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魔女と騎士  作者: 宮原 ソラ
2章
22/57

伯爵令嬢1


 オスカレイク伯爵の一人娘であり、若き未亡人でもあるエメラインは、美しいと褒め称えられることに慣れていた。

 彼女の母親もまた類稀なる美女であり、彼女はその亡くなった母によく似ていた。母はもともと先王の寵姫であったが、オスカレイク伯爵が見初め、断罪も恐れず王に再三申し出て、下げ渡しという形で伯爵に嫁いだ異例の経歴の持ち主でもあった。

 美しいエメラインは、十代半ばになると、身分のある者も無い者もことごとく男たちを魅了したが、その中に、ただ一人だけ、彼女にほとんど関心を寄せない青年がいた。

 その青年はオスカレイク伯爵に仕える医師だった。エメラインより六歳上で、生真面目で実直な人物でもあった。

 伯爵令嬢は子供のころから彼が好きだった……好きで好きで、彼以外の男と結婚するなど考えられず、父親に泣きついて、ついに彼を夫に迎えることに成功した。

 だが、幸せは長くは続かない。エメラインが十九歳の時、夫は病気であっけなく逝った。わずか三年の結婚生活だった。

 エメラインは絶望した。闇の中を彷徨うような気分で、七年間を過ごした。再婚を勧められたが、頑なに拒み通した。血が絶えても良いと思ったほどだ。

 あの人はもういない。どこにもいない。私はこのまま修道女にでもなって永遠に亡き人を偲ぶのだ……長いこと抜け殻だった身に、しかし、思いがけず生気が戻る転機が訪れる。

(あれは……)

 アリストラの誇る三大祭、収穫祭の折り。にこやかに手を振る国王陛下の行列を警護する、騎士の一団。

 祭典用の近衛服に身を包み、無表情を装いつつ周囲に油断なく眼を配るその青年の姿に、エメラインの視線は釘付けになった。


(ああ……あなた!)


 そう叫ばずに堪えることが出来たのは、奇跡に近い。それほどまでに騎士の青年は、亡き夫によく似ていた。

(彼は誰? 名前は? 年は? ……教えて!)

 信頼のおける側仕えの者に調べさせると、その身許はすぐに判明した。

(黒騎士団所属……ウォルター・レアリングという者です)

(ウォルター……そう、黒騎士なのね。素晴らしいわ。妻帯しているのかしら?)

(いえ。独り身です。特定の女性の影もありません)

 エメラインは歓喜した。まずは知り合うきっかけを作ろうと、茶会を開き招待することにした。だが、騎士は辞退した。自分は武骨者で気の利いた会話の一つも出来ませんので、と。

 騎士は単に面倒くさかっただけだが、世辞ばかり上手い貴公子に常に囲まれていたエメラインの眼には、それは純朴な若者らしく、好ましく映った。亡き夫もまた、貴族の集まりなどに呼ばれると、同じようなことを言ってさらりとかわす人だった。

 騎士が気後れしないよう、エメラインは様々な人に声をかけた。男にも女にも平等に声をかけたつもりであったが、城内で身分ある者は圧倒的に男性の方が多いので、茶会の出席者は必然的に男ばかりとなった。

 そのうちに、エメライン未亡人が次の夫を探していると噂が立ったが、あながち間違いでもないので、エメラインは放っておいた。むしろ都合が良い。伯爵令嬢の婿探しとなれば、頑なな騎士もきっと興味を示してくれるだろう……。

(時間はかかっても、いつかは)

 そう信じていたのに、予想もしなかったことが、今、目の前で起きている。


(誰? あの女は、何?)


 月に一度開かれる骨董市を、エメラインもまた心待ちにしていた。

 供を一人だけ連れ、賑わいの中そぞろ歩くのが好きだった。匂い立つような美貌は隠し切れず、また、ただの街歩きであっても豪奢な装いに身を包んでいたので、すぐに、身分ある女性だとわかってしまうのだが。

 いつものように、店を冷やかし歩いていると、亡き夫の面影をそのまま伝える青年がそこにいた。喜び勇んで声をかけようとして、エメラインは凍りついた。彼の隣には……。


(誰?)


 みっともない女、と、エメラインは思った。何だろう、あの短い髪は。まるで男の子のようだ。しかもそれを隠すでもなく誤魔化すでもなく、堂々とさらして白日の下にいる。

 髪の短い女は、人混みにでも酔ったのか、青い顔で噴水の縁に座り込んでいる。騎士はいったんその場を離れ、飲み物を持ってすぐに戻った。

 娘はそれを受け取り、半分ほど飲んで、大丈夫、と言うように騎士に微笑みかけた。残ってしまった飲み物を持って、困ったように見つめていると、騎士がそれを取り上げた。躊躇いもなく口をつけ、中身を胃の中に収めて片付ける。

 彼が、髪の短い娘を大切にしているのが、手に取るようにわかった。

「魔女ですね、あの娘」

 立ち尽くす伯爵令嬢の隣で、供の男が言った。エメラインが目を見開く。

「魔法使い? あの女が?」

「はい」

「お前と同じ……レテの?」

「はい。間違いありません」

 ばちん、と、大きな音がした。エメラインが乱暴に扇を閉じたのだ。

 何に怒っているのか、供の男には手に取るようにわかった。エメラインは魔法使いを蔑視している。自分の想い人がよりにもよって魔女と宜しくやっているなど、許しがたい行為なのだろう。

「汚らわしい」

 と、伯爵令嬢は言った。供の青年は何も答えない。彼もまた魔法使いだが、その彼の前で、エメラインは侮蔑の台詞を躊躇いもせず口にする。十一年も前から、それは変わることはなかった。

「力はどうなの。お前より強いの? ……スウェン」

「恐らく……ほぼ同じかと」

「そう……」

 エメラインは華奢な頤に指を添え、何かを考えるように小首を傾げた。妖艶と言っても良い美貌にもかかわらず、なぜか少女のようなその仕種がよく似合う。

「では、慎重に罠を仕掛けた方がよさそうね」

 美貌の伯爵令嬢は嫣然と微笑んだ。

 ふわりと裳裾を揺らして身を翻せば、芳しい香にあてられたように、近くを通りかかった男たちがたちまち顔を赤くする。エメラインは再び開いた扇の端から、信望者に蕩けるような流し目を一つくれてやった。

 足の爪先から髪の一筋まで完璧な美で武装した彼女が、しかしその時、邪悪な呟きを発していたことを、誰も知らない……スウェン以外には。


「邪魔だわ。あの女。……始末するしかないわね」



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