7. 誘拐犯
「助けを呼んだって、だーれも来ないわよ!」
そう言って高笑いをするのは、先ほど公園の露店で見たような、猫のへんてこなお面をかぶった女の人。
(どうしよう私、悪い夢でも見てるのかな)
「あのう……」
「なによっ!?」
(け、喧嘩腰だなぁ……)
「これは夢ですか」
「はあ!? 馬鹿も休み休み言いなさいよ!」
「じゃあ現実か……あれ?」
(なんだろ、何か肝心なこと忘れているよーな……?)
「何ひとりでぶつぶつ言ってるのよ?」
(あ、分かった!)
「襲われなかったんだ!」
「はあ!? ちょっとあんた……」
そもそも城下町へ出かけたのは、私が囮になって犯人を捕まえる計画だった。それなのに、けっきょく襲われることもなく、何も起こらないままお城へ帰ってきちゃったんだ。
「そっかぁ……それはそれで、無事だったからよかったのかな?」
「ちょっとあんた、今の状況分かってるの?」
「へ?」
そこで私は、ようやくぐるりと立ち並んでる黒い覆面姿の人たちに気づいた。囲まれてる……何この人たち?
「大丈夫、危害は加えやしないわよ」
「ほ、ホントですか?」
「当たり前でしょ。そんなことして、仮にもあんたを護衛されている、ディルク様の輝かしいキャリアに汚点でもついたらどうするのよ!」
(え、この人ディルクを知ってるの?)
「私はね、あんたと取引がしたくて、ここに連れてきたの」
「取引?」
「そ。単刀直入に言うわ、ディルク様をゆずってくれない?」
ゆずる? いきなり何言ってんだ、この人。
「えっと、私が嫌だと言ったらどうなるんでしょう?」
おずおずとたずねると、猫のお面がニヤリと笑った(ように見えた)
「後悔することになるわよ」
「ど、どのくらいでしょう……」
「すごーく、ね。この城で生きてくのがやんなっちゃうぐらい」
え、それは困る……私にはもう帰る実家がないんだから。
ここにきて、ようやく状況が飲み込めた。これって立派な脅迫じゃないの。それにどうみても、私は囚われ人……誘拐? 拉致? てことは……。
「うわあああ、殺さないで下さいっ……!」
「だーかーら、危害は加えないっつったでしょ! あんた人の話し聞いてんの!?」
「じゃあなんでこの間、森の湖にいるとき弓矢で狙ったの!? ディルクにかばってもらわなかったら、危うく当たるところだったんだからね!」
「まあああ~~~ディルク様にかばってもらうなんて、なんて憎らしい子!」
猫のお面はヒステリックに叫ぶと、肩でハアハアと息をした。
「アレはね、ちょっとした手違いよ。驚かすだけだったんだからね。身の程知らずのあんたに、一矢報いるため~ってね」
「……」
「なによ、あたしに計画性が無いとでも言うの!?」
自分で言ってりゃ世話無いよこの人……私はうんざりして、そっとため息を漏らした。
(まさか、ちょっとディルクが離れた隙に、こんなことになるなんて……)
そこで私ははた、と気づいた。確かディルクは、宰相様に呼ばれて、私のそばを離れたんじゃなかった?もしや宰相様が犯人? 目の前に立つこの人が、まさかのまさかで宰相様?
いや、そんなバカな。宰相様は聡明で、超頭が切れるって噂の人だ。よもやこんなアホな猫のお面を被るはずがない。
「とーにーかーく」
猫のお面がずずいっ、と詰め寄ってきた。
「あんたが、ディルク様を解放すればいいだけの話よ。簡単でしょ?」
「解放?」
「そ。ディルク様は、あんたのような子の専属騎士でいていい方じゃないの。あんたみたいに、身分も低くて将来性のない子に、ディルク様のような騎士なんてもったいないじゃない」
「……」
「ディルク様が何の為に、騎士の中でも最高ランクの黒サッシュまで昇進したと思ってんのよ? 大体ね、あんたみたいな姫には不釣り合いよ、分不相応よ!」
「ごもっともで……」
(なんか、やけに説得力があるなぁ……)
「黒サッシュの騎士なんて、位の高い王族だって滅多に手に入らないのに、どうしてあんたがさっさと取っちゃうのよ。もっと身分の低い、ぺーぺーの白サッシュとかでもいいでしょ!」
その言葉に、ちょっとカチンときた。手に入る入らないとか、取っちゃうだとか、なんか人を物みたいに言うのって感じ悪い。
「聞いてるの!?」
「えっと……」
「もちろん聞いてましたよ」
聞きなれた声が響いたと思ったら、 ガタンと後ろから音がして……振り向くとまぶしい光が差し込んだ。そこで初めて、この場所が薄暗かったことに気づく。
開け放たれた扉にたたずむシルエットに、眩しさに慣れてない目を瞬いた。あの長身は、どう見ても……。
「姫様、ご無事ですか!?」
「ディルク!」
ディルクは床に転がったままの私に駆けつけると、まずは私の頭から足先までざっと視線を走らせた。
「おケガは無いようですが……どこか痛むところはありますか?」
「ううん、へーき」
ディルクは私の言葉に、一瞬ホッとした表情を浮かべるも、厳しい表情で周囲をぐるりと見回した。
「さて、事の次第をご説明願いましょうか……レオノーラ姫」
「な、なぜ、わたくしの事がお分かりになったの!?」
ディルクの言葉に、猫のお面が驚いた表情を浮かべた(ように見えた)……その間も、周囲の黒覆面軍団が、じりじりと間合いを詰めてくる。
でもディルクが剣の柄を鳴らした途端、ざざざーっと潮が引くように、一斉に後ろに飛び退いてしまった。
「リラ王妃の第三王女レオノーラ姫、そう存じ上げますが?」
ディルクは淡々とした口調で問い詰めると、猫のお面はがっくりとうなだれた。やだこの人、下手な泣き真似までし始めたよ? でもマヌケなお面のせいか、どうも真剣みに欠けるなぁ……。
「この度はまた、大それた事をしでかしたものですね」
「ご、誤解ですわディルク様! わたくしは、わたしくは何も……」
「己の大切な主に手を出され、私も騎士として黙って見過ごすわけには参りません」
「そ、そんな……お待ちになって……」
猫のお面が懇願するように両手を合わせても、ディルクの冷徹とも言える態度は頑として変わらない。
ちょうどその時、なんだか戸口の方がだんだん騒がしくなってきた……すると今度は明るい、のん気な調子の声が張りつめた室内に響く。
「はーい、おいたはそこまでですよ~、レオノーラ姫」
扉の前にはクラウスさんが、いつの間にか大勢の武装した兵士と共に立っていた。
クラウスさんはまっすぐ猫のお面……もといレオノーラ姫の前までやってくると、にっこりと微笑んだ。
「現行犯逮捕だから、今さら言い逃れはできませんよ? あきらめましょうよ、ね?」
「クラウス様まで……どうしてどうして!?」
「ほらほら、きちんと罪を認めてくださいよ。今なら三食昼寝付き、一ヶ月の謹慎処分で手を打つけど、どう?」
「ううう……おやつもつけてもらえるのかしら?」
「うーん、譲歩してみますか」
私は床に座り込んだまま、呆けたように二人のやりとりを眺めていた。すると、ふわりと視界がゆれて、気がつくとディルクに抱き上げられてた。
「うわわ、ちょっと……自分で歩けるから!」
まさに『お姫様抱っこ』され、恥ずかしくて必死に手足をばたつかせても、一向に降ろしてくれる気配はない。
とうとう観念して大人しくすると、ディルクの両腕に一瞬力がこもった。
「姫様、怖かったでしょう……」
「え……ううん」
正直、ほんの少し怖かった。でも、心のどこかで大丈夫、きっとディルクが助けてくれるって信じてたと思う。
顔を上げると、私を見下ろすディルクの目がやさしかった。なんだか、こそばゆい……。
照れる気持ちをごまかすように、私はえへへと笑った。
「だって、私の騎士様に『必ず守ります』って口うるさく言われたからね」