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ナイトキラー  作者: 高菜あやめ
第六部
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(9) 出発の準備

 あれは四年前の冬だった。

 私は城の裏手に広がる森の中で、花を摘んでいた。春がもうすぐそこまで来ていたとはいえ、あまり咲いている花は無くて、少し……いやだいぶ困っていた。それでも時間をかけてどうにか摘み終わると、日はすっかり傾いて、辺りは薄らいだオレンジ色に染まりつつあった。

 裏庭から部屋へコッソリ戻ろうとしたのだけど、待ち伏せしてた侍女さんの一人に見つかってしまった。眉尻を下げた侍女さんに遠慮がちに窘められ、それからギュッと抱きしめられた。怒られることはなかった。

 侍女さんに昨日と同じように花束を託すと、きっとオイゲンも喜ばれますよ、やさしく言ってくれた。昨日と変わらない言葉だったけど、とても勇気づけられた。だから明日もまた花束を作らなくちゃ、と思った。思いながら、お見舞いへ行けない事がとても悲しかった……お花を送る事しかできなくて、とても苦しかった。




「ディルクは、無事なんだよね……?」

 声が自然と震えた。体もなんだかガクガクする。でも目だけは、ヨリの表情を読もうと、必死に焦点を合わせた。ヨリの顔色は、いまだかつて見たことのないくらい酷かった。

「ええ無事だそうです……今のところは。一時、救急搬送された先の病院にいたようですが、今朝方ベッセルロイアー公爵家へ運ばれて、現在はそちらで治療を受けてるそうです」

 今のところは、とはどういうことだろう。今は大丈夫だけど、後から容体が変化するかもってこと? 話を聞けば聞くほど不安でたまらなくなる。

(でも、これ以上ヨリを問い詰めても困らせるだけだ)

 私はのそりと体を起こすと、ベッドから下りた。

「姫様……」

「ヨリ、支度しよ。公務に遅れちゃう」

 ヨリの視線を痛いほど感じる。何か言いたそうにしてるけど、言えないみたいだ。きっと、私と同じだ……私が困るから。

 公務は休めない。わがままを言える年齢はとっくに過ぎた。言うとたくさんの人たちに迷惑を掛けると知っている。こんな時だからこそ、みんなを酷く困らせてしまうって、分かっている。

(分かって、いる、けど……)

 ヨリと目が合って、お互いの気持ちを伝え合う。彼女の思いやりに満ちた黒いやさしい瞳には、揺るぎない芯のようなものが通っていた。私たちは小さく頷き合った。

「……本日のお召し物をお持ちしますね」

 ヨリがそう言って扉へ向かいかけた時、不意に遠慮がちなノックの音が響いた。

「あの、たった今、王太子妃殿下が……」

 顔を覗かせた馴染みの侍女さんは、やや狼狽えた表情を浮かべている。ヨリは怪訝な顔つきで、私をチラリと振り返ると、侍女さんに向き直った。

「王太子妃殿下から、何かご伝言でもいただいたの?」

「いえ、それが……」

 ヨリの問いに、年若い侍女は落ち着きを失って、チラチラと何度も後ろを振り返る。そして次に、扉の向こう側からよく通る声が響いた。

「ハナちゃん、もう起きてるのでしょう?」

(王太子妃殿下の声! え、なんでここに!?)

 驚く私以上に、扉の前の侍女さんは文字通り飛び上がったかと思ったら、忙しなく体を揺らして挙動不審に陥っている。ヨリが急いで、その侍女さんの腕を取って扉から引き離すと同時に、妃殿下その人が部屋に入ってきた。

 妃殿下は急いでいたのか、ドレスに着替えてはいるものの、髪は後ろで簡単に束ねただけで化粧もしてない。スッピンにもかかわらずぱっちりした瞳が、ベッドの横で呆然と立つ私を捕らえると、迷いない足取りでズンズン近づいてくる。しかも妃殿下の後ろから続いて現れたのは、さらに意外な人物だった。

「姫さん、酷い顔色だな……ま、無理もないか」

「ジルさん!」

 ジルさんは昨夜バルコニーで別れた時と同じコート姿だった。あの酷い嵐の中で現場に向かったはずなのに、その顔には一切疲労感が見られない。ただ身に纏う汚れて擦り切れたコートが、彼が今までどこで何をしていたのか如実に物語っていた。

「ジル、説明を」

 妃殿下に促されて、ジルさんは私に向かって微笑んだ。

「お見苦しい恰好で失礼……すでにご存じかと思いますが、あなたの騎士が昨夜の救助活動中に大怪我を負いました。とりあえず応急処置はしたものの、早いうちに手術をしなければ危険な状態です。しかし残念ながらこの国には、それを完璧かつ安全に施術するだけの医師もいなければ、医療水準に達してないのが現状です」

 恐ろしい宣告に、私は目の前が真っ暗になった。すると指先に、温かい何かが触れた。

「隣国コールバリの医療技術なら、きっと可能なはずよ。そこでハナちゃん、今こそあなたの力が必要なの」

 目の前には、妃殿下の真剣な顔があった。指先をギュッと握られて、まだら模様の影がかかったような視界が次第にクリアになっていく。私の力が必要なら、何でもする……何でもする。

「今からコールバリへ行って、医師団の派遣を要請してきて欲しいの。ハナちゃんと『交流』がある第五王子に、直々に頼んでもらうのよ」

 そうか、コールバリの第五王子……私の初めての『お見合い相手』だ。あのやさしそうな人なら、きっと助けの手を差し伸べてくれる。

「姫さん、あの現場にはコールバリから派遣された医師が数名いたそうですよ。そこで『あなたの』騎士が、身を挺して彼らを救出したんです……これって、十分援助の理由になりますよね?」

 ジルさんの言葉に被せるように、妃殿下の力強い言葉が続く。

「その上、騎士の実妹で王太子妃殿下でもある私からの書状も付けましょう。ほら、さっき書いたばかりよ」

 妃殿下はわずかに口元を上げると、私に円筒状の書状を握らせてくれた。空いた方の手には、ジルさんの手が差し伸べられる。

「では、姫さん。準備が整い次第すぐ出発しますよ」

「えっ、で、でも……公務は」

 公務は休めない、そう言おうとしたのだけど、隣の妃殿下にやんわりと遮られてしまった。

「ハナちゃんの公務は、私が代理で引き受けるわ」

「えっ、妃殿下が!?」

 妃殿下はクルリと回転すると、扉の近くで縮こまって立ちすくむヨリたちに手を差し伸べた。

「さあ、あなたたち。グズグズしてる暇は無いわ。私の公務の支度と、ハナちゃんの旅の支度を同時にしなくちゃならないのですからね……ハナちゃん、あなたの服を貸してくれる?」

「ええっ! 妃殿下が、私の服を!?」

「あら、私たち背の高さもそう変わらないし、平気よ」

 妃殿下は本気らしく、ヨリを追い立てながら準備を始めた。

「ジル、あなたは外で待機してて」

「分かりましたよ、すぐ出ていきますから、まだ脱がないでくださいよー」

 ジルさんは笑いながら足早に出て行った。そして残された妃殿下と私は、ヨリたちの他に妃殿下の侍女さんたちも加わって、怒涛のスピードで身支度を整えていった。

「まあ、これが最新式の防水ブーツね! 軽くて足にもフィットするわ……それにこのドレス! 可愛いのに防水加工されててすごいわね。ハナちゃん、いつもこういうの面白いアイテムを着せてもらってるの? うらやましいわ!」

 妃殿下は、ともすれば暗く沈みそうな場を、少しでも明るくするかのように、大げさにはしゃぎながらヨリの用意した衣装を着せてもらっていた。ブーツは多少サイズの融通がきく作りになってて、妃殿下にも難なく履けたようだ。

 一方の私は、妃殿下が持ち運んだ乗馬服だ。少しフリルが多めなのは、たぶん妃殿下用だからだろう。スカートじゃなくて、ズボンだから馬にも跨りやすそうだ。

 私たちがすっかり身支度を整えて寝室を出ると、客間ではジルさんが、テーブルの上にあるサンドウィッチを立ったまま摘んでいた。

「申し訳ないけど、急ぐから姫さんの朝ごはんは包ませてもらいましたよ。移動中の合間を縫って召し上がってくださいね」

「はい、でも……」

 私はお皿に残っていたマフィンに手を伸ばす。立ったまま口の中に半分ほど押し込むと、ジルさんが目を丸くする中、急いで咀嚼する。

(また、半分残しちゃったよ……ディルク)

 バナナのやさしい甘みに、喉が詰まって涙が出そうになったけど、なんとか飲み込んだ。

「さ、朝食終わり……これですぐ出発できます」

 ジルさんはにっこり笑って、手にした包みをテーブルにそっと置いた。

「では参りましょう、コールバリへ!」






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