模造品の命の石
「これでいいか?」
男は、まるで要らない荷物のように、小脇に抱えた意識のない子供を放り投げた。
下は毛足の長い絨毯とはいえ、打ち所が悪ければ、痛みもあるし怪我もする。あまりに乱暴なやり方に、スウェンは思わず男に非難の眼差しを向けた。
「手荒な真似はやめて下さい」
「今からこいつに呪いをかけようって奴が、なに寝言言ってやがる」
男はふんと馬鹿にしたように笑った。全くその通りだったのでぐうの音も出なかったが、スウェンはそれでも何とか反論の声を絞り出した。
「……命を取る気はありません。怪我をさせる気も」
「死んだって、誰も何も言わないがな。そういうのを攫ってきた」
目の前にいる傭兵に、貧民窟から子供をさらって来いと命じたのはエメラインだ。スウェンの役割は、その子供に呪いをかけ、助けに来るであろう銀の魔女を、罠にはめること。
何とも後味の悪い仕事だが、エメラインの命令であるから仕方ない。わざわざ手の込んだことをして、ユリアを屋敷におびき寄せるということは、ただ邪魔者を消し去るだけでは気が済まないということだろう。どんな残忍なことを目論んでいるか、考えただけで寒気がする。
「あの気違い女、俺に魔女を犯せと言ってきたぞ」
傭兵の言葉に、一瞬、視界が傾くような気がした。努めて冷静に口を開こうとしたが、声が揺れるのを止められない。
「……貴方は、その命令に従うのですか」
「まさか。騒ぐ女を押さえ付けるのも、意識のない女を抱くのも、趣味じゃない」
目の前の傭兵が、妙な性癖の持ち主でなくて良かったと思う。老若男女わけ隔てなく容赦のない男だが、言っていることは極めてまともだ。
いや、まともでないのはむしろエメラインと自分の方だろう……貧民窟の子供を攫ってきて呪いをかけるなど、もはや人間の所業ですらない。
「わからんな。お前ほどの魔法使いが、なぜあんな狂った女にこだわる」
傭兵の問いには、本人とても答えられなかった。何ででしょうね、と、スウェンはひどく投げやりな気分になって、肩をすくめた。
不意に、どん、と天井の向こうで大きな音がした。
彼らはオスカレイク邸の三階にいた。上にはもう屋根しかない。悪巧みの最中ということもあり、二人は音の出所が気になった。
天井を見上げていた傭兵が、床を蹴る。不自然にその長身の体躯が持ち上がり、宙に浮いた。彼は天窓を押し上げた。屋根の上には何もない。鳥でもぶつかったのだろう。
「大したものですね」
スウェンが感心する。傭兵は何事も無かったかのように床の上に戻った。
「まだ一か月なのに……」
シエネ、という知人から知らせを受けて、スウェンがこの「はぐれ」の傭兵を保護したのは、一か月前のことだ。
寿命が尽きかけていた彼は、髪も肌も真っ白で、瞳もまた極端に薄い灰色だった。個人差はあるが、虹石の無い魔法使いが長い期間レテを離れると、このような症状が現れることがある。
時間がないことを察したスウェンは、やむを得ず、まだ研究段階だった命の石の模造品を彼に渡した。
レテを離れてからの十一年間、スウェンが研究し続けていたのが、それだった。
彼は、命の石を持つ魔法使いにしか自由がないことに、前々から憤りを感じていた。彼の年の離れた姉が、石無しの魔女であるにも関わらず自由を求めてレテを離れ、遠い異郷で死んだことも、心に影を落としていたのかもしれない。
彼は虹石を作りたかった……。誰でも持てる、命の石を。
「浮遊ってのは便利だな。それに前よりも楽に魔法が使えるようになった」
「普通は、これほど短期間で浮遊の術は使えませんよ。レイド……いえ、レオン」
レイドが偽名だったことを思い出し、スウェンは素早く言い直した。
「風の精霊の力の一部を、瞬時に取り込まなければならないのですから、当然熟練が必要です。……正直、早すぎると思っています」
「面倒くさい奴だな。使えりゃ問題ないだろう」
「言ったはずです。貴方に渡したのは、まだ研究段階の模造品だと。どんな影響があるか、私にもわかりません」
「これか」
レオンは懐から石を取り出した。
それは、本物の虹石とは似ても似つかない色を持っていた。闇と影を溶かしたように、漆黒なのだ。よくよく見れば、微睡む蛇がゆっくりと蠢く様にも似た、不気味な胎動すら感じられる。
「どちらでも構わんさ。本物でも、偽物でも。……いや、こいつが偽物でないことは、今の俺が証明してやれるがな」
レオンは、自分の前髪の一部をつまんだ。
二十歳を過ぎるころから色が抜け始めた白い髪は、蜜のような黄金色に戻っていた。冬の曇り空色の瞳は、本来の深い紫が蘇り、既に以前の幽鬼めいた面影はない。
「その姿が、本来の貴方のようですね」
「ああ。……忘れていたがな」
このまま、悪い影響もなく、命が続いていけばいい。スウェンはそう思った。
一方で、何の罪もない銀の魔女の命を奪おうとしている自分の愚かしさに、その矛盾に、どうしようもないやるせなさを感じた。
「ユリア……。出来れば、貴女に、来てほしくない」
けれど、優しいあの魔女は、呪いをかけられた人間と狂った精霊を助けるために、きっと、この敵地に乗り込んで来るのだろう。




