牢屋にて2
結局、その日、危惧していたようなことは起こらなかった。
目的は不明だが、小悪党の村人は、すぐにユリアたちを殺す気はないらしい。その証拠に、一度だけ固いパンと冷めたスープが差し入れられた。
毒入りかと商人たちは気色ばんだが、フードを被った怪しい女が遠慮も警戒もせず堂々とそれらを口に運ぶのを見て、やがて恐る恐る後に続いた。次に食料がいつ手に入るかわからない以上、食べられる時に食べておくのが賢明な判断だった。
「およしよ。毒じゃなくても、痺れ薬が入っていたらどうするんだい」
一人手を付けようとしないのが、アマンダだ。十二人も育てる大所帯の長姉は、うっかり死んで兄弟たちを路頭に迷わせるわけにはいかなかったので、罠の匂いのする食事を頑なに拒んだ。
「大丈夫ですよ」
「何言ってんだい。昨日、一服盛られて、すっかり眠り込んでいたくせに」
「あの時は、意識しなかったので、わかりませんでした。でも、今は大丈夫です。この食事、毒もそれ以外の薬も入っていません」
「何でわかるんだい」
「魔女なので」
と、ユリアはいたって真面目に答えたが、アマンダにはふんと鼻で笑われた。
「あんたね。冗談ならもうちょっと時と場所を選んでお言いよ」
女だてらに商人などしているアマンダだが、二十五年間生きてきて、魔女などという珍しい人種にはとんとお目にかかったことがない。
そもそも、彼女が頭に思い浮かべる魔女は老婆であり、醜女であった。折れ曲がった鼻と、染みだらけの肌と、しわがれ声を持って、世の綺麗なものを呪い続けていなければならなかった。本人が若く美しいなど、そんな馬鹿げた話があってたまるものか。
「いえ。そんな物語に出てくるような魔女は、稀だと思います……。そもそも、魔法使いは短命の者が多いので、しわしわになるまで生きられません」
一瞬、娘は寂しげな表情を見せた……。沈んだ場を取り成すように、アマンダが言った。
「あんたが魔女なら、何か一つ魔法でも見せておくれよ」
牢の奥深く、二人の女は、他の商人たちには背を向けてひそひそと話し合っていた。
洞窟は奇妙に奥行きがある上に、途中がくの字に曲がっているので、突き当りまで引っ込んでしまうと、鉄格子付近からは全く見えない。
「魔法、ですか」
呟いて、ユリアはフードを脱いだ。長い髪の一房を手に取り、目を閉じる。
「あんた……?」
ひゅ、と、風が唸りを上げたのは、一瞬のこと。
絹のような艶やかな髪が、耳のすぐ下で、切断された。
「ひっ……!」
その後も、ユリアは、次々と自分の髪を掴んで高く掲げる。ざしゅ、と、何とも形容しがたい音がするたびに、風が、娘の髪を容赦なく切り捨てて行く……。
「およし! およしよ! わかったから。もういいから!」
茫然自失から我に返って、アマンダは慌てて止めに入ったが、娘の足元には、既に相当の量の銀の残骸が散らばっていた。
「いいんです。髪も切った方が良いと思っていたので」
「だからって、こんな」
「私、こんな所で死にたくないんです。こんな所で、好きでもない人に乱暴されるなんて、もっと嫌です」
逃げましょう、と、魔女を名乗る娘は言った。
不揃いな銀色の頭を見せつけられては信じるより他なく、吸い込まれそうな紫の瞳に見据えられ、アマンダは、我知らず頷いていた。
「どうやって逃げるんだい。あんな鉄格子、壊せやしないよ」
「壊せます。私なら。私があの鉄格子を壊すので、逃げましょう……みんなで」