと二人で暖炉の火の前にでも座って、のんびりと過ごしていたはずなのだ。

 まだ一カ月も先なのに、ユリアのような少々風変りな娘には何を贈れば喜ぶだろうかと、悩みの内にも入らないような事で頭を悩ませていたのが、今はひどく懐かしかった。

 結局、それも叶わないまま、城を抜け出す事態になってしまったが……。


(かえって良かったのかもしれない)


 今ならまだ、断ち切れる。

 彼女に、何も、言っていないから。


 ウォルターは踵を返した。

 未だ重く垂れこめる夜明け前の闇が、漂ってきた霧が、その姿を瞬く間に隠した。



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