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魔女と騎士  作者: 宮原 ソラ
2章
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模造品の命の石


「これでいいか?」

 男は、まるで要らない荷物のように、小脇に抱えた意識のない子供を放り投げた。

 下は毛足の長い絨毯とはいえ、打ち所が悪ければ、痛みもあるし怪我もする。あまりに乱暴なやり方に、スウェンは思わず男に非難の眼差しを向けた。

「手荒な真似はやめて下さい」

「今からこいつに呪いをかけようって奴が、なに寝言言ってやがる」

 男はふんと馬鹿にしたように笑った。全くその通りだったのでぐうの音も出なかったが、スウェンはそれでも何とか反論の声を絞り出した。

「……命を取る気はありません。怪我をさせる気も」

「死んだって、誰も何も言わないがな。そういうのを攫ってきた」

 目の前にいる傭兵に、貧民窟から子供をさらって来いと命じたのはエメラインだ。スウェンの役割は、その子供に呪いをかけ、助けに来るであろう銀の魔女を、罠にはめること。

 何とも後味の悪い仕事だが、エメラインの命令であるから仕方ない。わざわざ手の込んだことをして、ユリアを屋敷におびき寄せるということは、ただ邪魔者を消し去るだけでは気が済まないということだろう。どんな残忍なことを目論んでいるか、考えただけで寒気がする。

「あの気違い女、俺に魔女を犯せと言ってきたぞ」

 傭兵の言葉に、一瞬、視界が傾くような気がした。努めて冷静に口を開こうとしたが、声が揺れるのを止められない。

「……貴方は、その命令に従うのですか」

「まさか。騒ぐ女を押さえ付けるのも、意識のない女を抱くのも、趣味じゃない」

 目の前の傭兵が、妙な性癖の持ち主でなくて良かったと思う。老若男女わけ隔てなく容赦のない男だが、言っていることは極めてまともだ。

 いや、まともでないのはむしろエメラインと自分の方だろう……貧民窟の子供を攫ってきて呪いをかけるなど、もはや人間の所業ですらない。

「わからんな。お前ほどの魔法使いが、なぜあんな狂った女にこだわる」

 傭兵の問いには、本人とても答えられなかった。何ででしょうね、と、スウェンはひどく投げやりな気分になって、肩をすくめた。


 不意に、どん、と天井の向こうで大きな音がした。


 彼らはオスカレイク邸の三階にいた。上にはもう屋根しかない。悪巧みの最中ということもあり、二人は音の出所が気になった。

 天井を見上げていた傭兵が、床を蹴る。不自然にその長身の体躯が持ち上がり、宙に浮いた。彼は天窓を押し上げた。屋根の上には何もない。鳥でもぶつかったのだろう。

「大したものですね」

 スウェンが感心する。傭兵は何事も無かったかのように床の上に戻った。

「まだ一か月なのに……」

 シエネ、という知人から知らせを受けて、スウェンがこの「はぐれ」の傭兵を保護したのは、一か月前のことだ。

 寿命が尽きかけていた彼は、髪も肌も真っ白で、瞳もまた極端に薄い灰色だった。個人差はあるが、虹石の無い魔法使いが長い期間レテを離れると、このような症状が現れることがある。

 時間がないことを察したスウェンは、やむを得ず、まだ研究段階だった命の石の模造品を彼に渡した。


 レテを離れてからの十一年間、スウェンが研究し続けていたのが、それだった。


 彼は、命の石を持つ魔法使いにしか自由がないことに、前々から憤りを感じていた。彼の年の離れた姉が、石無しの魔女であるにも関わらず自由を求めてレテを離れ、遠い異郷で死んだことも、心に影を落としていたのかもしれない。


 彼は虹石を作りたかった……。誰でも持てる、命の石を。


「浮遊ってのは便利だな。それに前よりも楽に魔法が使えるようになった」

「普通は、これほど短期間で浮遊の術は使えませんよ。レイド……いえ、レオン」

 レイドが偽名だったことを思い出し、スウェンは素早く言い直した。

「風の精霊の力の一部を、瞬時に取り込まなければならないのですから、当然熟練が必要です。……正直、早すぎると思っています」

「面倒くさい奴だな。使えりゃ問題ないだろう」

「言ったはずです。貴方に渡したのは、まだ研究段階の模造品だと。どんな影響があるか、私にもわかりません」

「これか」

 レオンは懐から石を取り出した。

 それは、本物の虹石とは似ても似つかない色を持っていた。闇と影を溶かしたように、漆黒なのだ。よくよく見れば、微睡む蛇がゆっくりと蠢く様にも似た、不気味な胎動すら感じられる。

「どちらでも構わんさ。本物でも、偽物でも。……いや、こいつが偽物でないことは、今の俺が証明してやれるがな」

 レオンは、自分の前髪の一部をつまんだ。

 二十歳を過ぎるころから色が抜け始めた白い髪は、蜜のような黄金色に戻っていた。冬の曇り空色の瞳は、本来の深い紫が蘇り、既に以前の幽鬼めいた面影はない。

「その姿が、本来の貴方のようですね」

「ああ。……忘れていたがな」

 このまま、悪い影響もなく、命が続いていけばいい。スウェンはそう思った。

 一方で、何の罪もない銀の魔女の命を奪おうとしている自分の愚かしさに、その矛盾に、どうしようもないやるせなさを感じた。


「ユリア……。出来れば、貴女に、来てほしくない」


 けれど、優しいあの魔女は、呪いをかけられた人間と狂った精霊を助けるために、きっと、この敵地に乗り込んで来るのだろう。



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