(6) 公務代理のご褒美?
帰城するまでの間、私は泥のように眠っていた。
「着きましたよ」
ディルクに起こされた時には、日はとっぷり沈んでしまっていた。馬車の車窓から差し込む玄関の灯りが、薄く開いた瞼にも眩しく感じる。
ゴシゴシと瞼をこすって、頬をペチペチ叩くと、よしっと気合いを入れてから馬車から飛び降りた。
「お帰りなさいませ」
玄関では、ヨリが出迎えてくれた。ここは裏門なので人の出入りが少なく、あまり目立たないから、私のボサボサ髪も汚れたドレスも、全く気にならない。
「お疲れ様でした。お風呂のご用意は出来ておりますわ」
「ありがとう、うれしい」
パンパンに腫れた足を、早く温かいお湯に浸したい。でもお腹もすいた。あと眠い……つまり疲れているんだ、私。ヨリの労わるような視線がじん、と胸に沁みる。
(私が外国へお嫁に行っても……ヨリはついてきてくれるかな。でも、ヨリの家族はこの国にいるから、それはワガママだろうなあ。やだなあ、もっと一緒に居れたらいいのに)
しんみりしてきて、いかんいかん、と心の中で頭を振る。今はまだこの国にいるんだから、ここでやるべき事に集中しなくちゃ。
「えーと……明日の朝イチの公務って何だっけ」
「もう姫様ったら! 帰ってきたばかりなのに……最近ワーカホリック気味ですわよ?」
ヨリが少し怒った口調で眉をひそめた。いや別に、公務に熱心なわけじゃなくて……きっと気が紛れるから。考えたくない事を、考えなくて済む口実になるから。
私が曖昧な笑いを浮かべると、後から続いてディルクが玄関にやってきた。どこから私たちの会話を聞いていたのか、キビキビとした口調で、明日の予定を説明してくれる。
「明日は午前九時から、学生連合による都市開発推進会議が開催されますので、姫様にはオブザーバーとしてご出席いただきます。パネルディスカッション形式で三時間、姫様には開会式と閉会式でご挨拶いただく予定です」
「あ、毎年恒例のやつだね」
たしかこの国の有名六大学から選抜された生徒たちによる、都市開発についての意見交換みたいな感じだったかな。去年初めて出席したけど、みんな大人顔負けの意見を持つ、なんというか……すごく頭の良さそうな人たちだった。
(私とそう年も変わらないのに、皆いろいろ物知りで、自分の意見もしっかり持ってて、しかも話し合いする時は一方的じゃなくて、相手の意見をちゃんと受け止めて……すごいよなあ)
大人の中には、一方的に意見を述べるだけで、相手の言うことに耳を貸さない人もたくさんいる。そんな人たちに、生徒さんのフレッシュな意見をぶつけたら、けっこう面白そうだな。
「たしか専門家の人とか、何人か出席するんだったよね? 誰が参加するのか、先に知っておきたいんだけど」
「明日の出席者リストと会議資料は、食事と一緒にお部屋に届けさせるよう手配いたします。私は明日の警備の確認をして参りますので、また後ほど」
ディルクが廊下の反対側へ消えてしまうと、それを待ってたかのように、ヨリが目を輝かせて詰め寄ってきた。
「それで、シーウェル様はどんな方でした!?」
それが聞きたくて、さっきからうずうずしてたのかあ。素直で裏表がないというか、あからさまなヨリについ吹き出してしまう。ヨリってけっこう恋愛話が好きなんだよね……よし、期待に応えようじゃないの。
「いい人だったよ。親切で真面目そうで、仕事熱心な人だった」
「それはよかったですが、その、外見とかは……?」
言いにくそうにしてるけど、どうしても気になる点らしい。先日のお見合いの時も、そこがわりと重要ポイントだったみたいで、終わった後もあれこれメイド仲間と話していたもんなあ。
「年齢よりずっと若く見えるし、イケメンだったよ」
「そうなんですか!? ディルク様と比べて、どのくらい美形ですか?」
すごい食いつきようだな……それにしても、基準がディルクなのはなぜだろう。
(たしかに、ディルクくらい美形って、あまり見た事ないからなあ)
見慣れているとはいえ、間近にあんな美形騎士様がいるって、なんか不思議。
「うーん、ディルクとはちょっと系統が違うかも? もっと優しそうっていうか、丸そうな感じ?」
「えっ、丸いって、太ってらっしゃるという意味でしょうか」
「いやそうじゃなくて、落ち着いてるっていうか、穏やかそうというか」
「なるほど、円熟した大人の魅力があるってことですね」
すごい解釈だな。でもまあ、年齢からすればそうなのかも。そうぼんやり考えていたら、ヨリが急にハッとした表情で私の手を取った。
「失礼しました、このような場所で立ち話など……姫様はお疲れですのに! さあお部屋へ戻りましょう。夕食はすでに準備が整っていると、お迎え前に料理長から言付かっておりますわ。お腹空いたでしょう?」
「うん、空いた……お風呂早く入っちゃおう」
その後、バタバタとお風呂を済ませて、料理長が用意してくれた、体にやさしそうなシチューと焼き立てのパンをたっぷり食べると、ディルクから届いた資料も見ずにベッドにもぐりこんだ。
もう疲れて限界だったのだ……資料は明日の朝一に、ベッドの中で読もう。
翌日。たっぷり寝たので、朝の目覚めは爽快だった。
七時の起床は、公務としては遅い方で、それも助かったと思う。
公務の日程調整は通常、専属騎士が主体になってやってくれる。恐らくこの無理ない流れは、数か月前から組まれていたのだろう……ディルクには感謝しかない。
(後は会議中に、居眠りしないよう気をつけるだけか……)
ドレスルームの中で、下着一枚で待機していると、ヨリがいそいそと衣装を運んできてくれた。
「姫様、本日の御召し物はこちらになります」
「へえ、クリーム色のドレスなんだね」
「ええ、でもそれだけではなく、もう一枚のドレスを重ね着していただきます」
もう一着差し出されたのは、ターコイズブルーのドレスだった。半袖なのに、生地の質感は少し重め。でもクリーム色のドレスの上に重ね着すると、ちょうどセットのドレスみたいにしっくりくる。
「ということは……会議の後は、このブルーのドレスは脱いで、クリーム色のドレスだけになれば、次の予定へ行けるんだね?」
「ええ、何事も時短ですわ時短。会議の後はガーデンテラスで、王太子妃殿下との昼食ですもの。軽くて明るい装いがピッタリですわ」
相変わらずヨリの工夫はすごい。そのお陰で、予定の合間に一息入れる時間が確保できるんだから、ホントありがたい。
「姫様、出発の時刻です」
ディルクが部屋まで迎えにきた。本日の騎士様の装いは、深いブルーのコーディネイトでスマートに決めている。
「あらら、なんだか青系統で、お揃いみたいになりましたわね」
ヨリの一言に、顔がぶわっと熱くなった。何を言ってるんだよ、もう。
「と、とにかく行ってきまーす……」
そそくさと部屋を出ると、ヨリのからかいにも動じないポーカーフェイスの騎士様が、そっと扉を閉じてくれた。いつものように馬車まで先導してくれる間、今日の予定についてあれこれ話していると、突然ディルクが思わぬことを口にした。
「本日の昼食の件について、申し訳ございません」
「え、は……なんで?」
いや、だって王太子妃殿下との食事だよ? 普通に光栄じゃないの?
「どうしても姫様とお会いしたいと、妹が……妃殿下が強くご希望されたので、仕方なく……本来ならば、昼食はお部屋でゆっくり召し上がって欲しかったのですが」
そういえば、ノエミ妃殿下はディルクの妹さんだったなあ。すると妃殿下は、ディルクを通してこの予定を組んだってことか。
「私は楽しみだよ。妃殿下と二人っきりで食事するの、初めてだもん」
「そうおっしゃっていただけると、妃殿下も喜ばれます」
ディルクってば、妹なのに妃殿下って呼ぶんだ。まあ王宮内ならそうなるか……特にディルクみたいに、真面目な人間なら礼儀礼節を重んじるだろう。
今回の昼食は、妃殿下のお住いである宮殿のお庭でいただく。一応、昨日の公務代理のお礼っていう立て付けらしいけど、内容は非公式で軽食レベルだそう。
(代理のお礼って言われても、当然の事したまでだし。だって身重の体じゃ、あの公務は無理に決まってるよ)
妃殿下には七歳になる双子の男の子がおられるけど、今回の懐妊は実に七年振りな為か、出産予定日はまだ先なのにもかかわらず、城内はすでに祝賀ムードに包まれている。
そんな中でも妃殿下は、わりと最近まで軽い公務は行ってたみたいだけど、さすがに昨日の山登りは無理だと思ったのだろう。実際、私にだって結構ハードだった……うん、運動不足のせい。
(でもそのお陰で、妃殿下とゆっくり会えるなんて、ラッキーだよ)
ディルクのお父さんであるベッセルロイアー公爵様には何度も会ったことあるし、二人の小さな王子様たちとも遊んだことがある。二人揃って金髪碧眼の、天使のようにかわいい子たちなんだよね。
でも妃殿下とは、なかなかお会いする機会がなかった。せいぜい挨拶程度の顔合わせで、二言三言交わしたくらいしかない。
(妃殿下って、微妙なお立場だしな……特定の王族と仲良くすると、勢力だとか派閥とか、変な噂を立てられちゃうから危ないってヨリも言ってたっけ)
だからこうして、昼食をご一緒できるのは素直にうれしい。昨日の公務代理、頑張ったかいがあったというものだ。