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魔女と騎士  作者: 宮原 ソラ
2章
33/57

解き放たれた悪魔1


 九月も半ばになると、茹だるような夏の暑さも、随分と和らいだ。

 ほどよく湿気の抜けた爽やかな風に、少し伸びてきた髪をなびかせて、ユリアは一生懸命に石畳の上を駆けていた。

 ふと思い立って天を仰ぎ見ると、そこには目に沁みるような鮮やかな青が広がり、雲の高さに秋の訪れを感じることが出来た。

 エメラインからお茶会の招待状が届いたのは、三日前のこと。枯れないように加工を施した薔薇の花と、直筆の手紙が添えられていた。

 スウェンの怪我も大分回復し、火災の後始末も一段落し、ようやく少しお茶を楽しむ余裕が出来たと、どことなく弾んだ文字で綴られてあった。

「良かった……」

 あれから何度かエメラインに会ったが、もう纏わりつく影は見えなかった。あの夜の白い精霊が、全て連れ還ってくれたのだろう。


「白の君……ありがとうございます」


 まだ幼いころ、初めて白い精霊を呼んだ時、名を聞くと、精霊は白の君とでも呼べと答えた。自分は精霊の中でも非常に特殊な存在であり、その名はレテの古代語をもってしても、正しく発音することなど出来るはずがないのだからと。

 だから以後、ユリアはその精霊を白の君と呼んでいた。そして特殊な存在であるらしい白の君は、さらにユリアに条件を出してきた。

 自分を呼べるのは、生涯に三度だけだと。三度目の召喚においては大きな代償を求めることになるため、決して、三度、力を行使してはいけないと。


「もう、あなたのお手を煩わせることは無いと思います……」

 

 澄み切った青空を背景に、オスカレイクの豪奢な邸宅が見えてきた。

 贅を凝らした門を潜り、整えられた庭を抜け、見上げるだけで圧倒されてしまう大きな扉の前に立つと、出迎えに現れてくれたのは、執事でも召使でもなく、エメライン伯爵令嬢その人だった。

「待っていたわ、ユリア」






「スウェンが、貴方がた二人に、どうしても話しておきたいことがあるそうなの」

 エメラインに案内された先は、珍しい紅茶と菓子が用意された中庭ではなく、魔法使いの私室だった。

 魔法で回復を早めたらしく、肩の怪我も頭部の傷も既にない。松葉杖をついている以外は、ほんの三週間前まで重体の身だったとは思えないしっかりとした様子で、彼はユリアに椅子を勧めた。

「わざわざお呼び立てして申し訳ありません。エメラインがお茶会を開くと言ってきかないもので、それに便乗させていただきました」

 間もなくウォルターが現れた。彼もスウェンの回復ぶりに驚いたらしい。軽く目を見張った。

「大したものだな」

「もともと、医療系の術の方が得意なのです。……あまり使わないようにはしていますが」

「そうなのか? 便利そうだが」

「人に掛ける術というのは、強すぎる薬と同じなのです。限度を超えると、副作用に苦しむことになります」

「なるほど……」

 スウェンは一度ドアを開け、廊下に人がいないことを確かめると、また閉めた。鍵をかけ、扉の取手にも音を遮断する魔法を施すと、あらためて二人に向き直った。

 ぴりぴりとした空気を感じてか、ウォルターがちらりと窓の外に視線を走らせる。スウェンはその窓にも更に何らかの魔法をかけた。


「こみいった話のようだな」

「はい。その上、気分の良い話でもありません」






 スウェンは語った。彼がこれまで手掛けてきた、おぞましい研究について。

 行き場を失い彷徨う精霊たちを捕らえ、伝説の合成獣(キマイラ)さながら一つに纏める魔法。それを実体化させ、操る秘術。


 そして、まがい物の命の石。


 ウォルターは魔法については素人だが、素人なりに、精霊たちを弄ぶやり方には大いに疑問を感じた。

 しかし、命の石の模造品については、むしろそれこそが諦めずに続けるべき永遠の課題ではないかと思った。

 たまたまユリアが二つ目の石を作るのに成功したから共にいられるが、下手をしたら、六年前に別れたきり二度と会えない可能性もあったのだ。

 ユリアの件を別にしても、閉じ込められ抜け出せない魔法使いはレテに山ほどいるのだろう……。命の石の模造品は、そんな彼らにとって、まさに希望の光そのものではなかろうか。

「命の石、などという大層な物ではないのです、あれは。確かに、私たちが生きるために必要なものを、供給してはくれますが」

 レテの魔法使いが、レテでしか長く生きられないのは、彼らが肉体を維持する上で不可欠なものが、レテにしかないからだ。それは、根源、あるいは源の力とも呼ばれ、魔法使いたちにとっては、食料や水、空気と、限りなく同義のものであった。


「先ほど、複数の精霊を一つにまとめ、実体化させた話をしましたね。模造品が、まさにそれなのです。あれは、レテの源の力を織り込みながら自らの魔力を結晶化させた虹石とは、似ても似つかない……。雑多な精霊を手当たり次第に掻き集めた、ただの力の塊なのです」


 あの夜の、悪夢の中から這い出てきた奇怪な化け物が脳裏を過ぎり、ユリアは思わず身震いした。

 ぶよぶよとした、分化する前の臓器のような巨体がのしかかってきた時、ただ心を占めていたのは、純粋な恐怖だった。恐ろしくて、怖くて、逃れたい一心で、無我夢中で白の君を呼んだのだ。

 結果として誰一人命を落とすことなく混乱は収束したが、代わりに大きな屋敷を丸ごと大破させてしまった。

 スウェンは、それはユリアのせいではないと言ってくれているが……。


「本題はここからです」


 スウェンの声に、ユリアははっと現実に引き戻された。

 過去の苦い経験にうち沈んでいる場合ではなかった。スウェンは、自らの恥ずべき部分も曝け出して、彼が持てる情報の全てを伝えてくれようとしているのだ。一言一句聞き洩らさないのが、せめてもの礼儀だろう。

「今、命の石の模造品は、レオンという傭兵の手の内にあります。彼ははぐれですが、相当に強い魔力の持ち主です。恐らく、私やユリアを上回るほどの……。あの模造品は、無尽蔵に精霊を吸収してしまう性質を持っているのです。取り込めば取り込むほど、強さを増してゆきます」


 無尽蔵に精霊を吸収する。


 その事実に、ユリアはもちろん、ウォルターまでもが凍りついた。

 しんと静まり返った部屋の中、どこか虚ろなスウェンの声だけが、いやに大きく響いて聞こえた。


「私は、とんでもない怪物を、世に放ってしまったかもしれません……」



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