(13) 涙のわけ
翌日、公務は昼からなので、久しぶりに惰眠を貪っていると、予定より早くヨリに揺り起こされた。
「もう少し寝かせて……」
「二度寝してる場合ではありませんわ、姫様!」
何があったんだと目をこすりつつベッドから半身を起こすなり、ヨリからバサッと音を立てて勢いよく差し出されたのは……新聞?
「えーと……『熱愛報道〜社交界のプリンスに恋人出現か!?』……何コレ?」
「この記事の写真をご覧ください!」
あ……ディルクだ。ディルクって『社交界のプリンス』とか呼ばれてんの? 恥ずかしいネーミングだなあ……って。
「うわわわ、これ昨日のお茶会!?」
「そうですわ! ディルク様の影に隠れてわかりにくいですけど、このワンピース姿は……」
「わ、私だ。えっ、ちょっと待って、てことは……」
するとタイミングよく寝室の扉がノックされ、件の騎士様が現れた。手には同じような新聞を握りしめて(握り潰して?)いる。
「姫様、本日のご公務は中止になりました」
「はあ? ど、どうして……?」
ディルクは怖い顔で、焦れたように腕組みした。
「ヨリが申した通り、姫様の記事が新聞に掲載されてしまった為、多くの報道陣が城に詰めかけております。今は王室の広報局に対応させてますが、外に一歩でも出たら、大騒ぎになるでしょう」
その言葉に、私は改めて手元の記事に目を落とす。
「でもコレ、どう見ても私の記事というより、ディルクの記事……」
「姫様の記事です。お写真も出てしまってる……ったく、どこに隠れていたんだアイツら」
舌打ちするディルクに、私は驚きを隠せなかった。いつも冷静沈着な騎士様が、こんな風に素で不機嫌露わにするなんて珍しい。
「まあ、ちょっと落ち着いて……」
「姫様こそ、なぜ落ち着いてられるのです? あなたご自身に関わる醜聞なのですよ!?」
えっ、醜聞なのコレ?
――や、でも……そうかもなぁ。
ディルクはベッセルロイアー公爵家の嫡男で、いずれ家督を継ぐ身なのに……とんだ迷惑を掛けてしまった。
「ご、ごめん……私がドレス破いちゃったせいで」
「いいえ、侍女の身でありながらドレスのお着替えを姫様にお任せしてしまった自分にこそ、非がございますわ!」
「姫様をお守りできなかった私が一番悪いのです」
三者三様、意見が違ってる。しかも、それぞれ自分を責めている。これじゃいつまでたっても、埒があかない。
「分かった。こうしよう……悪いところを三で割って、みんなで分けようよ」
すると今まで難しい顔をしていたヨリとディルクが、毒気が抜けたように私を見つめた。
「とにかく今日の公務は全部中止になっちゃったんだよね?」
「ええ姫様のご公務は。ただし今夜はエスタルロード側にとって我が国での最後の夜となる為、大規模な舞踏会が予定されてます。こちらはご出席いただかなくてはなりません」
「分かった。じゃあそれまで大人しく部屋にこもっているよ……ヨリ、悪いけど食事は部屋に運んでもらえるかな」
「も、もちろんですわ」
「ディルク、広報局には昨日の件について、私が具合悪くなったからだと説明しといてくれる? たしか何人かのご婦人方の前で、そういうフリをしたから誤魔化せるんじゃないかと思うんだ」
「ええ、すでに茶会の主催者だったオーグレーン伯爵夫人に連絡入れて、証言してもらう手はずを整えております」
さすがうちの騎士様だ。これで噂もなんとか収束するだろう……たぶん。あとはディルクに、然るべきお相手ができれば、きっと皆こんな話などすぐ忘れる。
「姫様?」
「……あ、いやなんでもない。ちょっとぼんやりしてた」
あはは、と笑って新聞記事に目を落とした瞬間、目からボロロッと涙が溢れ出た。
――えっ、なんで?
ヨリは黙って私の膝に広げた新聞を取り上げると、ハンカチで濡れた頰を拭ってくれた。
「……っ……とにかく広報担当と話をして、早急に誤解を解いて参ります。姫様は、今日は一日中お部屋から出ないように。あと念のため、できるだけ窓には近づかないでください」
そう言い残してディルクは足早に部屋を出て行ってしまった。後に残された私は、ベッドの上に座ったまま、シーツを握りしめる。
「また、迷惑掛けちゃったね」
ヨリはそっと首を振った。
「こういう時は、うんと甘いお菓子を召し上がるといいですわ。実は朝から料理長が腕によりを掛けて、姫様の為に特別なお菓子をたくさんご用意してますのよ」
「ヨリ……」
「今日は一日中、お菓子食べ放題の日ですわよ! お食事前だろうと後だろうと、今日だけ特別許して差し上げますわ。早速お隣の部屋にご用意しますわね」
ヨリや料理長の気遣いはうれしかったけど、全てが心の中で上滑りしてしまい、正直とても喜べず、何も喉を通りそうになかった。
ディルクの言った『醜聞』の一言が、胸に刺さって痛かった。本気で怒った姿を目の当たりにして、思い知らされたんだ。
おそらく別のご令嬢だったら、こんな風に怒ったりしなかっただろうに、と。
実際ディルクについて、この手の話を耳にしたのは初めてじゃない。ある時は人伝に聞いて、またある時は新聞や雑誌を通して、どこぞの令嬢やご婦人と噂されている事を知った。だけどその度にディルクは、平然とした顔で否定してた。
――あんなに怒るなんて、よっぽど嫌だったんだろうなぁ。
それに真面目に自分の主人を助けていただけなのに、ああいう風に誤解されたのも不本意だったに違いない。ディルクは自分の仕事をしただけなのに。
――仕事……か。
ディルクもヨリも、ずっと私を支えてくれている。もっと二人の職場環境に配慮すべきだった。これからは今まで以上に真面目かつ堅実に、自分の公務を全うするよう努めなくては。
「姫様、せめてケーキを一切れくらい召し上がりませんか」
ヨリは笑顔で声を掛けてくれるけど、こちらに向けられた視線に心配の色がありありと見えた。目の前のテーブルにはフワフワなシフォンケーキにたっぷりのミントクリーム、木苺のムースやブルーベリーシロップをかけたチーズケーキ、宝石のようなドライケーキが並べられている。でも今は胸が詰まったようで、どれひとつとして手を伸ばせそうになかった。
「ごめん……あのさ、せっかく料理長が用意してくれたのに悪いから、ヨリや侍女さんたちに手伝ってもらえないかな。手つかずにしておいたら、きっとがっかりさせちゃうと思うから」
「……ええ、私たちもご相伴に預かりますわね。姫様も、食べられそうでしたら、一口でも食べてくださいよ?」
「うん」
よかった、これで料理長が落ち込まないで済む。普段から、料理を少し残しただけでも、とっても気に病むやさしい人だからなぁ。
私の周りにはやさしい人がたくさんいて、いつもいろんな形で励ましてくれる。だからどんなにつらい気持ちに陥っても、また頑張ろうって気持ちにさせてもらえるんだ。
お昼が過ぎて日が傾き始めた頃、再びディルクが部屋にやってきた。
ディルクは明らかに憔悴した表情を見せていた。きっと新聞記事に書かれた誤解を解くために、あちらこちらを奔走したのだろう。
「今朝の件については、あらかた収束しました……ところで」
そこでディルクは言葉を切ると、カウチに座る私に鋭い眼光を向ける。
「姫様、本日はまだお食事を召し上がられてないと伺いましたが?」
「ああ、まあ……食欲が無くって」
「少しでも何か口にされないと。今夜の舞踏会までお体が持ちませんよ」
「まさかぁ……二食抜かしただけで、大げさな」
「大げさじゃありません!」
大きな声に、私は口をつぐんだ。今日のディルクは本当に機嫌が悪い……無理もないけど。
固まる私に、疲労の色を一層濃くした騎士様は「大声を出して申し訳ありません」と視線を落とした。
「あのような事があって、ご気分が優れないのも理解できます。私だって本当は、姫様には今夜このままお部屋で休んでいただきたい……ですが」
「分かってる。公務だもん、ちゃんと舞踏会に出席するよ」
「……申し訳ありません」
「ディルクが謝ることじゃないよ。これでも王族の端くれだもん、当然の事だよ」
私が笑うと、ディルクはツカツカとやってきて、カウチの前に跪いた。そして私の顔を下から覗き込むようにジッと見つめる。
「……あなたは端くれなどではない。正統な国王陛下のご息女であり、高貴な血筋を引く方です」
「ありがとう」
「お礼など言われることは申しておりません。事実ですから」
「うん」
この一年間、彼は事あるごとに、私に王族としての自覚と自信をつけてもらおうと、様々な言葉を掛けてきてくれた。
でもね、それは血筋なんかじゃないと思うんだ。ディルクやヨリ、侍女さんたち、料理長、お城の皆が私をお姫様にしてくれてるんだよ……皆の期待や気持ちに勇気づけられて、私はお姫様になれるって思えるんだ。
「やっぱり舞踏会の前に、スープとパンくらい食べたいな。きっと舞踏会じゃ、踊らなくちゃならないんでしょ。このままじゃ、ターンしたら空腹でそのまま倒れちゃいそうだもんね」
「ええ……そのような事になったら、せっかく今までダンスの練習を頑張ってこられたのにもったいないでしょう?」
ディルクが久しぶりに笑顔を見せてくれた。だから私は、やっぱり前向きになって良かったって、しみじみ思うことができたんだ。