(8) 遠乗り
うちの騎士様の予想が当たり、午後は雨が上がってしまった。
スッキリ晴れ渡る青空の下、三頭の馬が森の中をのんびりと進んでいく。濡れた樹木が太陽に晒されて乾き始めると、深緑の濃い香りがむせ返るように立ち込め、土の良い香りと混ざり合って、なんとも言えない素晴らしい空気で辺りが満たされた。
「この先の丘で、ひと休みしましょう……ハナちゃんは疲れてない?」
先頭を走るオディロン王子は、隣のアーベル王子と話しながら、時折後ろをついていく私にも気遣いの声を掛けてくれる。
――疲れようがないよ……乗ってるだけだもん。
後ろからディルクに抱えられるようにして馬に乗る私は、多少不満でも公務ということで大人しくしていた。
――せっかくこのいい天気で、しかも紫陽花号に乗ってるのになあ。
王宮にはたくさんの馬がいるけど、その中でも花の名前がついている子達は、特別な時にしか乗らせてもらえない。紫陽花号は、毛並みは至って普通の栗毛だけど、瞳の色が綺麗な薄紫色をしていて夜目も効く為、暗い場所や日が暮れ始めた頃、どの馬よりも最も早く走れるらしい。
アーベル王子は艶やかな焦げ茶の毛並みを持つ、俊足が自慢の向日葵号、オディロン王子は、白銀の鬣が美しい穏やかな気性が特徴の月下美人号にそれぞれ乗っている。
オディロン王子は、いつもの穏やかな笑顔を浮かべながら、隣のアーベル王子と談笑している。でも昨日のバルコニーの一件から、あれは笑顔というよりも本心を隠す為の表情なのでは、と感じて仕方ない。
それに比べてディルクは、いつもと変わらないポーカーフェイスなので安心する。このしれっとした表情は、とにかく『大人しくしてて欲しい』と思っている顔だ。
「……心配しなくても、スカート履いてきたから、今日は一人で馬に乗ったりしないよ」
「ええ、是非そうしてください」
俺休みに入ったら、絶対に遠乗りへ出掛けるんだ。乗馬ズボン履いて、お弁当持って、お城の裏の森へ行くんだ……きっとディルクは心配して、一緒に付いてくるだろうから、二人分のお弁当用意してもらおう。
そんな楽しい計画を頭の中で立てている内に、目的地である丘の上に到着した。城下町を眼下に望むピクニックに最適なこの場所は、王宮の敷地内ということもあり、セキュリティーはバッチリだそうだ。もちろん、私たちの前後左右には大勢の近衛兵が、遠すぎず近すぎない絶妙な距離をキープしつつ、私たちの護衛に着いてきている。
馬から降りると、いつの間に追いついた騎兵隊の人達が、ピクニック用の折り畳みのテーブルや椅子を用意し始めた。それを手伝おうかどうしようか、いやディルクの表情から手伝っちゃ駄目なんだろうなと、何となく手持ち無沙汰で眺めている中、馬を連れたアーベル王子が近づいてきた。
「姫、よかったら食事の前に乗らないか?」
「えっ、乗っていいんですか!?」
いいの!? 向日葵号って俊足だって有名だから、飛ばしちゃうよ!?
いそいそと馬に近づくと、アーベル王子が先にヒラリと乗ってしまう。
「ほら、捕まるといい」
「……」
そうか、乗せてくれるって、そういう乗り方か……この状況で、一人で乗れると信じた私がどうかしてたわ。
仕方なく手を取ると、ヒョイとアーベル王子の前に横向きに乗せられた。スカート履いてるから、またげない(わけじゃないけど、またいじゃいけない)んだった……そうか、そもそも一人で乗せてもらえるわけなかった。
「ハナちゃん、アーベル王子は乗馬の名手だから、たくさん走ってくるといいよ」
オディロン王子は、相変わらず嘘くさい(もはや、そうとしか思えない)笑顔で、私たちが乗る馬の首をそっと撫でた。
「では、大切な妹姫を少々お借りするぞ……ハッ」
うわっ、早っ! たしかに早い! 普通女の人乗せる場合、こういう走り方はしないだろうけど、お国柄が違う為なのか、そこんとこ容赦ない……いや、私はめっちゃ楽しくてうれしいけど!
――わわわ、ディルクだって滅多にこんなに早くは走ってくれないよ!?
その時は、ラッキーくらいな気持ちで楽しんでいたけど、いつまで経っても速度を緩めないから、なんだか変に思えてきた。
そのうち丘を抜けてしまい、林を抜けて、やがて湖の畔に到着したら、ようやく手綱が引かれた。
「わわっ……」
急発進で、急ブレーキって、どんだけ無茶するんだこの人。まあでも乗馬の名手らしいから、下手に振り落としたりしないだろうけど。
――それとも、事故を装って落とせたりする……?
いやいやいや、ここで事故を起こしたって、この王子には一文も得になるわけない。オディロン王子の『大事な』妹姫だし、今回の公務の接待役でしょ私?
「……ふん、なかなか肝の据わった姫だ。一応王族とはいえ、妾にもならなかった母親を持つ、ポッと出の娘のくせに」
「それは……」
本当のことだけど、随分と悪意のある言い方ですね!?
アーベル王子がさっさと一人で馬を下りてしまったので、私も仕方なく反対側から降りることにする。とりあえず湖の傍は危険だろうか……何度も繰り返すが、ここで私を危険な目に陥れても、アーベル王子には何の得にもなりゃしないだろうけど。
――わざわざこんな場所に連れてきたのは、私と二人っきりで話をしたいってことかな。
アーベル王子が話を切り出すのを待とうと思ったけど、あまり遅くなるとディルクたちが心配しちゃうから、早めに話をつけようと私から聞いてみることにした。
「えーと、私に何のお話しでしょうか……?」
「ふん、思ったほど頭は悪くなさそうだな。まあ、あのオディロン王子が可愛がっているだけあるか。最初は溺愛している振りだけかと思ったが、お前がいないところでもあれこれ話すから、紛う事無き兄馬鹿振りに呆れていたところだ」
いや、それ多分演技……でもそう思われてた方が、都合良さそうだから、いっか。
「あの冷徹なディルクですら、あんたにはとことん甘いのな。どんな手管を使って、あいつらを誑かしたんだ?」
「はあ……普通に生きてるだけですが」
いや普通よりも、ちょっと迷惑掛けてる気がする。
するとアーベル王子は、小馬鹿にするような表情で私を見つめた。
「ま、こちらで調べた限り、あんたが国王陛下にも気に入られてるって話は、あながち嘘でもないようだな。船から降りた時、出迎えにどこの馬の骨の姫を持ってきたと、馬鹿にされてんじゃねえかと腹も立ったが、今となっちゃ気位ばっか高くて世間知らずな王妃の第三王女に媚び売るよりも、あんたを相手にしてた方がよっぽど面白いから結果オーライか」
うわあ、レオノーラ姫のディスり方が容赦ない……てか、どうしてアーベル王子は、そこまで酷い言い方するんだろう。それに出迎えの時、あの爽やかな笑顔の下で、そんな恐ろしい事考えていたなんて怖いってば。
「単刀直入に言うが、あんた俺のとこへ嫁に来ないか」
「はあっ?」
アーベル王子はニヤリと笑って、逃げ腰になる私を巨木の幹に追い詰めてしまう。退路を断たれた私は、背中を木に押し付けて少しでも距離を稼ごうと必死になった。
「俺んとこに来れば、好きな事やって暮らさせてやる。俺は一年の大半は船で旅してるし、何だったら一緒に連れてってやってもいい……こんな堅苦しい王宮で燻っているよりも、世界中を飛び回って商談する方がよっぽど面白いぞ。あんたは好奇心強そうだから、外の世界に興味あるんじゃないかと思うが?」
「ええと、ちょっと待ってくださいよ……」
突飛な話過ぎて、混乱してきたぞ。
「何を考える必要がある? お前程度の身分で後ろ盾もない姫なら、グズグズしてるうちに、どっかの辺境伯の後妻へと厄介払いされるぞ」
「えーと、辺境伯のおじさんの、何が悪いっていうんですか?」
まったく、変テコな事を言い出す王子様だな……そして顔が近いんですが。
「別に辺境でも気にしませんが……もし王宮の厄介者になりそうだったら、出家して神殿に入るって手段もありますもん……」
うちの国は信仰の自由をうたっているので、国教とかないけれど、俗世を離れたい王族の人達が出家して入る神殿が存在する。オイゲンの生前に、一度こっそり見学に行ったことがあるけど、畑を耕したりボランティアしたりと、心穏やかな自給自足の生活を送っているようだ。
「変な思惑でどっかの国に嫁がされるより、よっぽどいいなあと思います」
「俺が変な思惑で、あんたを嫁にもらおうとしてるっていいたいのか」
アーベル王子は顔を真っ赤にして、怒りの形相になった。やばい、火に油注いじゃったかもしれない……さっそく言ってしまった事に後悔していると、アーベル王子の両手が顔の横に置かれた。いわゆる壁ドンならぬ、幹ドン状態だ……。
「クソッ、減らず口はいいから、とっとと俺のとこへ嫁に来い」
そのタイミングで、ガサッと大きく葉擦れの音が聞こえた。二人同時に音のした方角に振り向くと、そこには表情を消したディルクが立っていた。
「お二人があまりに遅いので、お迎えに参りました」
この隙を逃す手はない。私はサッとアーベル王子の腕をくぐって抜け出すと、向日葵号へ向かって走り出した。そしてヒラリと飛び乗ると、驚愕の表情を浮かべたアーベル王子を一瞥し、馬の腹を力強く蹴った。
「うっわーーー!」
高い嘶きと共に二本足で立ち上がった向日葵号は、次の瞬間地面を蹴った。ヤバい、振り落とされるっ……!
「姫様!」
ものすごい素早さでディルクが馬の後ろに飛び乗ると、手綱を握る私の手を上からぎゅっと押さえつけた。そのまま丘へ向かって、猛スピードで走り抜けていく。
「……まったく、何てことを」
「ごめん、助かったよ」
馬を走らせながら忌々しげに舌打ちされ、相当怒っていることが伺えた。色々他にも謝るポイントがあるはずなのに、その時の私はスカートで、しかも一人で、馬にまたがって走り出したことばかり頭にあった。
「ホントごめん、スカート履いてたのに」
「そんな事どうでもいいのです……私が怒っているとしたら、あの男に対して、です」