(4) 時間との戦い
城下町にほど近い郊外で開催された子豚の品評会は、国内有数の養豚農家さん達が手塩にかけて育てた子豚たちが集まり、大盛況のうちに終わった。
途中子豚たちが柵から逃げ出すというアクシデントがあったけど、みんなで大慌てで追いかけて捕まえて、振り返ると楽しいサプライズとなったからよかった。最後に泥だらけの姿で写真撮影して、市長さんや養豚場の皆さん全員おめかししてたのに、スーツもドレスも台無しで、またそれが会場中の笑いを誘った。
帰りの馬車で興奮冷めやらぬ中、向かいの席に座るコンラードさんと顔を見合わせて思わず、といった感じに吹き出した。
「コンラードさん、騎士服かなり汚れてますよ。やっぱ、ぬかるみでスライディングしたせいでしょうねえ」
「お姫様こそ、お召し物が泥だらけですよ。三匹も捕まえられて、大活躍されましたね。ただ次のご予定の前にお着替えされないと、あなたの騎士も、二人の王子様方も驚かれてしまいますよ」
次はアーベル王子との昼食会かあ……今回は、めずらしくディルクも同席するんだっけ。
「そういやコンラードさんも、ご同席されるんですか?」
「いえ、私は次のご予定の準備へ向かいます」
「たしか午後は、鉱山の見学でしたよね」
「ええ、お姫様もご同行されるのでしょう? 外は暑いので、冷たくて美味しいお飲み物をご用意しておきますね。鉱山の近くの果実園にあるフレッシュジュースは、地元でも評判だそうですよ」
「うわあ、一気に午後の予定が楽しみに変わりました!」
クスクス笑うコンラードさんは、外見だけじゃなく中身も男前だ。子豚を追いかけた時だって、誰よりも多く捕まえてたし、泥だらけになるのも気にせず楽しそうに笑ってるし……いやなんか、黒サッシュの騎士様なのに、雑な扱いですいません……。
コンラードさんはところで、と身を乗り出してくる。
「エスタルロード国とのご公務は五日間を予定してますが、お姫様の元々予定されていたご公務とは、どのくらい重なっているのでしょう?」
「それが毎日、何かしらあるんですよね……今日は子豚の品評会だけだから、一番マシな日です。明日は二つ、しかも隣町まで行かなくちゃならなくって」
「隣町……ああ、たしか大規模な花の祭典が開かれると聞き及んでおります」
「そうそう、それです。朝九時からスタートする祭典と、そのあと隣町の町長さん宅での昼食会に招待されてます」
「なるほど……」
コンラードさんは顎に手をあてて、少し考えるような素振りをみせる。
「……幸い明日は、オディロン様とエスタルロードの第三王子で、ほぼ一日中会議を行う予定です。隣町ならば、馬車で一時間も見ておけばいいでしょう。お部屋には、七時半にお迎えに上がればよろしいですか」
はっ? 何の話?
「えーと、コンラードさんも花の祭典に興味あるんですか?」
「いえ、お付きの騎士として、お姫様のお供をさせていただく、という話です」
えっ、なんで!?
「オディロン様も当然そのおつもりで、私をお姫様に付くよう命じられたのですよ。エスタルロードとのご公務が終わるまで、私をあなたの騎士としてお側に置いていただけませんか」
ええっ……そりゃ今回ディルクは事情もあって忙しいだろうから、私の個人的な公務すべてに付いて回れっこないのは分かっているけど……。
「でも……いいんですか?」
「ええ、オディロン様には私の他に、四人の専属騎士がおりますので支障は無いでしょう。もちろん、お姫様はディルク殿の方がよいのは理解しております。彼が付き添っている時は、私は邪魔にならないよう控えておりますので」
「えーと、そうじゃなくって……オディロン王子というより、コンラードさんはいいんですか?」
「どういう意味でしょう?」
「そのう、やっぱり自分の主人が公務をしてる時は、側に付いてたいんじゃないかなあと思って」
コンラードさんは少し驚いたように私を見つめ、それからフワリと顔を綻ばせた。
「……お気遣いありがとうございます。お姫様は思いやりのある方ですね」
えっ、どこから来たのそれ。
「それにとても勇敢でお転婆な方だ……姫君なのにドレスが汚れるのも構わず、子豚を追い回されるのですから。ディルク殿にも、お姫様の勇姿を見せたかったです」
「えー、ディルクに見られたらお説教されそうなんで、遠慮しときます!」
それからひとしきり、馬車の中に笑い声が響いた。
お城の自室に戻ると、予定通りヨリが次の着替えを用意して待ち構えていた。
「ごめん、遅くなった!」
「姫様! ああよかった、次のご予定まで十五分を切ったところですわ」
チェストの時計を見ると、十二時十五分前……いや、十四分前か。昼食会は十二時開始、場所は王宮の中央棟にあるメインダイニング。ここから歩いて五分はかかる。
「廊下は走っちゃダメ、って『しきたり』があるけど、今日だけ特例で許してもらえないかなあ?」
浴室で泥だらけのブーツとドレスを脱ぎ捨てながら、シャワーの温度調整しているヨリに向かってぼやく。
「それは少々難しいかと……でも、早歩きならば許されると思いますわ」
「早歩き。それだ、それで行こう!」
「あ、姫様。シャワー浴びる際は、御髪を濡らさないようお気を付けください。乾かしている時間はありませんからね」
「はーい」
シャワーでザっと泥と汗を流すと、ヨリが淡い菫色のシフォンドレスを頭から被せてくれた。軽くて楽だ、このドレス。
「いいね、これ。汗かかずに走れそうだよ」
「ふふふ……でも走らないでくださいませね。あくまで早足、ですよ?」
簡単に化粧直しをしてもらい、髪にパールのカチューシャをつけてもらったところで、十二時五分前を切った。靴はどこ? わわわ、もう出なきゃ。
「いってきます!」
「はい、いってらっしゃいませ」
扉へ向かいかけたところで、ノックの音がした。えっ、もしかして誰か迎えにきちゃったのかな。メインダイニングの場所は分かるから、一人でも大丈夫なんだけど。
「お支度は整いましたか」
「ディルク!?」
迎えに来てくれたのは他でもない、ディルクだった。急に扉を開けたから驚いたようで、しばし私をじっと見つめて固まっている。いや、私も驚いたけど。
「てか、先に行っててくれてよかったのに」
「お言葉ですね……私にエスコートの名誉を与えてくださらないと?」
言葉に甘い響きを乗せ、白い騎士装束も凛々しい騎士様にさりげなく腕を差し出される。なんだこれ、恥ずかしいな……腕なんか滅多に組まないのに。いや、夜会とかのエスコートだと腕組むけど。夜と昼間のテンションって全然違うんだよ……!
――って、ぐだぐだ考えてる場合じゃなかった、時間的に。
急いでディルクの腕に手を掛けると、白い手袋が私の手の甲を包み込む。
「さあ、急ぎましょう」
「もう間に合わなくない!?」
照れ隠しにわざと声を張り上げてしまう。これは公務、エスコートされるのも仕事だよ、仕事……。
「いえ、近道を使えば大丈夫です。しっかりつかまっててください……少し走りますよ」
騎士様のブーツが床を蹴った……いや、マジで走ってるし!?
「ちょ、ちょっと、廊下を走っちゃいけないって『しきたり』破ってるよ!?」
「ご安心ください。緊急時、騎士は走って移動する事を許されてます……騎士と同行している者も同様です」
そうなんだ!? それはよかった!
――いや、よくないわ、早すぎだわ。足がもつれるよう……。
すると「失礼します」という声と同時に、ふわりと体が浮かび上がった。なんだこれ、お姫様抱っこじゃないの!
「ちょ、ちょっとディルク……」
「しっかり私につかまって。両腕をこう、私の首に回してください」
いや、言われなくてもそうするけど!? でないと落ちちゃいそうだし!
騎士様は自慢?の俊足を生かしまくって、猛スピードで階段を飛び降り、廊下を駆け抜けていく。その間中、私は舌を噛まないようぐっと口を引き結び、振り落とされないようディルクの首にしがみついているしかなかった。