(7) 悲しい過去
オディロン王子に声を掛けられたのは、ちょうどディルクが皿に盛った白身魚のクリーム煮を渡してくれた時だった。
「食べながらでいいから、兄様と少し話そう……ディルク、アーベル王子の相手を頼んだよ」
「ええっ!? でも……」
ディルクを見ると、小さく頷かれた。ここはオディロン王子の言う通りにしましょうって意味だな。
オディロン王子の後ろには、専属騎士らしき人が控えてる。コンラードさんに負けず劣らず、ガタイの良い強そうな騎士様だ。
――この人がヨリの言ってた、オディロン王子の新しい代表専属騎士かなあ。
ディルクが礼をしてアーベル王子の元へと去っていく後ろ姿を、オディロン王子は何か考えるようにジッと見つめていた。
「さてと、ハナちゃんはこっち」
ごく当然といった風にお皿を取り上げられると、庭に面したバルコニーへ誘われる。魚料理を人質?に取られた私は、大人しくオディロン王子の後をついて外に出た。
窓を閉めると、室内の眩しいシャンデリアの光や人々の歓談、楽団の調べが一気に遠のき、代わりに月明かりが照らす庭の噴水が奏でる水飛沫が、耳に心地良く響き出す。夜風が運んでくる、初夏の花の甘い香りに包まれると、このまま夜会を抜け出して、どこかでうたた寝したくなる。
二階のバルコニーから眺める王宮の庭は、きっと昼間は素晴らしい光景だろう。辺りをモノトーンに染める月夜の晩でも、綿密な計算によってデザインされた美しさは、美しいライトアップによって幻想的な世界を作り出している。
オディロン王子と私は並んで白い大理石の手摺にもたれ、その表面の冷たさに息を吐いた。室内は人が多くて、少し息苦しいくらいだから、この場所は息抜きにちょうどいい。
「はい、どうぞ。たくさんお食べ」
「いただきます……」
料理の皿を返されたけど、隣で見られてると非常に食べにくい。昼食会で世話を焼かれた事を思い出して、なんだか余計いたたまれない。
「どう、初日を終えた感想は?」
唐突に公務の話題を振られ、飲み込みかけた魚でむせそうになった。隣を見ると、頬杖ついて微笑を浮かべるオディロン王子と目が合う。
「お陰様で、無事終えることが出来ました」
「ハナちゃんは、明日も忙しいだろう? 僕たちは一日中会議室に缶詰めで楽だけどね」
いやいやいや、その手の缶詰めはキツイでしょう!?
「オディロン王子こそ、明日の会議は大変でしょう」
「やだな、前みたいに『オディ兄様』って呼んでよ……大変って何が? いつもやってる仕事と大して変わりないよ」
いつもと同じ仕事でも、大変な仕事であることに変わりない。そんな中なのに、専属騎士が一人減ってしまい、迷惑掛けてしまっただろうか……。
すると私の気持ちを察したのか、オディロン王子から気遣うような言葉を掛けられる。
「コンラードとは、どう? あいつ面倒見も良いし、ハナちゃんと相性いいと思うけど」
「はい、コンラードさんはとっても良い人です。優しくて頼りになります」
「そうか、じゃあこのままコンラードを二人目の専属騎士にしたら?」
サラリと、とんでもない事言ったぞ。
――待て待て、何それ!? 冗談になってないよ、それ!
専属騎士は、忠誠を誓った主人に生涯尽すって聞いたよ? そりゃ色々やむを得ない事情があって、生涯ほど続かないケースもあるだろうけど、そんな簡単に「はい、どうぞ」って譲るもんじゃないでしょう!?
「それは、困ります……」
「どうして? コンラードの事嫌い?」
「オディロン王子こそ、コンラードさんの事嫌いじゃないですよね?」
「嫌いじゃないよ。でも好きでもない」
私は呆気に取られて、穏やかな微笑を絶やさないオディロン王子を見つめる。
「コンラードには、何も思い入れは無いよ」
「どうして……」
どうして、そんな事言うのだろう。
オディロン王子は色の削げ落ちた庭の暗がりを見下ろしながら、歌うような口調で続けた。
「僕はね、特別思い入れのある専属騎士なんて持たない事にしてるんだ。だから常に五、六人の騎士を持つことで、偏って一人に近くなり過ぎないようにしてる」
月の光に照らされた横顔からは、色彩の見えない表情に彩られる。先程まで微笑んでいると思い込んでいたけど、実は違ったのかもしれない。
「ハナちゃんの最初の騎士も、亡くなったそうだね。オイゲンは忠義を尽くす、立派な騎士だったと聞いたよ」
「……オイゲンのこと、大好きでした」
なぜオディロン王子が、こんな話を始めたのか分からない。でも視線が合わない横顔が、酷く傷ついてるように見えた。
「僕が君に会ってみたかったのはね、同じように最初の騎士を失ったからだよ」
ゆっくりと、そして淡々とオディロン王子は話続けた。
「異国の地でね。仕事帰りの馬車が襲われたんだ。大人数を相手にたった一人で、よく戦ったと思うよ。その時に負った致命傷で、夜が明ける前に息を引き取った。驚くほど、あっという間の出来事だった……人の命は、なんて儚いものだと思い知らされたよ」
なんと言ったらいいのか、分からなかった。
――ごめんなさい。
コンラードさんの事ばかり考えて、オディロン王子がどんな気持ちなのか何も考えようとしなかった。
――ただコンラードさんならば、離れてもオディロン王子を自分の主人と思い続けるような気がする。
でも、オディロン王子はそれを望まないんだね……もう二度と、辛い思いをしたくないから。
私はどうだろう。オイゲンがいなくなって、とても悲しかった。まだ気持ちの整理がついてないのに、ディルクを新しい騎士に迎えた……そして今に至る。
「ハナちゃんは、本当にディルク一人で大丈夫?」
顔を上げると、笑顔を消したオディロン王子に見つめられる。
「……ディルクが忙し過ぎて、負担に感じてるならば、二人目の専属騎士を考えるかもしれません。でも、その時はディルクに相談します」
「君の騎士が強がり言ってる可能性もあるのに? 大抵の専属騎士は、主人に対する独占欲が強いからね……苦労してても、そんな事ないって言うかもしれないよ?」
「……」
オディロン王子はクスッと笑って、私の頭を幼子に対してするように撫でた。そして私をその場に残して、ディルクと入れ替わりにバルコニーを出て行ってしまう。
「お話は済んだようですね」
「ディルク」
オディロン王子の言う通り、私の騎士様は強がりな人かもしれない。
オイゲンと過ごした三年間は、やさしくてあたたかい、素晴らしい日々だった。今振り返っても、その思い出は色褪せることなくキラキラ輝いてる。
失って悲しむのは、とても大切だったから。悲しみが深いほど、オイゲンと過ごした日々が、心の中で鮮やかに生きている気がする。そんな素敵なものをくれたオイゲンに出会えて、一緒に過ごせた事は、なんて幸運だったんだろう。
これからディルクと共に年月を過ごしていく中で、忘れ難く、かけがえのない瞬間をいくつも経験するだろう。たとえ未来に何が起ころうと、いつの日か離れ離れになろうとも、きっと一緒に過ごした日々が素晴らしい思い出となる。
――だから出来る限り、ギリギリまで、一緒にいられたらいいなあ。
もしオディロン王子が、別れの苦しみを回避する為に、そういう思い出を作らないようにしてるのならば……今、毎日どういう気持ちで日々を過ごしているのだろう。
翌日は、残念ながら雨が降っていた。
――せっかくの花の祭典なのになぁ。
窓にぶつかる水滴が、滝のように流れ落ちていく。今日は隣町で開催される、花の祭典に出席する予定だったけど、これじゃ祭典自体中止になっちゃうかもしれない。
「姫様、朝食のご用意が整ってますわ」
「あ、うん……」
寝室に呼びにやって来たヨリに、窓から目を離せないまま生返事する。
「酷い天気ですわね……」
「だねえ……」
ヨリは窓辺にいる私の隣に並んで立ち、浮かない表情で窓を見つめた。
「馬車を出すのは危険かもしれませんわ。もしかしたら、本日のご公務は欠席せざるを得ないかもしれません」
それから朝食を食べていると、ディルクがやってきて公務中止の旨を伝えられた。
「そういうわけで、本日の姫様のご公務は、午後から予定されているアーベル王子との遠乗りのみとなりました」
「遠乗りって、この雨で?」
「もちろん、雨ならば中止です。ただ天気予報によると、午後は晴れるそうなので、一応ご準備はしておいていただけますか」
遠乗りかあ……雨で道がぬかるんでなければいいけど。ところで一人で乗ってもいいのかなあ? この一年でだいぶ乗馬の腕は上がったと自負してるけど……。
「あのう……」
「もちろん、姫様は私の馬に乗っていただきます」
まだ何も言ってないのに、ディルクに先手切って釘刺された! あーあ、やっぱり一人で乗せてもらえないかあ。残念。




