悪夢の胎動3
夜間勤務の配置の際、王の居室警護の役が割り当てられたとき、ダレルは非常に喜んだ。
王の近くに控えているとなれば、自然と顔を覚えてもらえるだろうし、上手くゆけば言葉を交わすような機会にも恵まれる。王でなくとも高位の貴族たちと知り合うことが出来れば、彼らの娘を娶ったり、何かと引き揚げてもらえたりと、輝かしい立身出世の道が約束されているだろう。
警備は二人一組で行われるが、ダレルは幸運を一人占めするためにも、同僚を置き去りにして単身回ることが多々あった。毎回決められた場所ではなく、本来の道筋から外れた場所でも、積極的に巡回することにしていた。
全ては、何処かでばったり王や貴族らと出くわすためである。
今夜も、同僚と別れて、一人で見回りに出ていた。
今回の警備の片割れはウォルターという男であったが、どうも彼は融通のきかない性格らしく、勝手に動くダレルに口煩く注意してくる。
ただ、面と向かってきつい台詞は投げかけてくるものの、上に告げ口したりはしないので、ダレルにとっては扱いやすい人物でもあった。
(俺が、何のために血の滲むような努力をして、騎士になったと思ってるんだ。全ては貴族の仲間入りを果たすためだ。邪魔するな)
ダレルの家は商家だった。野心家でやり手の父は、一代で大きな身代を築き上げたが、それ故に、成り金と蔑まれ、低い血筋を呪い続けた。
父はたまたま優秀に生まれついた息子に、この低い血筋を覆すことを期待した。
ダレルは子供の頃から騎士になるべく徹底的な教育を受けたが、士爵はしょせん準貴族。真の貴族になりたい父の欲求を満たすものではなかった。
ならば後は貴族の娘を妻に迎えるか、貴族の家に養子に入るしかないが、そうそう都合の良い話も転がっていない。
オスカレイク伯爵令嬢の婿探しの時には、彼は形振り構わず強引に働きかけたが、伯爵令嬢の好みには当たらなかったらしく、反応はひどく薄かった。
そうこうしているうちに婿探しの噂は立ち消えとなり、次の夫はどうやら側仕えの青年らしいと聞き及び、大いに落胆したものである。
(オスカレイクは西の大領主だ。過去、レゼルが不作の時には、領土の穀倉地帯を開放して、王都を飢饉から救ったこともあるほどの。伯爵家の一員になれれば、こんなきつい騎士家業なんてすぐに辞めることが出来たのに)
考え事をしているうちに、妙な場所に入り込んでしまったらしい。
ダレルは立ち止まり、辺りを見回した。近付いてくる気配を感じ、彼は反射的にすぐ目の前にあった扉の向こうに隠れた。
足音は、思いのほか近くに止まった。鍵穴から覗いて、見えた姿に、ダレルは危うく声を上げそうになった。
(陛下!?)
間違いなかった。それは、アリストラの若き国王ジェラールだった。
もう一人、彼の傍らに男が立っている。ダレルは更に仰天した。彼が置き去りにしたはずの同僚、ウォルターが、なぜか国王の隣にいるのだ。
まるで昔からの既知のように、国王が親しげにウォルターの肩を叩く。警戒心のない顔だった。
「今度こそ勝つからな。俺の目標はお前から一本取ることだ」
「……ですから、俺の仕事は陛下の剣の指南役ではなく、この王宮の警備です。当直ごとに稽古に引っ張り出すのはご勘弁下さい」
「別に良いだろう。どうせ暇だし」
「陛下の御身をお守りしているのです。暇ではありません」
「嘘をつけ。蟲と戦ったり、賊をやっつけたりしている方が、お前は生き生きしているとヴァルトの奴が言っていたぞ。そんなお前にただの巡回警備は暇すぎるだろう」
だから、俺の剣の相手をするくらいで丁度良いんだ。
国王陛下はいたく勝手な論法でそう締めくくり、騎士は盛大に溜息を吐くしかなかった。
「怪我でもされたらどうするのですか。俺は、宰相閣下と騎士団長、副騎士団長に、よってたかって袋叩きにされますよ」
「俺に怪我をさせるような間抜けな打ちこみ方はしないだろうが。お前は」
「お褒め頂いているようですが、何故か素直に喜べませんね……」
「なぁ、ところで」
王は、突然、にっこりと微笑んだ。
「収穫祭の夜会の折りに見かけた、あの銀の髪の美しい令嬢が、お前の想い人なのか?」
「…………は!?」
騎士は、顔をひきつらせた。
あまり表情に変化の無い男なので、これほどわかりやすくうろたえる姿を見ると、国王はそれだけで勝ったような気分になり、嬉しくてたまらなかった。
「そうかそうか。ああいう姫がお前の好みか。それじゃあ、並み居るご婦人たちには見向きもしないはずだよなぁ……。お前が面食いだったとはついぞ知らなかったぞ」
「…………」
「で、名前は?」
「…………」
「お前なぁ。俺は一応国王なんだから、そう睨むものではないぞ。心配するな。お前の恋人を盗ったりしないから。俺はどちらかというと、エメライン嬢のような一筋縄ではいかない手強い女性の方が好みなのでな。ああいう触れたら壊れそうな娘は守備の範囲外だ」
武勇ではなく、権力でしか守れないような場面が来るかもしれない……あの美貌では。
王はふと表情を引き締めた。
「そういう時には、遠慮なく俺の名を出せ。ウォルター」
「……そういうわけには」
「なぁに。稽古にいつも付き合ってくれている礼だ。それに、いずれ俺の名を出す必要もなくなるだろうしな。お前なら」
「……?」
数年後には、白騎士団は完全に解体され、名実ともに黒騎士団がアリストラの唯一無二の雄となる。
その統一された宮廷騎士団をまとめ上げるべき人物は、現職からの強い要望もあり、ほぼ内定していた。
(次代の騎士団長は、お前だ。ウォルター)
黒騎士団長……その頃には、宮廷騎士団長もしくはアリストラ国軍将と名称を変更しているだろうが、その地位に就けば、並みの貴族など黙らせるには十分な力を持つことになる。
全武官の頂点に立つということは、そういうことだ。
「さて、ウォルター。今夜も付き合ってもらうぞ?」
遠ざかる二つの人影を、ダレルは息を潜めて見送るより他なかった。
位高き者に近付くという彼の野望を、あっさりと叶えてしまっている者がいた。しかも相手は国王だ。これを上回る身分の者などいない。
ウォルターに自分を紹介してもらうことも考えたが、それは絶対に避けたかった。頭を下げるなど御免だった。
ダレルはウォルターが嫌いだった。憎しみに近い感情すら持っていた。別に何かをされたわけではない。いや、それどころか、そもそも眼中に入れてもらっていないふしすらあった。
(……気に入らない)
火事の救出劇以来、ウォルターはオスカレイク伯爵家とも懇意にしている。彼の親友のフィオルとイアニスは、身分こそ低いものの、騎士団長ら幹部に目をかけられている優等生だし、そういえば文官にもライオネルという親しくしている子爵家の人間がいると聞いた。
最近になって史書係から宰相付きの書記官になったライオネルは、ウォルターとは六年も前からの腐れ縁だ。武官にはとことん向いていなかった男だが、文官としてはどうやら優秀だったらしく、順調に自らの足場を固めつつあった。
妙に素直で野心の無い性格だけは相変わらずで、まさにそこが宰相に気に入られて、日々扱かれているのである。
(この間さぁ。幽霊が怖いって言ったら、宰相閣下に大爆笑されたよ)
(お前、いい年してまだ怖いのかよ……)
(仕方ないだろ。嫌なものは嫌だし、怖いものは怖いんだよ)
(幽霊より、生きている人間の方が、余程ひどい時があるけどな)
(宰相閣下も同じようなことを言っていたなぁ。でも、僕は、やっぱり、幽霊より生きている人間の方が好きなんだよ)
くだらない軽口を叩き合っていた二人の姿を思い出す。
ダレルの中で、不快感は更に増していった。




