レテからの異邦人
「た、大変だ! 商人どもが逃げた!」
アマンダに弾き飛ばされ気絶した男は、すぐに目を覚ました。目を覚ますと、彼は逃げた捕虜を追うのではなく、自分など足元にも及ばない強さを誇る仲間に、まずは報告に走った。
「レイド! レイド! 商人どもの中に魔法使いがいる!」
レイド、と呼ばれた男は、村はずれの小屋の中で、浅い眠りについていた。慌てふためく仲間の男を鋭い眼光で黙らせて、枕元の剣を引き寄せる。
「魔法使い、か」
捕虜に興味のなかったレイドは、捕まった商人たちにはほとんど目もくれなかった。だが、フードを被った小さな人影には、妙に気を引かれた覚えがあった。
魔女だったのだ。あれは。
だから気になったのだろう。
「魔女は俺が捕える。商人どもは他の奴らで何とかしろ」
「村長は、さすがに十人も殺したくないって言っているが」
一人、二人、旅人を殺して金品を巻き上げるなら抵抗が無いのに、十人の商人団となると、途端に怖気づいたらしい。処置に困って、牢に閉じ込め食事まで与えたというのだから、笑わせてくれる。今更、引き返せるはずもないのに。
「好きにすればいいさ。どちらでも。殺す方が楽だがな」
「やっぱり、そうだよな」
傭兵仲間の男が笑って去ると、レイドもまた、小屋を後にした。
レイドは走った。仲間の傭兵の何人かが、金魚の糞のように彼の後についてくる。鬱陶しいと思ったが、そのままにしておいた。どこに逃げたかわからない商人たちを確実に追い詰めるには、彼の能力が必要なのだろう。
幼い頃から、レイドには不思議な力があった。
勘が良く、探し物などをぴたりと言い当てることが多々あった。時には、死ぬ運命にある人物の、黒い影が見えたりもした。
気味が悪いと言われることもあったが、レイドは大して気にしなかった。孤児の彼が生き抜くには、それは、都合の良い力だったから。
(お前は、レテの魔法使いの力を持っている)
十四の時、偶然出会った老婆から、そう言われた。
恐らく近親者にレテの魔法使いがおり、その血が強く現れてしまったのだろうと。
あまり長く生きられないかもしれないと、老婆は心配そうな顔をした。レイドの力は強かったのだ。レテで生まれ育っていれば、精霊と語らうことも出来るほどに。
(この婆と、レテに行こう。お前はそこで魔法を学び、命の石を作り、幸せに生きるんだ。今からでも遅くはない。婆と帰ろう)
差し出された手を、レイドは拒んだ。
平和で何もないレテ。退屈で変わり映えのしないレテ。
そんな場所で長く生きて、何になる?
(命の石があれば、お前は、どこにだって行けるんだよ)
だが、石を作るのに五年もかかる。五年かかっても、十年かかっても、石は出来ないかもしれないと、老婆は言う。
「別に死んでも構わない。俺は俺の好きなように生きる」
何ものにも縛られず。囚われず。
望むまま、思うまま、奔放に。
命など惜しくはない。明日死んでもかまわない。
ただ、今という時間を、ひたすらに生き抜くだけだ。
(そうかい。では、せめて、お前にこれをやろう)
老婆がくれたのは、虹色の珠だった。誰に教えられたわけでもないのに、レイドには、それが命の石だとわかった。
「いいのかよ。見ず知らずの、この俺に」
(いいんだよ。婆は、もう十分に生きたからね。お前の命が、少しでも守られるように)
三年後に、虹の石は粉々に砕けた。代わり映えのしない日常、いつものように寝ていつものように起きると、枕元で砂になっていた。
恐らく老婆が死んだのだろうと、レイドは解釈することにした。虹の石が魔女の分身ならば、本体が失われたとき、共に消え去るのは道理だ。
(死んだのか……婆さん。俺なんか助けたって意味がないだろうに)
命の石が手元にあるとき、レイドはかつてない昂揚感を味わった。もともと持っていた力は強さを増し、人の未来までも見通すようになっていた。
無敵の魔王になったような。
絶対の神になったような。
(石だ。あの石が俺に力を与えてくれる)
何という偶然だろう。すぐそばに魔女が現れた。この王都付近にいるのだから、石を持っているのは間違いない。
(あの石が欲しい……!)
長いこと抑えていた欲望が、溢れ出す。砂漠を彷徨う旅人が、一杯の水を求めるように。どうしようもない渇望が全身を駆け巡る。
運命が、自分に魔女の石を奪えと命じているような気がした。
「……いた!」
仲間が叫んだ。森の木々の合間を縫うようにして、商人たちが逃げている。男が三人。女が一人。
魔女の姿はない。
追手の注意を分散させるために、ばらばらに逃げたのか。あるいは、暗い森の中、単にはぐれたか。
(魔女は)
レイドは意識を集中させた。
勘を遥かに凌駕するレテの力が、そう遠くない場所にいるフードの女の姿を捉えた。
「いた……!」