(7) 王太子妃殿下とランチ
王太子ご夫妻がお住まいの宮殿は、何年か前にノエミ妃殿下がお輿入れされた際に改装したから、王宮では一番新しい宮殿と言える。
(綺麗だなあ)
外観も庭のデザインも、新しいだけじゃなくて、なんていうか一味違う。他の宮殿で咲いているのと同じ品種の花でも、ガーデナーのセンスによるのか、まるでよその国のお庭に紛れ込んだみたい。
ノエミ妃殿下は、そんなお庭の真ん中で、妖精のように輝いていた。ふんわりとしたマタニティードレスが、より一層妖精感を醸し出している。そして髪の色や瞳の色、そして顔立ちはディルクによく似ていた。
「ようこそ、ハナちゃん。お腹空いたでしょ? おいしいものをたくさん用意したから、いっぱい食べてね」
「はいっ、ごちそうになります!」
妃殿下はものすごく気さくな人だった。私の為にと、キッシュを切り分けてくれる様子は手慣れてて、きっと普段から王太子様や王子様たちに、こうやって取り分けているんだろうなあと思った。
テーブルに並べられた料理は、たしかに昼食らしいメニューだけど、豪華でふんだんにあって、大層なご馳走だ。絶対に二人じゃ食べきれない。
「たくさん食べてくれるとうれしいわ。あと残ったら殿下のおやつになるから心配しないでね」
私の懸念を読んで、先回りに解決してくれたのはいいけど……この料理の残りが、王太子殿下のおやつになるの?
今朝早くに帰国されたばかりの王太子殿下は、おそらく過密スケジュールの中で、休まず政務に勤しんでいるはずだ。その殿下のおやつが……いや、たしかに食品ロスは防げて結構だけど……いいのか、それで……。
「ハナちゃん?」
「あ、はい」
「昨日の公務代理、ありがとう。大変だったでしょう? 山中ずっと歩かされたって聞いたわ」
「はい、でも護衛の兵士さんとかたくさんの方々がサポートしてくださったので、とっても助かりました」
「ジルたちが同行したんでしょ? 久しぶりの同窓会だってよろこんでいたわ」
「えっ、妃殿下は、ジルさんたちをご存じなんですか」
「幼馴染よ。まあ、どちらかと言うとディルク兄さんのね」
ディルクの幼馴染? 特殊部隊のジルさんたちが、わざわざ私の護衛に着くのが不思議だったけど、もしかしてディルクのおかげだったのか。
私が一人納得してる向かいでは、妃殿下がにこにこしながらついでのように付け加える。
「それにジルは、私の初恋相手なの」
「ぶっ……」
思わず紅茶を吹き出しそうになった。いやそれって、私が聞いていい話なの? いいんだよね?
「ハナちゃんの初恋はいつ?」
「ごほっ……」
今度はキッシュでむせそうになった。向かいの妃殿下はどんどん話しかけてくる割に、食事ペースは全く落ちない。いや、早い……もう二切れ目のキッシュを食べてる。
「ええと、これまでそういった相手は、特にいなかったと言うか」
「そうなのね。これから初恋なんて、うらやましいな。もしかしたら、未来の旦那様が初恋のお相手になるかもしれないのね」
「未来の……」
未来って、いつ? もうすぐそこなのかな。
私はもう少しこのままでいたい。でもそれって、わがままなのだろう。
「妃殿下は、結婚が決まった時、どんな気持ちでした?」
気づいたら、そんな言葉を口にしていた。たしか妃殿下は、今の私くらいの年齢でご結婚されたと聞いたから……どうだったんだろ。
「最初は『そっか、もう実家を出なきゃならないんだ』かな。王宮の食事は口に合うかな、とか、あとは一人で馬に乗っても怒られないかな、とか」
なんだか親近感を覚える内容に、肩の力が抜ける思いがした。それでもちょっとは、結婚相手の事を気にはならなかったのだろうか。
「好きな人がいたのに、他の人と結婚とか嫌にならなかったんですか」
「え、好きな人ってジルの事? 子供の頃の話だもの。とっくに振られちゃってるわよ」
妃殿下は失笑気味に、三切れ目のキッシュに手をつけた。なかなかの食べっぷりを見せつけられたら、まだ一切れ目を食べてる私も、負けてはいられない。
「まあ私は、生まれた時からずっと、いつか親が決めた相手の元へ嫁がなきゃならないって分かってたもの。ハナちゃんとは、全く事情が違うわ」
そうは言っても、街で暮らしたのは十二歳までだし、結婚観とか芽生える前にお城に上がっちゃったので、どちらにしてもピンと来ない。
王族は『しきたり』に従って、決められた相手と結婚するものだと言われれば、そうなのかと特に疑問も無い。
「だから、戸惑ってもいいのよ。当たり前よ、いきなりお見合いとか結婚とか、困っちゃうわよね?」
「あ……はい」
たしかに十七になってすぐお見合いだとか、多少は戸惑った。頭では『王家のしきたり』だからって理解できても、気持ちが追いつかないと言うか。
「オイゲンが生きてたら『見合いなんてまだ早い!』って反対してたわよ、きっと。ふふ、代わりに陛下がね……ものすごく反対されてるわ」
陛下って、お父さんが? それは初耳だ……。
「でも『しきたり』上、表立って反対できないのよ。やんなっちゃうわね、みんな変な決まりに振り回されて。でもハナちゃん、嫌なら嫌ってハッキリ断ってもいいのよ。言うのはタダだわ」
「いえ、でも、本当はコールバリへ嫁ぐのがいいって、自分でも分かってます」
「え、ちょっと待って、コールバリ? その話は流れたはずよ」
あわてた様子の妃殿下に、私は首を傾げる。
「あれ、私があちらへ嫁げば、グロールの東区とコールバリの国境地帯が開拓されて、行き来が楽なるんじゃないですか?」
妃殿下はナイナイと首を振った。
「ハナちゃんがコールバリに嫁いだって、あの国境地帯が整備されるはず無いわ。あの国は情報管理が厳しい国でも有名だもの。うちと同盟結んだって、門戸を大っぴらに広げるリスクは取らないわよ」
「そうなんですか……よく分かってなくて、早合点してました」
「まあ、たまたまお見合い相手があちらの国だった上、今回の公務でもコールバリが絡んでいたから、こんな風に誤解しても仕方ないわね。たぶんハナちゃんのお相手は、国内の有力貴族から選出されるわよ。そうね、例えばシーウェルとか」
「あ、それ、ジルさんにも言われました」
「優良物件のように言われたでしょ。あながち間違いではないけれど、あの人、ずっと思い人がいるのよね」
「え、そうなんですか!?」
「でもお相手はコールバリへ行っちゃったから、振られたって事になるのかしら。追いかける気概が無ければ、自立心旺盛な令嬢の心なんて掴めないわ」
ふとシーウェルさんが話してた、コールバリへ留学した幼馴染の話が頭によぎった。もしかしたら、その人の事かもしれない。
(じゃあ、やっぱお見合い相手にはならないなあ)
あれこれ考えてると、庭の奥から高く澄んだ声が響いてきて、思考は一旦中断された。
「お母様、ハナちゃん!」
現れたのは、金色の巻き毛を揺らす天使な王子様だった。ノエミ妃殿下の双子の息子さんの、どちらか……残念ながら一卵性双生児なので見分けはつかない。そして、彼の後ろを一歩遅れてついてくるのは、妃殿下の兄上であるディルクだった。
「あら、ディルク伯父様と遊んでいたのではなかったの」
「伯父上には、もうたくさん遊んでいただきました。ですから、今度はハナちゃんに遊んでいただいてもいいですか」
期待を込めた笑顔を向けられても、たぶんあなたの伯父上が許してくれないと思うよ……ごめん。
「ハンナ姫は、これから公務がございます」
「そうですか……残念です」
ディルクに断られ、王子様は項垂れた。小さいのに聞き分け良すぎる。
また今度遊ぼうね、と小さく手を振ると、向こうも小さく振り返してくれた。小さいけどイケメン……私も公務より、王子様と遊びたいよう。
「エディ、お兄様はご一緒ではなかったの」
「リディはいつものように、お祖父様のお屋敷へ行っちゃいました。宮殿よりも楽しいし、学ぶことも多いからって」
お祖父様って、ディルクと妃殿下のお父さんの、ベッセルロイアー公爵様の事だよね。上のお兄さんは、おじいちゃん子って事か。なんか親近感湧くなぁ。
「姫様、次のご予定が」
「あ、うん……では王太子妃殿下、本日はありがとうございました。お食事おいしくて、お話しも楽しかったです」
妃殿下は手土産として、クッキーやらケーキやらたくさん持たせてくれた。ヨリ達にも分けよう。
その日の午後は、次の公務の打ち合わせが三つあった。夕食を挟みながらだったから、部屋に戻ってくる頃にはすっかり遅くなっちゃったけど、移動が無かったので体は楽だった。
(その分、頭が疲れた……)
明日も朝から移動だ。寝る前にヨリに、着替えの確認してもらわないと。
(明日、大雨にならなきゃいいけど)
回廊に差し掛かると、中庭では庭師のおじさん達が灯りを手に、お花にカバーを掛けたり、プランターを運んだりと忙しそうにしている姿があった。
思わず駆け寄って声を掛けると、庭師の一人がずぶ濡れのレインコートから顔を上げた。
「大丈夫ですか」
「おお、姫様。いやあ大したことはございません。少しばかり土が緩くなってるので、発芽したばかりの苗が流れてしまわないよう、プランターに移し替えていたところでして」
「何か手伝えることありますか」
「いやいや、それには及びません。濡れて風邪など召されては大変ですから……さ、お付きの騎士殿も、あちらでやきもきされてますので、もうお戻りになられた方がいいですよ」
後を振り返ると、ディルクが回廊の柱の傍らからこちらを見つめていた。その顔はどこか穏やかで、機嫌も良さそうだった。
「ねえ、ディルク……」
「いいえ、いけません。お部屋に戻りましょう」
やっぱダメか。仕方なく庭師の皆さんに挨拶してその場を離れた。後で温かい飲み物を差し入れしてもらえるよう、料理長にお願いしておこう。