(1) お休みの日
遠乗りから戻ってくる時の景色が大好き。
ろうたけた貴婦人の横顔のように、白くて凛とした佇まいのお城はとっても綺麗。その背後で左右対称に広がる王宮が、まるで広げられた両腕みたい。夕日を浴びて赤味を帯びた頬で「おかえりなさい」と出迎えてくれる。
「姫様、いかがなさいましたか」
「うちのお城って、いつ見ても綺麗だなあって思ったの」
少し遅れてついてきた専属騎士のディルクが、焦げ茶色をした馬の手綱を締めて横に並んだ。二人で歩調を緩めて、ゆっくりとお城へ向かって進んでいく。
「明日は何時に起きればいいんだっけ」
「五時です」
私は「そっか」とつぶやきながら、明日の流れを頭の中でシュミレーションする。起きて顔を洗ってドレスに着替えて、それから朝食をとりながら公務内容の最終確認をする。部屋を出る前に、髪のセットと見苦しくない程度に化粧をしてもらって……。
「少しは気分転換になりましたか」
「えっ」
隣を見上げると、金色に輝く髪を風になびかせた騎士様がこちらを見ていた。彼の背後には、温かなオレンジ色の空が広がっている。少し逆光な上、見慣れない人には少し分かりにくいかもしれないけど、向けられた顔には気遣うような表情が浮かんでいた。
「なった、なった。もう疲れなんて、ふっとんじゃった」
「よかったです。でも、くれぐれもご無理なさならいよう」
相変わらず過保護。最近はそれに心配性も加わって、ほんの少しだけ……くすぐったい。いや、ごめんなさい。心配されてよろこんでいる場合じゃなかった。
(お姫様としての自覚、責任。あとなんだっけ? えーと、礼儀正しさ……うん、忘れないようにしなくちゃね)
皆に支えられて、私はこうして毎日が過ごせるんだ。この素敵なお城に温かく迎え入れられて、早五年……与えられたたくさんの思いやりとやさしさに、どうやってお返しできるかな。
(まずは、公務をしっかりやらないとね)
私の名前はハンナ・ボーゼ。市井で生まれ育って、十二の歳で孤児になった。
私自身すっかり天涯孤独の身になったと思い込んでいたのだけど、孤児登録した際に役所の調査が入って、なんとおそれ多くも国王陛下が父親と判明。実はずっと私のことを探してくれていたらしい。
(初めてお城にあがった時、いきなり知らないおじさんが抱きついてきて、しかも大泣きするもんだから驚いたよ)
まさかそれが国王陛下で、しかも私の到着を待ちわびていた父親だと分からず、私も怖くて大泣きしてしまったのは、今では懐かしい思い出だ。
あれから少しずつ、陛下とは親子の距離を縮めていって、今では二人きりの時は「お父さん」と呼べるまでになった。たまに一緒にご飯を食べたり、ゲームをして遊んだりすることもある。
(オイゲンが生きていたら、よろこんでくれただろうなあ)
最初の専属騎士オイゲンのことは、今でも度々こうして思い出す。心の中のオイゲンは、いつも心強くて勇気をくれたり、時には叱咤激励してくれたり、泣いたり怒ったりと忙しい。
そんな私の傍に今いてくれるのが、オイゲンの後任となった専属騎士のディルク・ベッセルロイアー。黒サッシュのエリート騎士様で、その洗練された品の良い佇まいはもちろん、びっくりするくらい容姿端麗で、お姫様たちやご婦人方に大人気。でも、厳しくてちょっと口うるさいのが玉にきず……いや、私がしっかりすればいいだけの話しかも。
「姫様、お手を」
いつの間に馬から降りていたディルクに、手を差し伸べられた。楽しかった遠乗りは、もうおしまい。明日からまた公務で忙しい日々へと戻る。
(馬くらい、一人で降りれるのに……なんでかなあ)
最近ディルクが、ますます私をご婦人?扱いするようになった。いちいちエスコートするし、段差があれば手を差し伸べるし、なんていうか……それって普通に、お姫様に対して接しているみたいで困る。
だって私ときたら、去年よりも多少背は伸びたとはいえ、髪は男の子みたいに短いし、胸は申し訳程度しかないし、ズボンを履けば、まだ男の子でも通用すると思うんだよね。
それなのにお姫様扱いされると、なんか気恥ずかしいというか、申し訳ない気持ちが先に立つ。
そして以前に増して公務が多くなった私に、ディルクは付きっきりとなった。以前のディルクは、他にもあれこれ仕事を兼任してて、度々姿が見えない時もあったのに、今では一日中べったりだ。いや、本来ならこれが専属騎士のあるべき姿と言われれば、そうなんだろうけど。
(私自身、まさかこんなに公務に追われることになるなんて、想像してなかったからなあ)
ディルクを専属にしているからか、わりと重要な公務も任されるようになったのも、忙しさの一因だ。
ディルクは私の専属になる前は、騎士の最高位黒サッシュとして、諸外国との折衝や外交関係の仕事に携わっていた。その経験が買われて、私の公務にも重要なものが入ってくるのだろう。なぜなら私自身は、そういう難しい公務に見合う能力も、王族としての立場もないから。
私自身は、一般庶民として生まれ育ったことについて、特に引け目を感じているわけじゃないけど、王族としての後ろ盾が何もないから、城内でも立場も弱い。その為下心を持って近づいてくる、有力貴族っていう人たちにも、全く縁が無い。むしろ、その点はとっても助かっている。
とにかく私の公務は、ディルクの能力が多分に期待された上で、決定されていることは疑いようもない事実だ。
(そのせいで、毎回ディルクが申し訳なさそうにしているのが、逆に申し訳ないというか……うーん)
明日の公務だって、ディルクがいるから決まったようなものだから。
そうじゃなければ、どうして私が王太子妃殿下の代理なんて、すごい公務に抜擢されただろうか。なんていってもノエミ妃殿下はベッセルロイアー公爵家出身で、ディルクの実の妹さんだから。
建前上は、妃殿下の義理の妹姫である私が代理ってことになってるけど、実際のところは妃殿下の兄君であり、ベッセルロイアー家の次期当主でもあるディルクが、真の代理だってことは十分理解してる。
「いえ、それは姫様だから、ですわよ?」
夕食後、お風呂に入ってのんびり就寝前のハーブティーをいただいていると、ヨリが当然といった顔でポットを手に眉を寄せた。
「明日のご公務って、グロールの東地区にある、避難所の慰問でしたわよね?」
「うん……」
山岳地帯に位置するグロールは、険しい渓谷を挟んで東西二つの地区に分かれている。それを繋ぐ大きな橋は、近年老朽化が進み、そろそろ補強工事を検討していたところ、先月数週間にわたる悪天候により崩落してしまった。
今は急ピッチで橋の再建が進められているものの、自分のいた地区へ戻れなくなった大勢の人たちが、急ごしらえの避難所に滞在されていると聞く。
「あの辺り一帯、かなりの悪路と聞き及んでおりますわ。公道も途中までしか通ってないから、馬車も通れないとか。体力の無い、か弱い姫君たちが訪問するなんて、とても無理ですわ」
「たしかに。でもそうなると、妃殿下でも難しいよね?」
「お立場上、やむを得なかったと推測しますわ。もちろん皆無理と分かってて、最初から代理を立てるつもりだったのでしょうけど」
大きな災害があれば、必ず国王陛下や王太子殿下が慰問に訪れる。でも陛下は今、ぎっくり腰やっちゃって動けないらしく、王太子殿下は外交で隣国へ訪問中だから不在。
そこで次は王太子妃殿下にお鉢が回って来たそうだけど……この春にご懐妊され、今ご公務は無理なお体なのだ。
「他の姫君たちは、皆そろって体力もなければ、お一人で馬にもお乗りになれない。そんな中で、山登りする体力もあって乗馬も得意な姫様に白羽の矢が立ったのは、むしろ当然ですわ」
「なるほど……言われてみれば、そんな気がしてきた」
納得してベッドにもぐりこむと、ヨリが明かりを落としてくれた。
暗闇の中、明日起こり得ることを、あれこれ想像する。城を馬車で出発した後、公道の途中で降ろされて、きっと長靴と防水コートを身に着けることになるはず。そこから山登りが始まる……馬はたぶん使えない。
(さいきん運動不足だから、途中バテないよう気を引き締めないと)
きっとディルクは、私が少しでもへばった様子を見せたら、お疲れでしょうとか言って、おんぶしようとするに違いない。絶対そんなこと言わせないよう、気合を入れて今夜はしっかり睡眠を取るんだ。そんで、明日は馬車の移動中も、出来る限り寝ておこう。
(子供じゃないんだからね……ましてや、か弱いお姫様じゃあるまいし。そうだ、軍手を持って行こう。山の中なら、木の枝とか障害物を避けたりするのに、絶対役に立つはず……)
暗闇に慣れた目で、頭上に両手をかざして眺める。カーテンから差し込む、わずかな月明かりを浴びて両手が白っぽく見えるのは、ここしばらく釣りに行けなかったからだ。すっかり日焼けが取れてしまったのが寂しい。
元気が一番、健康にも体力にも自信はある。
(でも、最近ホント運動不足で……実は今日の乗馬も、ちょっと疲れた……いや明日になればきっと大丈夫……)
そんな根拠の無い、祈りにも近い気持ちで眠りについた。