緑の魔法使い
「何か買ってやるよ。……奥さん?」
心臓が口から飛び出しそうな発言をしておいて、ウォルターがユリアを連れて行ったのは、中古の家具屋だった。
使い込まれて飴色に輝く家具類は、確かに目の保養にはなるが、贈り物としてはいささか違和感を拭えない。密かに花や装飾品などを期待していたユリアは、騎士の意図がわからず首を捻るばかりだった。
「あの……」
「必要だろう? 仕事を受ける場所に、椅子とテーブルくらいないと」
「えっ」
魔女の店の一階には、商品はおろか何もない。物を売るわけではないから、ユリアは特に気にしなかったが、もし魔法具を依頼しに客が来たら、彼らを座らせる場所もないのだった。
ウォルターの言う通り、確かに椅子とテーブルくらいは必要だ。グラスよりも急務かもしれない。欲を言えば、コート掛けや傘立て、仕切り用の衝立などもあった方が良いだろう。
「必要……ですね。そういえば」
店の主人である魔女よりも、部外者のはずの騎士の方が、余程しっかりしているようだ。居たたまれない気分になって、思わずどんよりと自己嫌悪に陥るユリアの隣で、ウォルターはてきぱきと家具屋の主に指示を出していた。
「そのイスとテーブル、それに長椅子。敷物も。それから……」
「え、いえ、あの!」
ユリアが慌てて割って入った。
自慢にもならないが、今のユリアには先立つものが一切ない。家具一式をまとめて購入するなど、逆立ちしても不可能だ。手も足も出ませんと訴えると、ウォルターが不思議そうな顔をする。
「言っただろ。買ってやるって」
「え。えぇ!?」
「趣味にあわない物もあるだろうから、それはおいおい揃えていけばいい。とりあえず急場しのぎだ」
「そ、そ、そんな訳には!」
「いいから」
手伝わせてくれ、と、騎士は言った。
六年前に失った物を少しでも取り返す、その手助けがしたいのだと。
「手助けなんて。私の方こそ助けてもらいました。あの村で捕まった時……」
「お前を助けたわけじゃない。あれは仕事だ。俺たちの……黒騎士団の」
「でも」
「六年前の礼がしたいんだ。ユリア」
そう言われると、断りにくい。やっぱり駄目ですと首を横に振ったところで、義理堅い騎士は引かないだろう。
素直に好意に甘えることにして、ユリアは店長が売約済の札を家具類に吊り下げるのを見つめていた。
あれらが入れば、建物の中はがらりと雰囲気が変わるだろう。趣味にあわないとウォルターは言ったが、彼が選んだ物は不思議とユリアの好みに副うていた。
「ありがとうございます」
礼を言いながら、不意に、どうしようもない寂しさを覚える。
優しくしてくれるのは、ユリアが彼の恩人だから。物を惜しげもなく買い与えてくれるのは、それが六年前の礼だから。
(でも、私は……)
恩義から来る立派な家具よりも、何のしがらみもない一輪の花の方が良かったと、そんな不届きな考えが脳裏を過ぎり、ユリアは自分を密かに責めた。
一階の外玄関に取り付けた呼び鈴が鳴った。
二階の居室で空のオーブに魔法を詰めていたユリアは手を止めて、階段の上から階下を覗き込んだ。すっかり事務所らしく体裁を整えた室内に、来客者の姿がある。
「あ。すみません。今行きます」
声をかけると、躊躇わず階段の上から飛び降りた。ふわりと浮き、一階の床に音もなく着地してみせたが、来客者の男は特に驚いた様子もない。懐かしいですね、と、彼はむしろ微笑んだ。
「私もレテではよく屋根や階段の上から飛び降りて、親に怒られていました」
「私も、この間、ある人に怒られてしまって……。でも、今は、大丈夫かなって思いました」
「そうですか……。わかりますか」
「はい」
青年は、いつかのユリアと同じようにフードを被っていたが、それを脱いだ。
現れた薄茶の髪と草色の瞳の組み合わせは、懐かしいレテの森の彩りに似ていた。穏やかな声音に相応しくその顔だちもまた優しげで、すらりとした立ち姿が、夏の盛りの樫の若木を思わせた。
「スウェンと申します。レテの同胞に祝福を」
「ユリアです。レテの導きに感謝を」
レテの民しか知らない挨拶を交わすと、二人はどちらともなく笑い合った。
店内を新調してから一番最初のお客さんだと思いながら、ユリアは彼に椅子を勧めた。
「ええと、何をお作りしましょう?」
「いえ。魔法具の作成依頼ではないのです」
ユリアは首をかしげた。看板も無いこの店を訪れたのだから、てっきりヴァルトから聞いて魔法具の作成に来たのかと思ったのだ。……が、よく考えてみれば、目の前にいる彼もまた魔法の力を司る者。大概のものは自分で作れてしまうだろう。
「あの、では、どういったご用件でしょう?」
「内容を言う前に、まずはお約束して頂けますか。この件に関しては他言無用です」
「もちろんです。お客様のことを、他の人に喋ったりはしません」
何か少々複雑な経緯のある依頼のようだ。ユリアはテーブルの下で手を握り締め、居住まいを正した。
「依頼は……呪いの解除です」
スウェンの言葉に眼を見張る。半ば反射的に、ユリアは首を振っていた。
「私……私には無理だと思います。呪いなんて……扱ったことがありません」
レテの正統な魔法に、人を呪う術はない。高潔で純朴なレテの魔法使いたちは、魔法を人を苦しめる目的だけに使うことを潔しとはしなかった。
だが、ひとたびレテを離れれば、魔法はその形を大いに変化させて今に伝わる。
そのほとんどが、虹石持たぬ魔女たちの仕業であった。長い長い年月の間に、彼らは古き言語を歪め、その歪められた言語で精霊たちを陥れ、そして時には帰る道筋を閉ざして精霊を放置した。
現在、呪いと呼ばれるものは、取り残され狂った精霊を使役する術のことを指す。精霊はこちらの世界では消滅することも出来ないので、呪いを解く方法はおのずと限られ、しかも困難を極めた。
すなわち、精霊をあるべき姿に戻し、あるべき世界に還すこと……。
「ごめんなさい。せっかく来て下さったのに……お役に立てそうもありません」
「結論は急ぎません」
項垂れるユリアに、スウェンは優しく声をかける。小さな封書をテーブルの上に一枚置くと、彼は椅子から立ち上がった。
「私の連絡先が記してあります。……報酬についても」
戸惑うユリアの手に、彼は封書を握らせた。
「こうしている間にも、呪いをかけられた者と、狂った精霊は苦しみ続けています。……貴女はきっと来て下さる。信じています。レテの魔女ユリア」




