異変
副騎士団長サイラスは、四十人の騎士を、騎士らしく行進させて村に向かわせるような真似はしなかった。
風のように身軽な傭兵たちのこと、危険を少しでも察知すれば、とっとと逃げ出すに決まっている。本当に悪事を働いているならば、根こそぎ捕らえてしまいたい黒騎士団としては、目立つのはどう考えても得策ではなかった。
ある者は旅商人になりすまし、またある者は流浪の道化に扮装して、数人ずつの少人数に分かれ、騎士たちは目的地へと向かった。
もともと平民の多い黒騎士団のこと、武勇以外にも実は妙な特技を隠し持っている者が、少なからずいた。
炎のような赤毛に、琥珀の瞳、泣かせた女の数は十の指に余るだろうという色男は、とても料理が上手だった。芋の皮を剥き、玉ねぎをみじん切りにする手の速さが、並ではない。実家は王都で料理屋を営んでいるという。
そして、長く伸びた淡い金髪を首の付近で一つにまとめた優美典雅な若者は、類稀なる竪琴の名手であった。こちらは母親が王宮仕えの楽師の君で、父親は身分の低い兵士だった。
赤毛の男と、金髪の青年は、それぞれ、イアニス、フィオル、と名乗った。
同じ騎士団に属しているので名前と顔は辛うじて知っていたが、ウォルターは、彼らと話をするのは初めてだった。
「えっ! エメライン様のお茶会、断っただって!?」
二人ともにライオネルと同じ反応をされ、ウォルターは何ともばつの悪そうな顔をした。
やはり自分は、相当風変わりな事をしてしまっていたらしい。
「もったいない。茶受けの菓子はヨルム堂……あ、王都で一二を争う人気の菓子店なんだが……のユフィール……ん? これも知らんのか? 薄い生地を何枚も重ねて、間にクリームを挟んだ菓子だ。超高級品だぞ。あんな美味いものを断るなんて」
「いや。惜しむべきはそこじゃないし」
あさってを向いた感想を述べる赤毛男に、フィオルが冷たい一瞥をくれてやる。
「じゃあ、紅茶の方かな? あれは南方ツェルク諸島から入ってきた珍しい茶葉で、香り高く……」
「少し黙れ。飯屋の倅」
さぞや女性にもてるに違いないと思われた料理屋の息子は、かなり世間ずれしていた。そして、楽も奏でる優美な青年は、優しげな容貌に反して、相当な毒舌家だった。
人は見かけによらないものである。
「いや、そういう君もね、もっと取っ付きにくい奴だと思っていたよ」
「ああ。それはよく言われる」
「そんな素直に認められても。……君、イアニスほどじゃないけど天然だね?」
「天然って何だ。俺は魚じゃないぞ」
「うっわ。天然だよ。何その返答。天然すぎる」
こんな調子で緊張感の欠片もないのだが、三人ともそこは優秀な黒騎士である。馬を操る手綱さばきは見事なもので、王都を発ってわずか二日後の夜、早々に目的地にたどり着いた。
他の騎士たちはまだ姿が見えない。彼らが一番乗りだった。
「さて。サイラス様もまだ来ていないみたいだね。どうしようか」
村に直接踏み込むのは憚られ、彼らは森の入り口に馬を立てていた。
村は、北半分ほどが森に囲まれ存在していた。と言ってもレゼルのような大樹海ではなく、季節ごとに豊かな滋味を楽しめる、生活に根付いた森だ。
今の時期は、ちょうどリペという小さな果実が全盛で、足元を一面青紫色に覆っていた。
「ん?」
騎士たちは、すぐに異変に気付いた。
小さな村では貴重な特産品であるはずのリペが、滅茶苦茶に踏み荒らされている。何か重い物を引きずったような跡もあった。
異変の痕跡を辿って行くと、森に入ってすぐの所に、ぽっかりと空地を見つけた。ここだけはリペの下草が生えておらず、ところどころ、土がむき出しになっている。
馬が繋がれていない馬車が二台、無造作に置かれていた。旅商人が好んで使う、よくある幌付きの荷馬車だが、比較的新しいにもかかわらず、中はほとんど何も無かった。生活道具だけが、幾つか放置されている。
洗濯物。食器。毛布……。
馬車の周りには、明らかな野営の跡があった。
途中で消し潰されたような、焼け残った焚き木類。ひっくり返った鍋に、汁物用の深皿。地面に投げ出された食べ物に、蠅や蟻が集っていた。
まるで、宴の最中に、突然人がいなくなったかのような……。
「嫌な感じだね」
「この近辺で、旅人が消える、か……」
神隠しなどありえない。
本当に人が消えたなら、それは神のせいなどではない。
「何が起きているんだ……?」
森の木が、一瞬、ざわめいた。
六月にしては冷えた夜風に運ばれて、騎士たちは、遠く確かに悲鳴を聞いた。
「行こう!」