蟲の女王1
レゼルの森の魔物が増えている、との報告を受けたのが、六月初旬のことだった。
レゼルの南側は、アリストラ国でも有数の穀倉地帯となっている。数多の集落が点在し、その集落を程よく繋ぐ位置に大小さまざまな街が繁栄し、その街を縫うように張り巡らされた街道の中心に、首都アウラの王城が聳え立つ。
広大なレゼルの実りは、そのほとんどが都に運ばれ消費され、莫大な人口を支える上で欠かせぬものとなっている。レゼルが不作の時は、もう一つ、国の西側にも広大な農地があるが、ここは残念ながら距離がありすぎて、輸送に余計な費用と手間がかかってしまうのは避けられない。
庶民の生活に直結している小麦と豆の価格を上げないためにも、王は、豊かなレゼルを守り続けなければならなかった。天候による凶作などほとんどないレゼルだが、代わりに、施政者たちの頭を悩ませているのが、数年に一度の割合で起こる魔物の異常な大繁殖だった。
森から出てきて直接作物を食い荒らすのも困りものだが、それよりも被害が深刻なのが、空を覆う毒蛾の大群だ。これが発生すると、穀倉地帯の六割の植物がたちまちのうちに枯死してしまう。
防ぐ手段はただ一つ。普段からレゼルの森の動向に目を光らせて、大繁殖の予兆あればその前に速やかに叩き潰すこと。毒蛾が大繁殖する理由は既にわかっているのだ。数年に一度現れる女王蛾が、大量の卵を産み付けるためである。
「どうやら今年が、その女王蛾の年のようだ」
腕がなるなぁ?
宰相からの討伐命令を受け、黒騎士団長ヴァルトは豪快に笑った。彼の傍らに佇む白騎士団長のシュミットが、やや神経質そうに眉を顰める。
「本来それは貴殿らの役目。我らまで引っ張り出される謂れは無いのだが」
貴賤かかわりなく実力主義の黒騎士団とは異なり、白騎士団は、主に貴族の徒弟で編成される、いわば儀礼用の集団だ。式典祭典の参加が主な仕事で、腰に履いた剣もあまり実戦に使われることはない。
魔物討伐に同行したところで、正直、あまり役立ちそうにないというのが黒騎士たちの本音だった。しかも出身が貴族だらけなので、自尊心だけは山のように高く、扱いにくいことこの上ない。
「さて。宰相殿の意向なのでな。なぜ白騎士団まで討伐遠征に参加することになったのか、その辺のことは宰相殿に聞いてくれ」
百年生きた狸も及ばないとされる宰相の目的は、何となく見当が付いていたが、ヴァルトは余計なことは言わない。
使えない白騎士団の規模を縮小、あるいは黒騎士団に吸収させ、無くしてしまう目論見なのだろう。討伐の混乱に乗じて、少しばかり白騎士が死んでくれればちょうど良いと考えているに違いない。
白騎士団が、行き場のない貴族の次男坊、三男坊の集まりで、働きの割には俸禄が高いことを、宰相は前々から苦々しく思っていたようだ…………思ったらそれを迷わず実行に移すだけの度胸も度量もある男なので、目をつけられた白騎士団は、まことに不運としか言いようがない。
「自分らの仕事じゃない、なんて言い訳は通用しないぜ? 魔物はこちらの都合なんざお構いなしだ。白だろうが黒だろうが、目の前のものに襲い掛かる。俺たちは、ただそれを薙ぎ払い目的を果たすまで」
眼前には、不気味に静まり返る広大なレゼルの森。
この何処かに災厄の女王蛾がおり、来るべき時に備えて、大量の種子を腹に抱え静かに眠りについている……。
「……行くぞ!」