解き放たれた悪魔2
暗闇の中に、ぽつりぽつりと、橙色の光が灯る。取るに足らない、塵にも等しい、無力で無害な精霊だが、洋燈の代わりくらいにはなりそうだ。
レオンは手を伸ばし、精霊を掴もうとした。精霊は、彼の拳をすり抜け、何事も無かったかのように漂い続ける。
やはり触れられるものではないらしい。
では、これは?
レオンは紛い物の命の石を取り出した。それを翳すと、精霊はあっという間に吸い込まれて消えた。唯一の光源を失って、辺りに真の暗闇が満ちる。
「……取り込んだか」
白い精霊に触れられた時、虹石の模造品はその力を失った。艶のある漆黒が、一瞬のうちに、ありふれた硝子玉の色になった。
だが、石は割れなかった。石はいわば箱のような存在だった。箱の中身が、ただ奪われただけ。
石は空になった自らを満たそうと、また精霊を喰らい始めた。
一体、二体、三体……喰らうごとに深い闇色を取り戻し、輝きを増し、そしてレオンの力を高めていった。
「スウェン……お前は天才だよ」
レオンは笑った。おかしくてたまらなかった。
この石を与えてくれた礼に、惚れぬいた女と一緒に冥府に送ってやろうと思ったのに、それをあの忌々しい黒騎士が助けたという。
奴はいつも邪魔をする。銀の魔女も、緑の魔法使いも、伯爵令嬢も、助けたのは、あの男だ。
そうして味方を増やし、さも当然という顔をして、賑やかな輪の中心にいる。何もかも持っているくせに。
頑健な肉体、他者に認められた地位と職、共に並び立つことの出来る友。
そして、命懸けで愛する女と、命を捨てて愛してくれる女。
「レオン、いるの? ……って、何? 真っ暗」
窓のない部屋のドアが開いた。ランプを持って踏み込んできたのはシエネだった。
最悪の出会い方をしたにも関わらず、なぜかレオンの周りをうろうろする。スウェンに引き会わせてくれたのも彼女だった。変わった女だと思う。
「スウェン、貴方を探しているみたいよ。顔出さなくていいの?」
「奴は、俺からこの石を取り上げるつもりで探しているだけだ」
「えっ? でも、その石が無くなったら、貴方は」
「死ぬだろうな」
シエネは眉を顰めた。彼女は詳しいことは何も聞かされていないのだ。混乱しているのだろう。
「その石、何か欠陥が見つかったとか。だから取り替えるつもりなんじゃ……」
「違う。実験が終わっただけだ」
「実験? 何の」
「命の石の模造品の」
シエネは首を傾げた。
「でも、模造品はまだ完成していないでしょう? 完成したら、私に教えてくれるはずだもの。石が出来れば、レテから母と姉を呼べるって」
「石が完成することはないだろうな。スウェンは模造品の研究はやめたそうだ」
「えっ!」
だから、レオンの手元にあるものが、正真正銘、最初で最後の「持ち主を選ばない」命の石だ。二度と手に入らない、代わりは存在しない、唯一無二の魔法使いの至宝だ。
これを手放すつもりなど毛頭ない。
「そう……。やっぱり、私たちがレテに縛られない日なんて、来ないのね」
シエネが吐き捨てるように言った。怒りと諦めの感情が、水面に投じた波紋のように伝わってくる。
レオンはシエネの手を取った。この女は使える、そう思った。
「スウェンの研究は俺が引き継ぐ。お前も手伝ってくれ」
「えっ……でも」
シエネは手を引っ込めようとした。レオンは離さなかった。
「あの火災の時、スウェンがこれまでに纏めたものは、全て持ち出した。奴は焼けてしまったと思っているが。十一年間、あの男が調べ続けた研究内容は、今、俺のもとにある」
シエネの中の迷いが、疑念が、少しずつ氷解して行くのが、わかった。
彼女もまた孤独なのだ。レテから遠く離れた地に一人住み、信頼できる友も、支えてくれる家族もいない。
だからと言って故郷に帰りたいかと問われれば、決してそんなことはなく、シエネはレテを窮屈な鳥籠と呼んでいる。
「手伝ってくれ。お前が必要なんだ」
レオンが予想した通り、孤独な女は、必要という言葉に弱かった。
シエネは戸惑いつつも頷いた。危険を感知する魔女特有の勘は、レオンの強い魔力に妨げられて、働かなかった。
「わかった……手伝うわ。だから、命の石の模造品……ううん、本物の命の石、作って」
持ち主を選ぶ虹石こそ、偽物だ。持つ者と持たざる者の間に、決定的な溝を穿つ。
だから、彼の手にある黒い玉こそ本物なのだ。そう考えると、シエネはすうっと気持ちが楽になった。
魔女が一人手のうちに落ちたことを確信し、レオンは、出会ってから初めての笑顔を彼女に向けた。
「約束しよう」
2章終了です。
ここまで読んで頂いて、ありがとうございます。
3章は……前半らぶらぶしていますが、中盤以降はどたばたです。
巻き込まれ属性の高い主人公たちですが、長い目で見守ってやって下さい^^;




