8. やさしい思い出
後から聞いた話だけど、例の『囮作戦』は、お城に戻ってきてからが勝負だったんだって。
ディルクが宰相様に呼び出されたのも、作戦の一部だったそうで……つまりディルクはあの時、わざと私を一人にした事になる。
この件に関して、ディルクは何度も私に頭を下げて(!)謝ってくれた。
後からクラウスさんがそっと教えてくれたんだけど、ディルクは『囮作戦』の決行を、最後の最後まで反対していたらしい。
「でもレオノーラ姫は、ディルクを自分の騎士にしたがっていたから、ハナちゃんに危害を加えるつもりはなかったんだ。主を守れなかった騎士は、面目丸つぶれだからね。とにかく少しでもハナちゃんに危害が及びそうなら、すぐさま計画を変更して、ハナちゃんを助ける予定だったんだよ」
クラウスさんも説明しながら、申し訳なさそうにしてた。私は別に怒ってないけど。むしろ早めに解決して、ホッとしたくらい。
(ま、敵を欺くなら味方からって言うからね……)
城下町にいたときは、私たちは影から護衛されていた。当然、私を狙っている集団もそれには気がついていた。
だけどお城に戻った途端、護衛が手薄になったもんだから、私たちの気が緩んだと誤解して……それでまんまとディルクたちの作戦に引っかかったようだ。
私が連れさらわれ、ディルクとクラウスさんが後をつけていったところ、例の猫のお面をかぶったレオノーラ姫が現れた。そんで、あれこれしゃべってくれたもんだから、現行犯で取り押さえたってわけだ。
これで事件解決、めでたしめでたし……の、はずだけど。
「はあ……」
私は何度目か分からないため息をつく。
部屋の窓辺に座って、ぼんやりと庭で綻び始めた花々を眺めた。先日町の公園とは趣がまったく違うけど、綺麗で華やかで……見てると泣きたくなる。
(やっぱり、違うよなぁ)
レオノーラ姫にはしてやられたけど、今回の件ではっきりと分かった事がある。いや、本当は初めから分かってた。
(ディルクは本当に、私の騎士でいいのかな……)
ディルクは本来、もっと身分の高い王族に仕えるべき騎士だ。私のような、名ばかりの姫に仕えてたって、彼の将来には一文の得にならない。
「姫様、お呼びでしたか」
ノックの後、静かに扉を開けてディルクが部屋に入ってきた。
私は窓辺の椅子から立ち上がって、凛々しい立ち姿の騎士様を出迎える。
(やっぱり、このままじゃダメだよなぁ)
緊張で口の中がカラカラになるのに、握りしめた手のひらからはじっとりと汗が滲んでる。
「実は、話があるんだけど」
大きく息を吸った割には、蚊の鳴くような声しか出てこない。
「あのね、私の専属騎士を辞めたらどうかなって」
ディルクの体が僅かに揺れた。顔には険しい表情が浮かんでいる……私は緊張で乾いた喉をゴクリと鳴らした。
「えっとね、やっぱりディルクが私の騎士なんて、変だと思うんだ」
「……」
「ほら私って、後ろ盾も何も無いから、王族の中では立場もイマイチじゃん? 私なんかに仕えてったって、何の得にもならないよ。出世だってできないだろうし」
「出世はする必要ないでしょう。私は黒サッシュですから」
そうだった。騎士の位で一番高いのは黒サッシュだから、これ以上昇進しようもないか。
「それに姫様にお仕えして、私にメリットがあるかどうかは、私自身が判断することです」
「そ、そっか……」
「あと、ご自分のこと『私なんか』とおっしゃられるのは感心しませんね」
ディルクは私の前に進むと、ゆっくりと膝を折った。左手を取られ、その指先に……ディルクの唇が触れた。
「私を、あなたの騎士でいさせてください、ハンナ姫」
緊張のあまり、私の身体はカチコチに固まってしまう。なんなのこれ、もんのすごく恥ずかしいんですけど!?
「私が姫様の騎士でありたい、と思ったのはオイゲンの葬式の日でした」
唐突な告白に、私は引っ込めようとした手を止めて目を丸くした。私を見つめるディルクの瞳が切なげに細められる。
「あの日、姫様はオイゲンの墓の前で誓われましたね……『大丈夫だから心配しないで、立派な姫君になるから』と」
「あ、あれ聞いてたの?」
その時のことを思い出して、私はますます赤面してしまう。
お葬式に出席していた人は皆帰ってしまって、あの場には私ひとりしかいないと思ったのに……まさかディルクがいたなんて知らなかった。
オイゲンのお墓の前で何を言ったのか、正直よく覚えていない。お葬式の直後だったし、胸がいっぱいで必死に言葉にするも、支離滅裂だった気がする。
『いい子になるよ』とか『勉強頑張る』とか誓った気もするけど、途中泣いていた気もするし、『なんでひとりぼっちにするの』とか怒っていた気もする。
(やだなあ、あれ聞かれてたなんて……)
「立ち聞きするつもりはなかったのですが……申し訳ありません」
ディルクは深々と頭を下げて謝罪する。後ろで束ねた金色の髪が、肩口からサラリと流れ落ちて揺れた。
「謝らなくて、いいよ……」
私の言葉に、ディルクが顔を上げた。向けられた新緑を思わせる瞳は、いつなく柔らかでやさしい色が滲んでいた。
「私はオイゲンがうらやましかった」
「え……」
「あのように、最後まで主に愛される騎士になれたら、どんなにか幸せだろうと思いました」
その言葉に、視界がフワリとぼやけた。ぽろぽろとこぼれていく涙の雫を、どうやって止めたらいいのか分からない。
「泣かないで下さい……姫様」
どれほどオイゲンが大好きだったか、大切だったか……オイゲンが、どれほど私を大事にしてくれ、守ってくれていたか……今更ながら思い出してしまう。
オイゲンは、家族全員を失ったばかりの私を、まるで本当の孫娘のように慈しんでくれた。やさしくて温かくて、でもどこかひょうきんで。
慣れないお城での生活も、オイゲンと一緒なら気楽で楽しかった。
一緒にご飯食べたり、散歩したり。
はしゃいだり、笑ったり。
時には喧嘩もしたけど、最後にはいつも意地張り合ってるのがばかばかしくなって、お互いあやまって、それから二人でよく泣いた。泣きながら、また笑いあった。
――私の小さなお姫さん、いつも元気で笑っているのが一番じゃ。
そう言って、頭をなでてくれたあの手はもう無い……永遠に失ってしまったんだ。もう一緒にいられないんだ。もう会えないんだ。
手のひらで受けとめる涙が、濡れた感覚が、残酷な現実をやたらリアルにする。オイゲンがいない事実を、私に突きつける。
涙がこぼれ続ける目を、手の甲で強くこすっていたら、ふと視界が暗くなった。気がつくと温かな腕に包まれていた。
「これからは、私が姫様をお守りいたします」
「……ディルク」
「私がずっと、あなたをお守りいたします……ずっと」
ひどくやさしい言葉に、私はもうひとしきり泣いてしまった。