再会
白い髪の男が去った後、ウォルターは、深く、息を吐き出した。
さほど長い時間剣を交えたわけでもないのに、全身の筋肉が悲鳴を上げているようだった。極限まで研ぎ澄まされた五感が、四肢を巡る血の音までも聞き分けて、ひどく耳障りに感じる。
強かった。
途方もなく強かった。
ウォルターは騎士団長ヴァルトをはじめ優れた武勇の持ち主を数多知っていたが、中でも白髪の男の剣技は卓越していた。自分がわずかながら優位に立てていたのは、たまたま持っていた武器がアリストラの名剣だったことと、目の前に守るべき人がいたからだ。
何としても彼女を救い出さなければと思ったとき、身の内から呼び起こされた力は、常ならば敗れていたに違いない恐るべき雄敵をも退けた。
「ユリア……」
腕の中の娘に呼びかける。
それは、確かに、六年前に別れた少女だった。
だが、美しかった長い銀の髪は、無残に切られ、肩よりも短い位置で不揃いに揺れている。白い顔は泥だらけで、あの薄気味悪い蔦草に巻きつかれた際に付いたであろう小さな傷が、体のあちこちに赤い筋を走らせていた。
「なぜ、こんな……」
何があったのだろう。誰かに切られたのか?
アリストラの女性は、みな髪を大切にする。身を飾る宝石を持たぬ貧しい女でも、髪だけは手入れを怠らないほどだ。
こんなふうに短く切ってしまうなんて、世を捨てた修道女くらいのものだろう。いや、彼女たちだって、これほど不恰好なみっともない形にはしないはずだ。
(何で……)
ウォルターはぎりりと歯噛みした。
六年ぶりに、やっと帰ってきた大切な人なのに。あんな野蛮な男たちに捕まり、狩場の兎のように追い回され、どれほど恐ろしい思いをしたことか……!
「う……」
握り固めた拳を地面に叩きつけたとき、軽く呻いて、魔女がゆっくりと目を開けた。
魔女は、しばらく、何が起きたか把握できていないようだった。
ぽかんとした表情で、目の前の青年を見つめている。
菫の瞳は、懐かしい思い出の中のそれと、変わらない。そういえば初めて被り物を取り上げたときも、彼女はこんな風に驚いた顔をして、大きく目を見開いていた。
「無事で……良かった」
言いたいことはたくさんあったはずなのに、生きて動いている彼女を見た瞬間、全てがどうでも良くなった。
「ウォルター……さん?」
魔女の唇から、か細い声が流れ出る。
一度しか告げていない名を、しかも大して珍しくもないその名を、彼女は、覚えていてくれたのだ。嬉しいような、照れくさいような、一言では言い表せない想いに促されるまま、騎士は笑った。
「……久しぶり」
「ウォルター……」
魔女は泣いた。大きな紫色の瞳から、後から後から涙の粒が溢れ出す。
「こ、怖かった……!」
顔を覆って肩を震わせる魔女を、騎士は、そっと抱き締めた。腕の中にすっぽりと納まってしまう彼女は、小さくて、華奢で、恐るべき魔術の使い手なのだと知ってはいても、彼にとって、ただのか弱い娘にすぎなかった。
「おかえり……レテの魔女ユリア」
少し離れた場所から、ぴったりと寄り添う二つの影を見守る目があった。
「あの二人、知り合い? というか、恋人?」
「さぁ……。でも、いい雰囲気じゃないか。邪魔したら馬に蹴られるよ」
「邪魔はしたくないけどさ。一応、今後の事とか相談したいんだよね。明日には副騎士団長はじめ、他の騎士も来るだろうし」
「もう少しそっとしておいておやりよ。思いやりのない男だね」
「君ね、一応命と貞操の恩人様に向かって、そういうこと言う?」
「はいはい。ありがとうございましたぁ」
「可愛くないなぁ」
ひそひそと小声で言い争っているのは、アマンダとフィオルだ。会って間もない割には、随分と遠慮なく喧嘩のできる間柄になっていた。
お前たちも仲良いよな、とイアニスはいらぬ感想を漏らし、間髪入れずアマンダに殴られた。
「ちょっとやめてよね。こんな自分より顔も髪も肌も綺麗な男、願い下げだよ」
「……それ誉めてんの?」
「誉めてないよ。私は優男は趣味じゃないの」
「優男ねぇ……。少なくとも中身は優男じゃないんだけどね。食わず嫌いはやめたら?」
妙なところでイアニスが同意した。
「そうそう。こいつは優しくないぞ、ぜんぜん。いやむしろこんなに性格の悪い奴、滅多にいないって」
「……君と五年も友人をやっている時点で、俺ってなんて優しい奴なんだろうと、今ちょっと思ったけどね」
「何だよそれ」
「……お前ら何やってんだ?」
観客の存在に気付いたらしいウォルターが、魔女を連れて駆け寄ってきた。
アマンダが喜び、豪快にユリアを抱え込む。その豊満な胸に魔女の頭は半ば埋もれるような形になり、思わず羨ましそうな目をイアニスが向けた途端、脳天から星が飛び出しそうな衝撃が、後頭部を襲った。
「……ってぇ!」
アマンダのそれとは比べようもない強烈な一撃を加えたのは、むろんフィオルだ。涼しげな口元はゆるく弧を描いているが、目は少しも笑っていない。
「欲求不満の思春期の餓鬼みたいな顔するんじゃない」
「……してないって! ってか、お前もう少し手加減しろよ!」
「悪いね。何時でも何処でも全力なもんで」
「あー……そろそろ行くか」
らちが明かない気配を感じたのか、そうウォルターが締めくくり、騎士たちは救出した商人らを連れてその場を後にした。