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ナイトキラー  作者: 高菜あやめ
第六部
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(11) 嘘でしょ

 湯気の立つカップを差し出された私は、まだ状況がうまく飲み込めないまま小さなティーテーブルの席に着いた。続くようにして向かいに座ったディルクに、まず初めに聞かなくてはならない事を口にする。

「体は、もう大丈夫なの?」

「ええ、ご覧の通りです」

 たしかに、半年前に生死の境を彷徨うほどの大怪我をしたとは到底思えないほど、元気そうに見える。

「でも、なんか……痩せた?」

「……気のせいでしょう」

 わずかに遅れた返答が、核心をついた事を物語っていた。恐らく彼は、誰にも気づかれたくなかったのだろう。

(悪い事、言っちゃったな……)

 視線をカップに落とした私は、テーブルの下で両手を握った。痩せたけど、こうして向かい合って顔を見れるほどに回復してくれて、本当によかった。

「……姫様こそ」

 ポツリと呟かれた言葉に顔を上げると、眉を顰めるディルクがこちらをジッと見つめていた。

「ジルからの報告でも、食が細いとうかがっております。公務がお忙しいのかと思い、こちらからも可能な限り調整を試みたのですが……」

「え、待って……最近なんか休みが増えたのって、もしかして」

 なんでディルクが、私の公務を調整してるの? これじゃまるで、前みたいじゃないの。

「あなたのスケジュール調整も、専属騎士としての大事な仕事の一部ですので」

「ディルクって、まだ私の専属なの!?」

「何を今更……当たり前でしょう」

 少し声が震えている気がした。傷ついたような表情を浮かべて、私を見つめている姿は、どこか途方にくれた子供のようにも見えた。

 私は混乱しながら、同じく震える手で紅茶のカップを押しのける。うっかり手に取って、零してしまいそうだったから、今はとても飲めそうにない。

「だって、もうジルさんがいるから……ディルクは戻ってこないんじゃないかって、私……」

「ジルはあくまで、不在中の私の代理です」

 なんてこった……知らなかった。興奮のあまり思わず立ち上がってしまった私は、へなへなと崩れるように椅子の背もたれに縋り付く。

「姫様?」

 席を立ったディルクが、地面にうずくまる私に駆け寄った。

「お召し物が汚れてしまいますよ」

 手を差し伸べられて、思わず払ってしまった。

「姫様……」

「なんで、なんでよ……どうしてもっと早く、はっきり教えてくれなかったの。そんなに元気なら、どうして戻って来ないの。別に、ちょっとくらい、顔を見せてくれたってよかったのに!」

 これは八つ当たりだって百も承知で、それでも叫ばずにはいられなかった。一方的に喚き散らして、ひとしきり泣いて、それでもグズグズしていたら、背中にフワリと温かいものをかけられた。

(水色の……ディルクの上着だ)

 今日は特別寒くはない。ただ気が昂って、体の震えが止まらないだけ。

 いろいろ抑えつけていた感情が、すべて開放されて溢れ出てきただけだ。それに巻き込まれたディルクは、本当にただの被害者でしかない。

「何か誤解があったようですね、申し訳ございません。ただ私は、姫様にご心配を掛けたくないと……」

 ディルクの言葉が不自然に途切れた。背中に温かいものがそっと当てられる。宥めるように背中を撫でられて、私はなんとか嗚咽を堪えた。今はただ、一言だってディルクの言葉は聞き逃したくない。

 静かで、落ち着かせるような声音は、先ほどの名残なのかやはり少し震えていた。

「私の悪い癖ですね。こうやって格好つけようとするから、失敗してしまう――本当はただ、姫様に情け無い姿をさらしたくなかったのです。完全に回復して、以前と変わらず動けるようになるまで、ここへ戻ってくるべきではないと……いや、戻ってきたくなかったのです」

 ディルクは弱みを見せたがらないって、主人の私はよく知っている。むしろ気づいてあげられなかった私の落ち度だ。

「ごめっ……そんなふうに、言わせるつもり、無かったのに」

「謝らないでください。むしろ謝るのは私の方です。主人にこれほど気をつかわせてしまった。今、己がひたすら情け無い……本当に申し訳ありませんでした」

 お互い謝ってばかりだ。もし誰かが通りかかったら、地面に二人で座り込んで、何事だろうといぶかしむだろう。

 ひと通り本音を言い合って、少しだけ気がまぎれたかもしれない。そう思うことした私たちは、ようやく席に戻ってお茶を飲むことにした。温かいお茶を淹れなおしてくれたディルクは、カップの横にケーキの小皿を添えてくれる。

「バナナマフィン……」

「ええ、姫様の好物でしょう」

 朝食メニューのようなお茶菓子に、首をすくめてしまう。

「今朝もあまり召し上がってなかった、とうかがったので」

 誰に、と聞くまでもなくジルさんだろう。そういえば食事の時は、大抵傍に控えてくれていたことを思い出す。あれはちゃんと食べているか、確認の意味もあったのか。

「そっか……ありがとう」

 でも、バナナマフィンは特別好物というほどではないけどなあ。どこでそんな印象を与えてしまったのだろう。

「どちらかというと、ディルクの好物かと思ってた」

「マフィンが?」

「うん、まあ、マフィンというかバナナが。いつも私の食べ残したのを食べるから」

「……」

 口に出してみると、改めて失礼な事やらせちゃってたなあ。私が食べ残さなければよかっただけなのに。反省すると同時に軽く落ち込んでいると、正面から静かな声が切り出した。

「姫様は、あれが料理長の焼く中で、一番小さなマフィンである事はご存じですか」

「うん? そうだね。この間、王太子妃殿下とお昼食べた時、出されたマフィンが大きくて驚いたよ。あれが普通のサイズなんだってね」

「では、王族の方々は『食卓に上ってから四時間以上経過した食べ物を口にしてはならない』という規則をご存じですか」

「えっ、そんな規則があったの?」

 初耳だった。もう城に上がって五年も経つというのに、そんな決まり……『しきたり』?があったなんて知らなかった。

「姫様は残したマフィンを、いつも後で召し上がるからと、持っていこうとされましたね」

「あ、それ駄目だったんだ……? それならそうと、教えてくれたらよかったのに」

「そうしますと、恐らく姫様はお食事を無駄にされたくないと、無理に食べてしまわれるのではありませんか」

「そっ……」

 それは、たしかにそうするしかない。

「無理に食べて、体調を崩されるのは本意ではございません。何より公務以外で、少しでも無理して欲しくなかったのです」

「だからいつも、ディルクが残りを食べてくれてたんだね。それに、いつもあっという間に食べちゃうから、もしかしたら好物なのかと思った」

「あれは……」

 ディルクは言いにくそうに言葉を濁らせると、観念した様子で続けた。

「その、苦手だから、あまり噛まずに飲み込んでいたのです」

「へっ、苦手って、バナナが!?」

「はい……」

 なんという事だ――食べ残しを食べさせた上、苦手な物だったなんて! 二重の意味で、申し訳ない事をさせてしまった。

「ほ、本当に、ごめん……あの、アレルギーとか無い?」

「それは特にございません」

 なんか顔が赤い。こんな表情は初めて見る。

(以前より肌が白くなったからだ……)

 きっと療養中に、日焼けした肌が元の色に戻ってしまったのだろう。赤くなった目元がやけに鮮やかで、これでは感情が手に取るように分かってしまう。なんだか見ているこちらが恥ずかしくなってしまいそうだ。

「えーと、他に何か、苦手な食べ物はある?」

「……、そのご質問に、今答えなくては駄目ですか」

「いや、強制したくはないけど。あらかじめ苦手な物が分かれば、無理させなくて済むかなあって。私だって、ディルクに無理して食べさせたくないもん」

「……、……あとは、野菜全般が」

「えっ」

「特に、苦味の強いものが……」

 真面目な騎士道精神?が仇となったようだ。主人に問われて、正直に答えるしかないと思ってしまったのだろう。しかし、まさかの偏食。しかも苦い野菜が苦手とか。

「子どもみたい……」

「……!」

 うっかり口からこぼれ出た言葉は小さかったけど、しっかりディルクの耳に届いてしまったようだ。顔がますます赤くなり、唇がわなわなと震えている。

「ご、ごめん、失言だった。ホントごめん」

「いえ、私も我ながら子供じみてると分かっております」

「あ、いやいや、誰だって苦手な物あるもんね? 気にすることないよ、むしろ可愛いというか」

「可愛い!?」

 つい、口がすべってしまった。私はごまかし笑いを浮かべつつ、あわてて言葉を続けてみるものの、あまりフォローになるかどうか分からない。

「ディルクにも苦手なものあるんだなーって。それって、なんだか親しみわくっていうか」

「……」

「そういえば、ご飯一緒に食べた事ってほとんど無かったね? もしかしてそのせい?」

「……」

 駄目だ、言えば言うほど、なんか墓穴を掘ってる気がする。

 でも、空気はだいぶやわらいできて、うららかな日差しに映える白いテーブルクロスや、梢のさざめく音や、湯気の立つお茶の香りや、そういったものが感じられるようになってきた。

(素敵なお茶会になって、よかったな)

 ようやくお茶のカップを口に運ぶ気分になった頃、ふと今何時だろうと思い出す。いつもならお見合いが終わる頃、ジルさんが迎えにきてくれるのだけど。

「どうされましたか」

「いや、ジルさん来ないなあって……」

 すると、向かいに座るディルクがムッとした様子で、手にしたカップを下ろした。

「本日から、私が姫様の専属騎士に復帰しましたので。もうジルはこちらへは参りません」

「えっ……、でも」

 お別れの言葉も言ってない。

「彼はもう、次の任務先へ旅立っている頃でしょう。あれでも忙しい男なのです」

「そっか……うん、仕方ないね」

 ずっと私に付き合わせてしまってたけど、ジルさんは特殊部隊に所属する人だった。きっと事情があって、こんな別れ方になってしまったのだろう。

「……物分かりの良いところが、姫様の良いところでもあり、悪いところでもありますね」

「何、それ……」

「寂しいのでしょう。そうおっしゃれば、いいではありませんか」

「でも、それは私のわがままだから」

「ひと言ぐらい、私の前では構わないのですよ」

 優しい言葉は、私を弱くさせるようで怖い。もっと心を強くして、これから先を進んでいかなくちゃならないのに。

 ディルクだって、いつまで私の専属でいてくれるか分からない。

 私も、いつ結婚して、このお城を去るのか分からない。

(誰かに頼るのは、怖い……)

 別れの時が辛くなってしまうから怖いんだ。だから前だけ見て、進まなくちゃならないって思ってる。

「ところで、お見合いの日程はどうなるのかなあ。ほら、今回シーウェルさんに急用があって、結局つぶれちゃったじゃない?」

「……つぶれてませんよ。私が相手だと申し上げたでしょう」

「え、それは代わりにお茶に付き合ってくれたわけでしょ? 私が話しているのは、本当のお見合いの話で」

「私がお見合い相手では、不足ですか」

「えっ」

 ちょっと待って。何か変だぞ……私はキョロキョロと辺りを見回した。侍女さんも誰もいないから、他の人に確かめようがないんだけど。

「ええと、ディルクはベッセルロイアー家の長男だったよね?」

「ええ。でも跡継ぎは別におりますので、特に支障はございません」

「は? で、でもディルクには王太子妃殿下以外に、兄弟はいなかったよね?」

「おりません。我が公爵家の跡継ぎは、妃殿下のご子息リディウス様に正式に決定しました」

 ええっ!? 妃殿下の双子の息子さんたちの一人が!?

「一体全体いつ!?」

「つい先日です」

 いや、待って……そうだよね、私にそんなこと知らせる必要は、特にないもんね。きっと社交界では知れ渡っているかもだけど、ここ最近お茶会も舞踏会も晩餐会もとんとご無沙汰だったし、そういった情報に触れる機会がなかったわ。

(あれ、ということは……)

 跡継ぎじゃなくて、王家に釣り合う家柄で、独身で年齢も離れすぎてない……たしかにお見合いの条件には合わなくない。シーウェル伯爵家の三男と同じくらい、いやそれ以上に合うのかもしれない。

(いや、でも姫って言っても私だからなあ)

 そりゃ世間的に見れば、伯爵家より公爵家の方が王家と釣り合いが取れるのかもしれないけど、それはあくまで普通のお姫様の場合であって、相手が私となるとちょっと恐れ多いというか……。

「どうされたのです、何か問題でもございますか」

「え、いや、その」

「たしかに……私は口うるさい男かもしれません。堅物で柔軟性に欠ける部分も承知しております。ただ、これまで姫様に仕えてきて、誰よりも姫様の事を理解していると申しても、うぬぼれではないと自負しております。あとは、苦手なものを克服するよう、日々努力を重ねれば……」

「いや、ホント待って」

 本当に、勘弁して……嘘でしょ、ディルクみたいな騎士様と私がお見合いとか? どう考えてもおかしいでしょそれ。

 でもきっと『私なんか』って言ったら、目の前の騎士様は怒り出すだろう。そうやって自分を卑下することを何より嫌い、いつも私にはお姫様らしい気持ちでいて欲しいって支えてくれるのだから。

「私は……ディルクがいるから、お姫様でいられるんだよ」

 ディルクがハッとした表情を浮かべた。赤らんだ頬が、緑の中で一層鮮やかに色を増す。私の顔も熱いから、たぶん同じ色に染まっているに違いない。






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