(3) 二人目の騎士
港での歓迎式典を終えると、次の予定が控えている為、馬車を飛ばしてお城へ戻った。
「お帰りなさいませ、姫様……あら、ディルク様はどちらですの?」
部屋の入口で出迎えてくれたヨリは、私の隣で緊張して汗をかいている若い兵士を、怪訝そうに見やった。
「さっき正門の前で別れたの。代わりにこちらの兵士さんが、部屋まで送ってくれたんだよ」
「あらまあ、そうですか」
少し人見知りの気があるヨリは、足早に去っていく兵士の姿を警戒気味に眺めていた。
「さあ姫様、次のお着替えをしましょう。食事はお済みですよね?」
「いやそれがね、行き帰りの馬車でずっと眠ってたから、食べ損ねちゃった」
手に下げてた小さなバスケットを掲げてみせると、ヨリは大袈裟なくらい肩を落とした。
「いや心配しなくても、今から食べるよ?」
「そういう心配ではござません。このハードスケジュールの中、ただ姫様のお体が心配で……すぐにお茶をご用意いたしますわ」
「いや、ちょっと待って」
マホガニーのチェストに飾られた時計を確認する。この時計は今年の誕生日に、ヨリたち侍女さん一同からプレゼントしてもらった物で、可愛い花模様のフレームだけど、時計盤の文字が大きくて見やすい実用性も兼ね備えた逸品だ。
「もう九時半近くだから、お茶飲んでる時間ないよ。十時には出なきゃ」
「えっ、次のご公務は、十時半にお城をご出発すれば十分間に合うと聞いておりますが……?」
「それが出掛ける前に、うちの第二王子様と打ち合わせするんだってさ。私もさっき馬車で、ディルクから聞いたばっかなんだよ」
ヨリは憮然とした表情を浮かべたが、すぐに気持ちを切り替えたようで、私の手から手付かずの軽食が入れられたバスケットを受け取る。そしてテキパキとその中身を、部屋に備え付けの飲料水の瓶と一緒に、カウチの前のテーブルに並べ始めた。
「食べてる最中に申し訳ありませんけど、御髪を直しますわね」
「あ、もう髪の飾りは取っていいんだよね?」
サンドウィッチを片手にたずねると、ヨリはようやく笑ってくれた。
「お似合いですけど、姫様がお嫌でしたら外しますわね」
「嫌というか、海風すごくて、引っ張られて、ハゲるかと思ったよ」
ヨリは取り外したクレスパインとかいう髪の装飾品を手に持って、重さを確かめるように何度か上げ下げする。
「たしかに、まだまだ改良の余地はございますわね……ヘアネットの素材と、この留め金をもう少し……」
私が堅苦しい衣装が苦手だから、いつしかヨリは衣装や装飾品について、あれこれ工夫を凝らしてくれるようになった。割と凝り性らしく、どういう場面でどういう衣装ならば、体の負担を最小限に抑えられるか日々研究を重ねている。
ヨリが髪型を整えてくれる間、私は急いでサンドウィッチを平らげてしまうと、二人で協力して、ドレスを素早く身に着けた。時間が無い時は大勢の侍女さんに手伝ってもらうよりも、ヨリと着付けしちゃった方が早いのだ。
「姫様、リップの色はそれではなくて、こちらですわ」
「わわ、ティッシュどこ!?」
唇をゴシゴシと拭くと、ヨリに手渡されたリップを塗り直した。どれも薄っすら発色する程度だから、私でも気軽に付けることが出来る。
こうしてあっという間に支度が整った。今回は渋い深緑色のAラインのドレスだ。踝までのスカート丈に、焦げ茶色の編み上げブーツがとても快適で履き心地も抜群。髪にはブーツと同色で皮素材のカチューシャ型ヘッドドレス。葉っぱを象って、一枚一枚繋げた豪華な造りだ……私の地味な髪型を少しばかり盛ってくれる。
支度が出来たところで、タイミングよくノックの音がした。返事をすると、扉を開けたのは顔見知りの衛兵のおじさんだった。
「ディルク様からの指示で参りました。後から合流するので、姫様を先に第二王子様のお部屋へお連れするようにと」
「あ、そうですか……」
まだアーベル王子につかまっているのかあ。あれは相当気の置けない友人って感じだった。今回の接待も、結局のところディルク頼みな部分が大きいし、そっちの方は任せておいていいかもしれない。
衛兵さんに連れられて第二王子様の居室へ向かう道すがら、衛兵さんに労わりの声を掛けられた。
「姫様も急なご公務で大変ですなあ」
私はいやいやと首を振った。本当は大変だけど、そんな事言っても衛兵さん困らせるだけだし、口にすると大変さを実感してしまいそうで怖い。
目的のお部屋に到着すると、衛兵さんは扉をノックしてドアを開けたら、すぐに下がって持ち場へと戻ってしまった。ひとり取り残された私は、扉の前で戸惑いがちに辺りをキョロキョロ見回す。すっきりと整った、でも豪華で広々とした……待合室か? すごいなあ、やっぱり王子様の居室はちょっと違う。
「やあ、いらっしゃい……あれ、お付きの騎士はどうしたの?」
「あ、ええと、ディルクはお仕事で遅くなるそうです……すいません、お邪魔します」
奥の部屋から現れた人物に、私は緊張してあわあわと説明する。
「ふふふ、そんなに固くならないで。君は僕の妹姫でしょう?」
「や、まあ、そういう事になりますね」
部屋の中央で手招きしながらクスクス笑っているのは、茶色の髪に同色の瞳の、物腰の柔らかそうな男性だった。この人が第二王子様かあ、と思ったところではた、と気付いた。
――待てよ……名前は何だったっけ?
マズイ。今回の公務で、エスタルロード国や来賓のアーベル第三王子についての資料は読み込んできたけれど、自国の接待チームのメンバーに関しては、すっかり頭から抜け落ちてたわ。
「『ハナちゃん』」
「はいいっ!?」
後ろめたさマックスで、返事が必要以上に力んでしまった。すると茶色の瞳が、愉快そうに細められた。
「仕方ないなあ、僕の名はオディロン。オディでもいいけど、出来れば君には『お兄様』とか可愛らしく呼んでもらいたいなあ」
オディロン王子は長身の身を屈めると、小さい子に語り掛けるように微笑む。
「はじめまして、ハナちゃん。ハナちゃんって呼んでもいいよね? 君にずっと会いたいと思ってた。でもここ数年、仕事でほとんど国外にいたから、なかなか会う機会がなくてね。今回は同じ公務に参加できるって聞いて、とっても楽しみにしていたんだ」
へえ、そうなんだ……ほとんど外国で暮らしてたのかあ。
「外国では、何の仕事をされてたんですか?」
「主にエネルギー関係かな。我が国の領土って、いろんな天然資源に恵まれているけど、残念ながらエネルギー系はイマイチなんだよね。この大陸には、うちの飛び領地がたくさん存在するけど、たとえ天然ガスが採掘できたとしても、それを国へ持ち帰るとなると、通り道にある他所の国の許可や協力がどうしても必要になる。僕はそういった部分の折衝を任されているんだ」
なんか、やたら難しそうなお仕事ってのは分かったぞ……すごいなあ、頭良いんだな。まじまじとオディロン王子の顔を見つめていたら、ふいに手を伸ばされて、ふわりと頭を撫でられた。
「やっぱり妹姫って可愛いもんだなあ。それともハナちゃんだからかな? ふふ、君のとこのディルクだって、以前は僕と同じような仕事をしてたんだよ? 聞いたことない?」
「いえ、全然……話題に出た事なかったです」
「今回の公務の目的は何なのか、簡単には聞いてる?」
「はい、一応は」
そこんところは、資料は読んだから大まかには分かっているつもりだ。
エスタルロードは造船業が盛んな国で、今回うちの国に商取引にやってきたそうだ。つまりうちの船買ってよ、って話。国営事業だから、政治的にも割とデリケートな部分があるらしい(でも、どうデリケートなのかまでは、よく分からない……)。
実際の取引の仲介役は、三人の王子達のいずれかが行うそうで、これが結構やり手だとかなんとか。特に第三王子は交渉術に長けているそうで、大きな取引では必ず登場するのだそう。
――それにしても、そっかあ……ディルクって前はそういう仕事をしてたのか。
となると、やっぱりここでの打ち合わせも、ディルクが来ないことにはお話しにならないだろう……でも私は、次の公務が押してて時間ないんだよなあ。
「すいませんが、実は別の公務がありまして。そろそろ出発しなくちゃいけないんです」
「そうか、今回の予定はレオノーラの代理で急に決まったんだっけね。次の公務の場所ってどこ? 良ければ僕の騎士に送らせるよ」
それは願ってもない話だ。本当はディルクに送ってもらう予定だったけど、この様子じゃ無理そうだし、そうなると代理の騎士が必要になる(姫が騎士無しで公務に出掛けるのは、しきたり上マズイらしいのだ)
「そうしていただけるなら、助かります」
「よし、可愛い妹姫の為に、とびっきり優秀な騎士をつけてあげようね……コンラード」
部屋の奥から現れたのは、短くツンツン立てた銀髪の、立派な体躯の騎士様だった。年齢はディルクより少し上くらいだろうか。グレーの騎士装束の、肩の部分の盛り上がりが半端ない。
――うっわ……大きい人だなあ。
背の高さはディルクと同じくらいだけど、体ががっしりとしているから、ずっと大きく見える。
私がポカンと口を開けて見上げてたら、その騎士様に笑われてしまった。恥ずかしくて俯いた時に、腰に巻いた黒のサッシュベルトが視界に入った。私の記憶する限り、黒サッシュの騎士様と会うのは、ディルクの他に初めてだ。
「ごきげんよう、お姫様。コンラード・ライルと申します」
目の前に跪いた騎士様を、まじまじと見つめる。王子、しかも第二王子の騎士様だけあって、かなりの男前だ。しかもめっさ強そう……剣がというより、腕っぷしが。
「コンラード、しばらく我が妹姫についてやってくれ。どうも騎士がたった一人しかいないようで、このままでは公務に差し障りがある」
「仰せのままに……ではお姫様、どこへお連れしましょうか?」
やさしく微笑まれ、ホッとして肩の力が抜けた。やさしそうな人だ。
「城下町の外れにある、農場へ連れてってもらえますか」
「ではさっそく馬車をご用意しましょう」
私はオディロン王子にお礼を述べて退出しようとしたら、扉の前で呼び止められた。
「ところでハナちゃん、次の公務って何? 農場に行くって聞こえたけど」
「えーと、子豚の品評会です」
「子豚……」
一呼吸置いて、それから爆笑された。ちょっと、ただの子豚じゃないんだからね? 血統書付きの、素晴らしく可愛い子豚たちなんだよ。去年も招かれて出席した時、抱っこさせてもらったけど、めちゃくちゃ可愛かったもんね。
「馬鹿にしたわけじゃないよ、ただとても楽しそうだなあと思って。ほら、早く行っておいで。君が出掛けた事は、僕からディルクに伝えておくよ」
オディロン王子に見送られる中、複雑な心境の私はコンラード騎士に連れられて、馬車が用意されている車寄せへと急ぎ足で向かった。




