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ナイトキラー  作者: 高菜あやめ
第六部
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(10) 会いたい

 それからは時間との戦いだった。

 頭の中は『急がなくちゃ』で一杯で、城で一番の俊足の馬にジルさんと乗って野山を走り抜けた事も、コールバリの検問で足止めされて一悶着起きた事も、第五王子の慰めを含んだ勇気付けるような言葉も、その瞬間が過ぎてしまうと何もかもが記憶の中で薄らいでいった。

「手術は成功した」と、一番最初に誰が告げてくれたか、今となってはもうあやふやだ。

 ただ、それを聞いて、張り詰めていた何かがふっと途切れて目を閉じたら、次の瞬間ベッドで寝ていた。

 ヨリがベッドの横に立っていて、丸一日眠っていたと告げられた。彼女の声は怖いくらい穏やかで、普段と全く変わらなかった。

「公務は?」

「本日はお休みですわ。明日までは何もございませんよ」

 そうか、そうだったかな……と頭の中でスケジュールを思い浮かべようとして、でもすぐに諦めた。今後の予定が何もかも記憶がすっぽり抜けているみたいで、全く思い出せなかったからだ。そもそも今日が何日の何曜日か、それすら怪しかった。

「じゃあ、今日は何する予定なの」

「そうですね、中庭をお散歩されてはいかがですか。そろそろ色々な花の蕾が綻び始めてますわ」

 お花か、それはいいな。

 お見舞いの花束が作れる、庭の向こうに広がる森へ出かけよう。






 ディルクのいない月日が、淡々と過ぎていった。

 私の公務は一旦落ち着きを見せたものの、まあまあ忙しい事には変わりない。でもいつの間にかルーティンが組まれてて、公務は週五、残り二日は代理公務の為の予備日とされた。そう滅多に代理なんて無いから、大抵は休日となってうれしい。

 でも今日は、公務でも休日でもない予定が入っている。

「お相手は、シーウェル伯爵家の三男ジェフリー様ですわね」

「うん」

 ヨリに仕上げの髪飾りをつけてもらっていたら、鏡の中のジルさんと目が合って微笑まれた。

「いつもよりお綺麗ですよ」

「何それ」

 ジルさんの微妙な軽口に、私は吹き出してしまった。

 あの日以来ずっと、ジルさんが私の専属騎士を務めてくれている。不思議なもので、きちんと騎士服を身に付けたジルさんは、驚くほど立派な騎士に見えた。

(いや、ちゃんと騎士の資格もあるから、本物なんだけど)

 黒サッシュもよく似合ってて、とても格好良い騎士様だ。かの王太子妃殿下の……子供の頃とはいえ……心を射止めたのも頷ける。

「髪、伸びましたね」

「うん」

「切らないんですか?」

「なんとなく……これもいいかなって」

 ジルさんは曖昧に笑った。前の方がいいのだろう、嘘やお世辞が付けない人だ。そんなジルさんとは、彼の希望でもあったけど、すっかり丁寧語が取れてしまって、今ではヨリたちと同じような口調で話すようになった。初めは複雑な顔をしていたヨリたちも、半年経ってようやく彼の存在に慣れて、受け入れてくれている。

 そういえばヨリも少し変わった気がする。以前と比べ大人びた服装を、私のために用意してくれるようになった。だから前よりも、自分が本物のお姫様になった気がしてしまう……いや、一応本物ではあるんだけど。

「私どもは、姫様の髪飾りを選ぶ楽しみが増えましたわ」

「そう? 伸びたと言っても、まだ肩に届くくらいだよ? 編んだりできないし、そんなに変わりないんじゃない?」

 私の素朴な疑問に、ヨリはとんでもないと首を振る。

「こちらの髪飾りも、ハーフアップにできるからこそのアイテムですわ。特にこのオーガンジーのリボンは、姫様の髪色に映える自信作でして……」

 ヨリが楽しんでくれるならいいか、と思う。公務の服も、最近は裾の長いドレスが増えた。

 たった半年しか経ってないのに、様々な事が変わっていく……ディルクの知らない事が増えていく。

(……会いたいなあ)

 少し前に王太子妃殿下と会った時、随分と回復したと聞いた。でも、未だここへ戻って来ない。正式な異動の話は聞いてないけど、もう戻って来ないかもしれない。

「さ、お綺麗になりましたわ」

「ありがと……じゃ、ジルさん行こう」

 ジルさんはやわらかく微笑むと、分かりきった中庭への道順を、うやうやしくエスコートしてくれる。

「シーウェル殿とお会いするのは、半年振りになりますね」

「うん、いい人だったのは覚えてるよ」

 正直顔はあまり覚えてないけど、と心の中で付け加えておく。

「例の現場でしたね……あそこの橋もようやく完成して、もう三ヶ月は経ちますか。人通りも増えたせいか、周囲には小さな露店が並んで、けっこう賑わっているようですよ。コールバリからの珍しい民芸品や食べ物が入荷されてるそうです」

「へえ、そうなんだ。どんな食べ物かなあ」

「よろしければ次の休みの時にでも、お連れしますよ……俺でよければ、ですけど」

「ジルさんこそ、仕事じゃないのにお休みの日にまで付き合わせちゃっていいの? 私は助かるけど……」

「助かる、ね……うん、そうなりますよね」

 ジルさんは足を止めると、私を引き留めるかのように手を引いた。ジッと見下ろされて、私は目を瞬く。

「何? どっかまずいとこある?」

 髪飾りが曲がってるとか? 服に何かついてる? 汚さないように、気をつけて歩いてたんだけどな……と、ドレスのスカートを両手で広げて確認してると、小さな吐息のような笑い声が降ってきた。

「俺もつくづく学ばないな……いつも報われない相手ばかりだ」

「え?」

「こちらの話です……ところで先程お伝えし損ねたのですが、本日のお見合い相手に急用が出来まして」

「えっ? じゃあ予定はキャンセルなの?」

 えー、早く言ってよ……ヨリに準備万端にしてもらったのに。けっこう時間掛けたんだからねコレ。

「まあまあ、お見合いは予定通り行われますから。少々お相手が変わっただけで」

「そうなの? そっか、ならまあ」

 いいか、相手がいるなら予定通りだもん。張り切って準備してくれたヨリ達に、どう謝ろうか考えなくて済んでホッとした。

「……あれ、行かないの?」

 なぜか足を止めたままのジルさんを振り返る。

「俺の案内なんて、本当はいらんでしょ。ここから先は、姫さんお一人でどーぞ」

「えー……」

 まあ、確かに案内なんて必要ないけどさ。お見合いだって、今回で五回目になる。ベテラン中のベテランってほどじゃなくても、もうすっかり慣れっこだ。

(毎回毎回同じパターンだもんなあ)

 挨拶と自己紹介の後、一緒にお茶とお菓子をいただいて、最後にお礼を言い合っておしまい。これまで会った人たちは、皆揃って礼儀正しい良い人たちだった。

(今度もきっと、いい人だろう)

 だからいつか、どの人と結婚する事になっても心配ない。

「城内とはいえ、共の一人も付けないなんて感心しませんね」

 最初は空耳かと思った。

 きっと彼ならこう言うだろうと、いつも当たり前のように想像してるから、こんなはっきりと聞こえた気がしたのだろうと、悲しい気持ちで思った。

 でも、うつむいていた顔を上げて、咲き終わった薔薇のアーチの先にたたずむ人物の姿を認めると、おどろきすぎて狐につままれたような気分になった。

「ジルはどこへ行ったのです? まったく、あれほど何度も頼んでおいたというのに……」

「どうしてディルクがここにいるの」

 逆光気味なためか、表情はあまりよく見えない。でも彼の姿を、私が見間違えるはずなんてない……背が高くて、真っ直ぐ背筋が伸びてて、無骨なブーツを履いてるのに、どこか優雅な足取りで歩いてくる。

「私のことはひとまず置いておくとして、問題はジルです。あなたの騎士としての自覚に欠けます。しかもお見合いの場、独身男性に面会すると言うのに、姫様お一人にするとは……まったく、何を考えているんだアイツは!」

 珍しく語尾が荒くなった。しかも久しぶりなせいか、外見も違って見える。金色に輝く長い髪に、陽の光が降り注ぐ若葉の色がほんのり溶け込んで、やけに柔らかな印象を醸し出している。淡いブルーの上下は騎士服に見えなくもないけど、白いドレスシャツのレースが襟元や手首を華やかに飾って、なんだか本物の貴族みたいだ。

(や、貴族なんだけど)

 私は後ろを振り返ると、ジルさんも誰もついてきていない事を確認して、正面に立つディルクを改めて見上げた。

「別に、一人でも行けるけど……もしディルクが、その、用事が無いなら……一緒についてきてくれる?」

 どういう風に話せば正解なのか分からなくて、微妙な言い方になってしまう。ジルさんの代わりに、騎士として付き添ってもらえないかな……ほんの少しだけ、この先にある東家の手前まででいいから。

「駄目、かな……」

 返事が無いことに肩を落とすと、やや遅れて大きなため息が聞こえた。

「当然、ご一緒しますよ。私も用事がございますので……念の為ここまでお迎えに上がって、正解でした」

「え、迎えに来てくれたの?」

「ええ、逃げられたら困りますし……なにせ口うるさい、堅物な人間なもので。専属騎士になった時も、嫌そうなお顔をされてたでしょう」

 手を取られ、自然に腕を組まされた。なんか変な感じ……しかも昔の事を文句言われても、今更何と言えばいいのやら。

「ジルはいかがですか。腕っ節には信頼置ける男ですが、専属騎士の経験が浅い為、ご不便を掛けているのではないですか」

「あー、そう言われれば、この間の公務でも、段取り間違えて迷惑掛けちゃったんだ。ジルさんは笑って許してくれたけど、私ももっと気をつけておけばよかったんだよなあ」

「……この流れで、何故ご自分のお話になるのです?」

「えっ、だからジルさんには、迷惑掛けてるかなあって」

「違うでしょう、彼が、あなたに対して、という意味です……はあ、どうしてあなたは……」

 ディルクの嘆き?が終わる前に、東家に到着してしまった。予想通りお茶のセットは整えられていたけど、侍女さん達の姿がない。というより、お見合い相手もいない。

(あれれ、時間間違えてないよね?)

 焦った私がキョロキョロと周囲を見回している傍らで、ディルクがテキパキとお茶の支度を始めた。

「あー、もうちょっと待ってて。今お茶を用意しちゃうと、冷めちゃうかも」

「冷めませんよ」

「いや、だって相手が来てないし」

 するとディルクはクスリと笑って、優雅に椅子を勧めてきた。

「相手は私です。さあ、ご納得いただけたらお座りください」






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