(16) ありがとう
待ちに待った夏休み初日。私は料理長立ち会いのもと、午前三時から王宮の厨房に籠って、黙々と二時間近く作業を行っていた。
――で、できた……。
調理台に並んだクッキーの袋は四つ。買物に行っている暇もなかったけど、間に合わせで用意した袋は縁にレースのエンボス加工されててとっても可愛いかった。しかも、ちゃんとプレゼント用に赤いリボンも掛けたし、充分満足な仕上がりとなったからうれしい。
初めてにしては良くできたとしみじみ包みを眺めていたら、一緒に作業を手伝ってくれた料理長が籐で出来た可愛いらしい籠を出してきてくれた。
「さあ姫様、ここは私が片付けておきますから、お急ぎください」
「うわわっ、もう五時になっちゃう……あとで片付けに戻るから、そのままにしておいて!」
私は急いで籠にクッキーの袋を詰めると、厨房を飛び出し、王宮の裏口にあたる車寄せへと走った。
本日、オディロン第二王子は公務で遠い異国の地へと旅立つ。
出立時刻はまさかの午前五時。普通に起きても眠い時刻に、まるで人目を避けるかのようにひっそりと王宮を後にするなんて、あたかも誰も見送りに来なくていいと言わんばかりだ。これって気を使わなくていいから、という配慮なのか、いまいちよく分からない。
――オディロン王子って、けっこう人に気を使うタイプみたいだしなあ。
あれこれ考えながら走っていると、ようやく車寄せに到着した。ちょうど大きな馬車に御者が荷物を積んでいるところで、その傍らにはすっかり旅支度を整えたオディロン王子と、隣にはコンラードさんがいて立ち話している。そして彼らに混ざって立つ後姿を見つけた私は、びっくりして思わず大きな声を上げた。
「えっ、なんでディルクがいるの!?」
ディルクは振り返って私の姿を認めると、さして驚いた様子も無く近づいてきた。
「料理長を問い詰めたら、姫様がお見送りに来られると聞き、先回りしてお待ちしておりました」
「なんで料理長に……?」
「昨日、姫様が頻繁に厨房へ足を運ばれていると、報告を受けておりましたので」
確かに昨日は、朝メーゼ港でアーベル王子たちが乗るエスタルロードの出港を見送った後、お城に戻ってずっとクッキーの準備をしていた。まず料理長に、厨房を使う許可をもらいがてら事情を話したら、材料とかラッピングとかあれこれ相談に乗ってくれた。でもディルクやヨリには内緒にしたかったから、相談できるのは料理長一人で、結果厨房に入り浸っていたんだ。ディルクが何か感づいて当然だよなあ。
それにしても、慌ただしく旅立とうとするお兄ちゃんに、サプライズのプレゼントを渡そうと計画したところまでは良かったけど、まさかの翌朝五時出発にはまいった。それに料理長に厨房を使う許可をもらったけど、火を扱うから自分も一緒に付いていると言われ、申し訳ないことに三時起きでクッキー焼きに付き合わせてしまった。
――料理長、ディルクに問い詰められて、困っただろうなあ。悪いことをした……。
なんとなくそわそわしていると、ディルクは私が抱える籠を見下ろして苦笑を漏らした。
「何を作られたのか存じませんが、中身の詮索などしてないのでご安心ください」
料理長、ちゃんと秘密を守ってくれてありがとう。まあでも中身はすぐ分かると思うよ……ここにディルクの分もちゃんと用意してあるからね。
「ハナちゃん、見送りに来てくれたんだ。朝早いから、よかったのに」
オディロン王子は馬車から離れて、私とディルクのもとへやってきた。早朝とは思えない爽やかな笑顔を振りまいている……さすがだ、お兄ちゃん。
それにしても……と、私はオディロン王子の後方にチラリと視線を走らせた。馬車の横で控えるように待っているコンラードさんに、私はなんだかうれしくなってしまう。
「一緒なんですね」
「うん、まあね……ハナちゃんには断られちゃったし、どうせなら一緒に旅慣れた騎士の方が、いろいろ都合いいかと思っただけだよ」
なんか少しばかり、言い訳めいた口調だ。照れてるのかな。でもコンラードさんが一緒なら、安心だね。私はニヨニヨしながら、籠の中からひとつ包みを取り出した。
「はい、これどうぞ」
茶色の瞳が興味深そうに、受け取った包みを見つめている。あんまりジッと見ないで欲しいなあ……例によって例の如く、リボンが縦結びになっちゃってるんだよね。
「旅の途中、おやつにでも食べてください」
「クッキー? これは何の形?」
「えーと、お兄ちゃんのはお月様にしました。それが満月で、こっちが半月、あっちが三日月」
旅の期間を、月の満ち欠けで表したんだ。我ながらいいアイデアだよね。しかも星の形のやつが、底の方にひとつだけ入ってるんだよ。
次に、馬車の側にいたコンラードさんに駆け寄ると、二つ目の袋を差し出した。受け取ったコンラードさんは物凄く驚いてる。
「えっ、私の分ですか?」
「はい、旅のおやつです。コンラードさんには、いろいろお世話になりました」
「ありがとうございます……お姫様の手作りなんて勿体ないです。おや、この形は……」
「盾です。主人を守る騎士ってイメージで……うわあっ」
いきなり背後からギュッと抱きしめらた。
「ハナちゃん……ありがとう、うれしいよ」
オディロン王子の感極まった声音が、なんだか無性に照れくさい。たかがクッキーひとつで、ホント大げさだってば……まいったなあ。
私が面映ゆくて言葉を詰まらせていると、そっと腕を解いたオディロン王子に肩をつかまれ、クルリと反転させられた。真正面から向き合うと、なぜか潤んだ瞳で見つめられる。
「ね……もう一度、僕のこと呼んで」
優しく微笑むオディロン王子に、私は首を捻りつつ、望まれた通りの事を口にする。
「えーと、オディ兄様?」
「そうじゃなくて。もう一度『お兄ちゃん』って呼んでよ」
あっ、と口を押さえた。しまった、つい『お兄ちゃん』って呼んじゃったよ。
――だって、お兄様って柄じゃないし。頭の中で自然とお兄ちゃん、って呼んじゃってたからなあ。
改めてお願いされると、お兄ちゃんとも呼びにくい。もじもじしていると、オディロン王子はまるで私の機嫌を取るように、そっと頭を撫でた。
「お土産たくさん買ってくるね」
「うん、いってらっしゃい……お兄ちゃん」
小さくつぶやくと、オディロン王子……もとい、お兄ちゃんは、もう一度私をギュッと抱きしめた。
「行ってきます、ハナちゃん」
そういえば一曲踊る約束だったのに、まだ果たせてない。それに城下町で、大きなパフェ食べさせてくれる約束もあった。
いろいろ頭に浮かぶのに、こういう別れの時って何を言ったらいいのか分からないよ。ぐるぐるしていると、コンラードさんが静かに割って入った。
「王子、そろそろお時間です」
「ああ分かった」
お兄ちゃんは、コンラードさんと連れ立って馬車に乗り込んだ。手を振る二人に、私も手を振り返す。そして馬車はガラガラと音を立てて、朝靄の煙る道を走り去っていった。
「……行っちゃった」
「そうですね」
次はいつ会えるんだろう。
「それまでクッキーを上手に焼けるよう、練習しとかなきゃ。初めて焼いたんだけど、生地を少し練り過ぎて固くなっちゃったんだよね」
「でも喜ばれてますよ、きっと」
「ディルクの分もあるよ」
えっ、とディルクは振り向いた。そこではい、と三つ目の袋を手渡した。
「……この形は……」
「ハートだよ。心を込めて焼いてみた」
「……」
目の前の騎士様は、手袋をした手で口元を覆うと、ブワッと赤くなった。えっ、なんで?
「姫様のお気持ち……ですか」
「そうだけど……なんか変?」
いつも私の為に心を砕いてくれる騎士様に対して、という意味でハートにしたんだけど。ちなみに四つ目はヨリの分で、お花の形にした。
それにしても、ディルクの様子がおかしい。なんか喜んでいるというより、びっくりしてるような、でも照れているような……分かりにくいけど喜んでいるのかなコレ?
――待てよ、ハートで驚いて赤くなるって……別に愛の告白じゃあるまい……し?
「ち、違う、よ。そーゆー意味じゃなくて、その、日頃の感謝の気持ちって事だから! 深い意味は無いから!!」
「姫様」
ディルクは赤い顔のまま、ふんわりと微笑む。わわわ、なんだこれ、物凄く照れるし恥ずかしい!
「とても嬉しいです。ありがとうございます」
「え、あ……うん……こちらこそ、ありがとう」
ありがとう、喜んでくれて。いつもありがとう、一緒にいてくれて。
たくさんのありがとうは、ちょっとずつしか返せないから、何度でも、いろんな形で伝えたい。
――そう思うと毎日、ありがとうをプレゼントし合ってるみたいだなあ。
その後ヨリにもクッキーを渡し、朝ご飯を兼ねてみんなでお茶を飲んだ。ディルクもヨリも、それから料理長も一緒に、厨房のテーブルを囲んでワイワイとおしゃべりをした。
その後、寝不足ですっかり疲れてしまった私は、もう一度ベッドへ戻って眠った。実は昨日は寝てない……自力で三時に起きる自信がなかったから。でもこれ知られたら、ディルクとヨリに怒られちゃうから内緒だよ?
夏休みは始まったたばかり。まだまだ、楽しい事がいっぱいありそう。
(終わり)
久しぶりのシリーズ新作、最後までお付き合いいただきありがとうございました!
またお会いできる日を、ハナちゃん一同楽しみにしてます。