表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔女と騎士  作者: 宮原 ソラ
2章
23/57

伯爵令嬢2


 幼いころから、エメラインにはよくない性癖があった。

 彼女は人のものを欲しがった。手に入りにくい物を好んだ。

 たとえば、使用人が大切に飼っていた賢い犬。父親が、もっと血統の良い、もっと毛並みの良い、もっと若い犬を飼ってやると言っても、彼女はその犬が良いと言う。

 仕方なく、伯爵は使用人から犬を取り上げ娘に与えたが、賢い犬は、賢いゆえに決して令嬢に懐かない。元の飼い主を慕って、何度も脱走を試みる。令嬢はそれでも犬を慈しもうとしたが、二年が経った頃、ついに懐かない犬への憎しみが歪んだ愛情を凌駕した。

 令嬢は犬を殺し、その殺した犬の死体を、元の飼い主に埋めさせた。


 懐かない犬が悪いのよ。懐かせない元飼主が馬鹿なのよ。

 彼女は笑顔でそう言った。


 だが、これは、スウェンがオスカレイク伯爵邸に来る前の話だった。伯爵は、可愛い一人娘の奇行が決して外に漏れ出ぬよう、箝口令を徹底した。

 だからスウェンは知らなかった。多少気位が高いが、美しく愛らしい普通の貴族の娘だと思っていたのだ。


 ……六年前の、あの日までは。


 冬に入る手前の、冷たい雨の降る夜だった。あまりに底冷えする空気に耐えかねて、部屋着を二枚も重ねた上に毛布を被り、スウェンは自室の机に向かっていた。

 市で手に入れた魔法書を検証していたのだ。圧倒的に紛い物が多いが、中には本当に有効な術を記したものもある。使えそうなものがあれば、それを正しいレテの古代語に直して、新たな本に纏めていた。

 さすがに疲れてそろそろ休もうかと時計を確かめたとき、何の前触れもなく、扉が開いた。

「お嬢様?」

 そこに立っていたのはエメラインだった。この寒いのに夜着姿で、剥き出しの肩には防寒具の一枚も掛けていない。髪は何の飾りもなく背に流し、化粧気のない素顔をさらしていた。

「どうしました。こんな夜分に」

 冴え冴えとした月明かりに浮かび上がる白い貌は、化粧などなくても十分に美しかった。彼女が一歩足を進めると、艶めかしい若い肢体を隠すには明らかに不十分な薄い布地が、さらりと流れた。

「……寂しいの」

 と、彼女は言った。

 夫が亡くなって、まだ一年も経っていない。愛する人を思い出して気分が塞いでいるのだろう、と、こんな夜更けに尋ねてきた理由を、スウェンは努めて好意的に解釈しようとした。

「眠れないのですね。何か温かい飲み物でも作りましょう。応接間の方でお待ちください」

 令嬢は、出歩くには相応しくない格好をしていたので、スウェンは自分のマントを棚から引っ張り出し、肩に掛けてやった。部屋の外に連れ出そうとしたが、なぜか令嬢はその場を動こうとせず、マントも邪魔だと言わんばかりに脱ぎ捨てた。

「エメライン様?」

「エメラインって呼んで」

 令嬢はさらに一歩前に進み出て、扉を後ろ手に閉めた。鍵をかけた。スウェンの首に腕を回し、その柔らかな体を押し付ける。

 スウェンは慌てて引き剥がそうとしたものの、うまく力が入らなかった。温かい吐息を耳元に感じ、一気に体温が跳ね上がった。


「ねぇ、スウェン。あなた、私のこと好きでしょう?」


 ぎゅ、と、心臓を鷲掴みにされたような衝撃だった。違います、と答えようとしたが、口が強張って声が出なかった。嫣然と微笑む令嬢から目が離せず、不器用に黙り込む。


「私のこと見ていたでしょう? 知っているのよ」


 見ていた……そう、確かに見ていた。エメラインが十五歳、スウェンが十四歳で、初めて出会ったその時から。

 だが、恋慕ではなかった。どちらかと言えば、それは崇拝に近かった。美しく自信に満ちた伯爵令嬢は、ずっと彼の憧れだった。彼女が結婚した時も、だから相手の男に嫉妬などしなかったし、彼女が寡婦となった時も、次は自分がなどという野心を抱くことはなかった。

 彼女は女神だったから、遥かに見上げて当然だった。しかし今、その女神は下界に降りて、一人の生身の女として彼の腕の中にいる。


「ねぇ、スウェン。……寒いの。温めて」


 何かがおかしいと、魔法使いの本能が囁いた。

 関わるな、逃げろ、と。


「スウェン……。抱いて。あなたのものにして」

「エメライン様……」


 本能の警告を、スウェンは無視した。

 堕ちてもいい。死んでもいいとすら、思った。

 ゆっくりと重なった二つの体は、やがて、もつれるように寝台に沈み込んだ。






 六年間、この奇妙な関係は続いた。

 亡き夫に似た若者を見つけ、彼こそが次の夫だと息巻いても、エメラインは以前と変わらずスウェンの部屋を訪れる。

 ある日とうとう背徳感に耐えかねて、もう来ないで下さいと魔法使いが訴えると、伯爵令嬢は笑いながらそれに答えた。

「気にすることはないのよ。お前は人ではないのだから、数のうちには入らないわ」

「人ではないって……」

「そうでしょう? 火を操り、水を統べ、風を起こす。そんな恐ろしい力を持ったモノが、人であるはずがないでしょう」

 令嬢は、スウェンの体にしな垂れかかり、いつものように彼を寝台の上に押し倒した。

「お前は、私が手に入れそこねた賢い犬なの。私の言うことを黙ってきいていればいいのよ」

 体の上を這い回る女の手を感じながら、スウェンは、この時はっきりと、自分が堕ちるところまで堕ちたのだということを、悟った。


「私のことが好きなのでしょう? 私もよ。大好きよ。大切な大切な…………私のスウェン」


 魔女がいた。

 どこか頼りなげな、たおやかな銀の魔女とは比べようもない、本物の魔女が、目の前に。

 魔法使いの自分が、魔力よりも強い何かに絡め捕られ、逃げられない。もがけばもがくほど、深みにはまる。

 泥沼にどっぷりと首まで浸かっているのを自覚しながら……それでも、この美しくも恐ろしい魔女と共に在りたいと、願ってしまう。


「私から逃げようなんて思わないで、スウェン。お前は私のもの。私だけのものなのよ」



R指定とか必要でしょうか……もしかして。

具体的な描写はほとんど出てこないものの、何というか雰囲気が(汗)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ