(11) お茶会
お茶会にはなんとか滑り込みセーフで間に合った。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます。オーグレーン伯爵夫人」
「まあハンナ姫。ようこそいらっしゃいました」
レースの手袋をした手で軽くスカートを摘んで挨拶を交わす。ペールブルーのワンピースに、髪には同色のリボンで作ったカチューシャ。そして……アクセントにウエストの黒いリボン。
――リボンに見えるよね、見えますように……!
ちょっとした事故で、ウエストの縫い目がほどけてしまって(しかも目立つ前側のど真ん中!)機転を利かせたディルクに黒のサッシュベルトを巻いて隠してもらった。でもこれがなかなか、いい具合にアクセントになってる気がする。
――視線を感じる……気のせいだよね?
なんとなく見られてる気がするのは、隠し事をしているせいだろうか。チラリと黒サッシュの巻きつけられたウエストを見下ろす……うん、完璧に隠れている。大丈夫、気にしない気にしない。
――それにしても、うまく話が進みそうで良かった。
早着替えのお陰で大幅な時間短縮に成功した私たちは、馬車を飛ばして養豚場へ向かった。突然のアポなし訪問にもかかわらず、おじさんは快く出迎えてくれた。そして手短に事情を話すと、相談に乗ってくれそうな養豚農家の連絡先をいくつか教えてくれたのだ。その上サンプルの豚肉までもらってしまい、ホクホクである。
その後オールグレーン伯爵家まで向かい、馬車の御者さんに頼んで豚肉が痛まないうちにお城の厨房へ届けてもらう事になった。料理長宛の伝言メモもつけたので、なんとか夕食会に間に合うよう調理しておいてくれるはすだ。
「姫様、何か召し上がらないと」
「うん……」
斜め後ろで控えるディルクに囁かれ、私は取り皿を手に取った。悩む。なぜなら……。
――今何か食べて胃が膨れたら、ウエストのほつれが酷くなるんじゃあ……。
心配だ。とっても心配だ……そうでなくてもスカートの重みで、引っ張られてほつれちゃうか心配なのに!
でも何も食べないわけにはいかない。お茶だけ飲んで帰ったら、料理が口に合わなかったとお茶会の主催者に誤解を与えかねない。だから必ず何か食べなくてはならない、と教わった。
オーグレーン伯爵夫人はとても感じの良いご婦人で、お城のパーティーでも何度かお話ししたことがある。慈善事業に熱心で、とても慈悲深い方と評判だ。
そんな方のお茶会で、私がケーキのひとつやふたつ食べ損ねた事で、公爵夫人の『面目が潰れた』だとか『顔に泥を塗られた』だとか(と、以前マナーの教師に教わった……社交界って恐ろしい場所だ)そんな失礼な事があってはならない。
――何を食べよう……何か、食べやすそうな物あるかな。
このお茶会はサロンで開かれるビュッフェ形式で、招待客は各自自由にお菓子をお皿に取り、好きなカウチやソファーに座って会話を楽しむ。音楽は軽いピアノ曲やハープ曲で、全体的に明るく開放感のある、最近人気のスタイルだ。
「姫様、こちらのケーキは伯爵夫人の好物と伺った記憶があります。こちらをひと切れ召し上がられたらいかがでしょうか」
「な、なるほど……そうだねっ」
奥の壁際に設置された長テーブルには、見た目もきれいなお菓子がたくさん並べられていた。色とりどりのマカロンやレモンのムース、ラズベリーを挟んだチョコレートケーキにブランデーケーキ等チョイスが多い中、抜群な記憶力を持つ有能なうちの騎士様は、主催者の一押しケーキを提案した。
――これなら一切れしか食べなくても、印象もいいし好感度もあるな。
「私がお取りしましょう」
「あ、いいよ。自分で取れるから」
「しかし……」
さっそくケーキサーバーを手に取り、テーブル奥に並ぶケーキを取ろうと腕を伸ばす。こうやって私がケーキを取っている姿を周囲に見せることで、ちゃんとお菓子を食べていたという印象も周囲に与えやすい(と、教わった)……いろいろお茶会も大変なのだ。
――……ん?
待っ……ちょっ……今、お腹のあたりでバリッって不吉な音が聞こえなかった?
――やばっ……今の体勢で、ウエストのほつれが悪化した!?
ど、ど、どうしよう!? 右手にはケーキサーバー、左手にはおいしそうな伯爵夫人おススメのフルーツタルト。
――でも、私のスカートが!!
するとサッと、温かくがっしりとした腕が腰に回された。
「大丈夫です、私が押さえています」
「ディルク……!」
間一髪?といった所で、またもや騎士様の機転で難を逃れた。ディルクの手が黒サッシュを巻いたウエストの片側部分をしっかりとつかみ、もう片側は自分の体で挟むようにして、スカートがズレ落ちないよう抑えつけてくれた。
――た、助かった……。
「さ、このままゆっくりと歩いてください……あちらのカウチへ」
私たちはお互い体を密着させ、慎重な足取りで人気が無いカウチへ向かった。本当はもう少し社交性を発揮して、誰かに声を掛けるとか、おしゃべりした方がいいんだけど、もうスカートとケーキでいっぱいいっぱいでそれどころじゃなさそう……。
――な、なんか今度は気のせいじゃなく、皆に見られてるよ……。
カウチに座っても、ディルクは手を腰から離さない。離すとスカート落ちる。危険。だからこのままでいいんだ。いいんだけど……なんだ、この恥ずかしい体勢は!?
ふと顔をあげると、数名のご婦人方と目が合ってしまった。挨拶しないわけにはいかず、仕方なくにっこり笑って声を掛けた。ここでは身分の高い者から声を掛けない限り、絶対に会話は始まらない。だけど逆を言うなら、身分の高い者は率先して周囲に声を掛けるのがマナーとなっている。
「ハンナ姫、ご気分でも悪いのでしょうか?」
相手はどうやら、具合が悪くなった私が、ディルクに支えられているように見えたらしい。ある意味とっても具合が悪いんだけど。
「は、はい、実は今朝早くから公務がございまして……」
「そういえば、つい先日レオノーラ姫君が病に倒れられて、ハンナ姫様が代理でご公務を引き受けられたとか」
「それはさぞ、お疲れでしょう。姉姫様のご公務とご自身のご公務が、重なっているのですもの。無理もございませんわ。どうぞ体調を崩されぬよう、食事と睡眠はできるだけお取りになってくださいね」
優しいご婦人たちに励まされ、私は仕方なく具合の悪い振りをして、ディルクの胸に頭をもたれさせた……ディルクがそれに合わせて、ウエストの部分をさらにぐっと引き寄せる。
――今のうちに、ケーキ食べてしまわなくては!
具合が悪い(振りしてる)のに、しっかりケーキは完食した。これで帰れる。帰っていいよね!?
「……姫様、王宮へ戻って少しお休みしましょうね」
めずらしく耳にした騎士様の甘い声音に、周囲のご婦人方がまるで少女のように、頬を染めてため息を漏らした。このマダムキラーめ!
「ただいま、ヨリ!」
「姫様、おかえりなさいま……ああああ、どうされたんです、それ!?」
お城に戻って自室に飛び込むなり、黒サッシュをウエストから外した私に、出迎えたヨリは驚愕の表情を浮かべた。
ちなみに騎士様は私がウエストに手をかけた途端サッと後ろ向きになり、後ろ手でサッシュベルトを受け取った。
「ありがと、本当に助かったよ……」
「どういたしまして」
短いやり取りが済むと、ディルクは一度も振り返らずに部屋を出て行ってしまった。そして残されたのは、顎が外れるほど口を開けたヨリと、スカートのウエスト部分が半分裂けてズレ落ちた私という……ね。
「ど、ど、どうされたんです、それ!? まさか、縫製に不手際が」
「ドレスのせいじゃないから! てか、ある意味ドレスが原因だけど、それは私がね……」
説明をしようとして、ふとチェストの時計を見ると……夕食会まで三十分を切っていた。
「ヨリ、時間が!」
「ああ、本当ですわね。とにかく次の衣装にお着替えしましょう」
するとヨリは大胆にもスカートから下へ引きはがしていった。どんどん剥かれて、あっという間に下着姿になると、今度は黄色のイブニングドレスを着せられた。カナリアイエローというのだろうか、とっても目に鮮やかだ。
「夕食会はどこだっけ?」
「南棟の第二ダイニングルームですわ。ここから徒歩五分。靴はヒールが低い分、スカートの裾を踏みやすいのでお気をつけてくださいね」
ヘッドドレスには白いレースのリボンをつけてもらった。同色のレースの手袋をはめて、扇子を手に持てば出来上がり。よし、行くぞ!
「そうだ、料理長から何か伝言とかなかった?」
「ええ、すべてつつがなく準備が整った旨、知らせを受けてますわ」
それなら大丈夫、あの謙虚な料理長がそう言ってるなら、きっとうまくいくはずだ。