裁きの光
屋敷が、庭が、その外の街並みまでもが、大きく揺れた。
ありとあらゆる硝子窓が砕け、シャンデリアが落ち、浮き上がった家具が倒れた。
屋敷には、スウェンが実験室として使用していた部屋が幾つもあり、当然その中には危険な道具も多々あった。
黒い油を並々と湛えた甕が割れ、中身が流れ出した。壁に掛けられていた松明がその中に落ちると、炎はたちまち勢いよく燃え出して、辺りを縦横無尽に暴れ回った。
空気に触れただけで破裂する粉を厳重に保管していた金属箱に、炎はついに魔の手を伸ばした。熱せられた粉は空気に触れずとも凄まじい爆発を引き起こし、屋敷はついに一面火の海に包まれた。
「……くっ」
何が起きたかわからなかった。めくるめく閃光に瞳を焼かれ、なかなか視界が戻らない。
燃え盛る炎の音と熱、焼け焦げる臭いで、火災が起きているのは理解できるが、あまりにも一瞬で、スウェンとても思考が追いつかなかった。ユリアが何かとんでもない事をしでかしたのは間違いないが、それを確かめる術もない。
(一瞬で吹き飛んだ……あの数の精霊が)
体を起こそうとして、左足と右肩に激痛が走る。慎重に確かめたが、どちらも骨が折れているようだった。ぬるりとするものが額から頬へ、顎へと滴り落ちて行く。舌で舐め取ると、鉄錆の味がした。頭も切っているらしい。
(さすがにこの傷は……動けるか……?)
苦痛を和らげる魔法を使ってみたが、手応えがまるで無かった。どうやら魔力が失われているようだった。水鏡越しとはいえ、あの強烈な白い光を全身に浴びたのが良くなかったのかもしれない。
時間さえ経てば回復するだろうか……。
(万事休す、だな)
炎が迫りくる。黒煙が出入口を塞ぎつつあった。
スウェンは床に仰向けになり、天井を見上げた。逃げようとは思わなかった。どのみち足は使い物にならない。今さらじたばたして、意地汚く生き残りたくもなかった。
(罰だ)
レテの民でありながら、精霊を裏切った。精霊の友である魔女を、陥れようとした。
あの白い爆発は、きっと、裁きの光だろう。火刑は愚かな魔法使いには相応しい。
「スウェン!」
聞き覚えのある声に、霞の掛かっていた意識が一気に覚醒した。反射的に首を動かすと、炎の中、エメラインが立っていた。
白い光が辺りを覆い尽くしたとき、エメラインとレオンは同じ部屋の中にいた。
魔女を痛めつける算段を得意そうに令嬢が話し、傭兵はそれをうんざりと聞いていた。罵詈雑言は綺麗に右から左へと流していたので、内容はほとんど覚えていないのだが、とにかく不快だったことは間違いない。
(呪いか……ここまでおかしくなるとは)
エメラインだけではなかった。側仕えのスウェンもまた、影響を受けていた。これに気付いたのはレオンだけだ。良くも悪くも、彼は「視え過ぎる」ことが多々あった。
魔法に対する抵抗力の高いスウェンは、令嬢のように顕著に言動に現れてはいないが、彼女に対する執着、そして命の石に対する執着が、それを物語っているように思えてならなかった。
(それも全て消えた……)
白い光の洪水は、何もかも、一気に押し流した。魔法使いが作り出した化物も、伯爵令嬢の中に長いこと巣くっていた、底知れぬ悪意も。
ユリアが呼び起こした光が何なのか、レオンにはわかる気がした。あれは、恐らく、高位の精霊だ。説得して諌める、などとまどろっこしい方法ではなく、全く別の高位の精霊を召還して、問答無用で取り残された下位のものたちを蹴散らしたのだ。
大人しい娘に見えたが、なかなか面白い事をしてくれる。
スウェンだけではなく、これにはレオンも驚かされた。しかも、伯爵令嬢まで正気に返すという、大した副産物つきだ。エメラインに憑りついていた影までも、白い精霊は、根こそぎ捕らえて連れて還ってしまった。
(火が……)
そろそろ脱出しなければまずいだろう。彼は放心したように座り込むエメラインを見下ろした。担ぎ上げて、一緒に逃げることも出来る。だが、彼はそうしなかった。
「……お前の魔法使いは、間もなく死ぬぞ」
効果はてきめんだった。虚ろな瞳に、力が戻る。よろよろとエメラインは立ち上がった。毅然と顔を上げ、レオンを睨み上げるその眼差しには、確かな理知の光があった。
「彼はどこ?」
「さぁな。屋敷中探せば、見つかるんじゃないか?」
エメラインは眉を顰めた。彼女は踵を返した。辺りを真っ赤に染め上げる火に一瞬怯んだが、意を決すると、自らその中に飛び込んだ。
「スウェン……!」




