牢屋にて1
(どうしてこんな事になったのだろう……)
頭の中に浮かんでは消えるその疑問。声に出して問うたところで答えが返るはずもなく、焦燥ばかりが募ってくる。
目の前には、ユリアの細腕はもちろんのこと、歴戦の勇士とても打ち破るなど不可能な、頑丈な鉄の格子がそそり立っていた。おまけ程度に隅の方に付いている小さな鉄扉には、大人の拳よりも大きな南京錠が、二つもぶら下がっている。
(やっと……ここまで来たのに)
二つ目の命の石を作るのに、五年の月日を要した。
生涯に一度、人によってはその一度もかなわず死を迎えることも多い、命の石。それを二つも作った自分は、本当に運が良いとユリアは思う。
石はまた作ればいい、などと恰好つけて言ってはみたものの、それが出来る保証はどこにもなかった。
二度と王都の土を踏めない可能性も考えて、ユリアは、店を誰にも任せることが出来なかった。だから、鍵を開けっ放しにして、その鍵を無人の店内に置き去りにして、都を発ったのだ。いつの間にか誰かが建物を私物化しているのは避けられないだろうが、それもやむなしと考えていた。
懐かしい祖母の店は無いけれど、それでも、ユリアは王都に帰りたかった……。
華やかな通り。大勢の人。忙しなく流れ、動き続けるかの街は、田舎に慣れたユリアにはむしろ住みにくい場所のはずなのに、どうしようもなく心惹かれる。揺さぶられる。
六年前に出会った……レテの湖畔の青のように。
(私のこと、覚えていますか……?)
長い道のりを超えて、首都から程近いのどかな村に立ち寄った。ちょうど旅商人の一行に世話になっていたユリアは、彼らと一緒に村の外れにテントを張り、既に目的地に着いたような気になって、もうすぐだねと呑気に笑い合っていた。
村人が、季節外れの果実酒まで振る舞ってくれた。本当に、楽しかったのだ……。
次の日に目覚めると、なぜか、牢屋の中にいたけれど。
(どこかしら……ここ)
地下牢だということはわかる。
壁も、天井も、地面も、全てが剥き出しの土だった。自然の洞窟を利用したらしく、やけに立派な鉄格子だけ、後から無理やりはめ込んだもののようだ。
旅商人の一行は、ユリアも含めて洩れなく捕まったようで、よく見知った顔がそこらにいる。
事態がまるで把握できていないユリアに比べ、彼らは少なからず危機を感じているらしかった。まずい、と囁き交わす声が聞こえてくる。
「噂は本当だったんだ。まさか、こんな都の近くで……くそ、油断した」
噂とは、はて何だろうと首を捻っていると、アマンダ、という若い女が近付いてきた。
背が高く、腕も足もすらりと長く、ユリアよりも遥かに大きい見事な胸を持っていた。十三人兄弟の一番上で、残る十二人の弟妹の世話を一手に引き受けていることを、それはそれは誇らしげに語っていた。
子煩悩な母親のように、ほとんどフードを取ることも無く、またほとんど口をきくことも無かったユリアにも、優しく接してくれたのだ。
「前々からね。この近辺で旅人が姿を消すって噂があったんだよ。噂は噂。こんな国王様のお膝元で、まさかとは思ったんだけどね」
人身売買や毒薬の密輸などを手掛ける大掛かりな犯罪組織ではなく、単に、通りかかる旅人を殺して金品を巻き上げる小悪党の村なのだろう。規模が中途半端なせいで、かえって警備の目をすり抜けていたのかもしれない。
「それにしても、あんた、連中の目に留まらなくてよかったよ」
と、突然女が言ったので、ユリアは意味が分からずフードの奥で目を瞬かせた。
女は、漆黒の巻き毛に縁取られた日焼けた顔に、人懐っこい笑みを浮かべると、被り物の上からユリアの頭をぽんぽんと叩いた。
「この間、あんたが泉の傍で髪の手入れをしているのを偶然見てね。あんまり別嬪さんなんで、驚いたよ。どこかのやんごとないお姫様かと思ったほどさ」
面と向かって容姿を誉められたのは初めてだったので、ユリアは思わず顔を赤らめた。
アマンダは、地面の土を手に取ると、すまないね、と言いながら、ほんのりと色づいたユリアの白い頬に、泥のようなそれを塗りつけた。
「少しでも汚くするんだよ。連中に、絶対に顔をみせちゃあいけない。その綺麗な髪も、もったいないけど、切った方がいいんだけどね。フードはずっと被っているんだよ」
女に言われるまま、顔に、首に、ユリアは土の化粧を施した。
生来の顔立ちの良さを誤魔化せるほどに、薄汚く装うと、茶色くすすけた顔をアマンダに向け、悪戯っぽく微笑むのだった。
「これでどうでしょう?」
「くくくっ。せっかくの別嬪さんがすっかり台無しだ。それで髪さえ短ければ、小汚い男の子でも通じるよ」