(2) お出迎え
肩を揺さぶられる感覚に、朝の訪れを知った。
――でも、目が開かない……。
起きなきゃと思う気持ちを何とか高めて、それからグッと力を込めて体を起こそうとすると……腕を取られて、力強く引っ張り上げられた。
「ヨリ……ごめん、起きた」
「それは結構」
「うわあ、ディルク!?」
枕元に立っていたのは、すでに身支度を整えたディルクだった。ヨリ、どこへ行ったの!?
「ヨリはお湯の用意と、本日の御召し物を整えております」
「あ……そう」
普段なら私が許可しない限り、ディルクが寝室に入って来ることはまずない。ましてや起こしに来ることなんて今まで無かったから驚いた……。
――顔洗ってないし、髪ボサボサなのに……うう、恥ずかしい。
片手で隠すように前髪を抑えていたら、騎士様の手袋の指がそっとサイドの髪を手櫛で梳いた。顔を上げると、カーテンから差し込む弱々しい朝日の中、背筋を伸ばして立っている騎士様の姿に目を奪われる。
本当にこの人は……朝から完璧な騎士様なのな。しかもこの時間に、平然と起きていられるとは……鍛え方が違うんだろうな。
「では姫様がお支度される間、隣の部屋で待機しております。何かございましたらお呼びください」
「あ、うん……」
ディルクが退出するのと入れ替わりに、ヨリがドレスを抱えて現れた。
「姫様、おはようございます」
「うん、おはよう……それが今日のドレスかあ」
ヨリは嬉しそうに、手にしたドレスを広げてみせてくれた。半袖のパフスリーブに、丸襟のエンパイアードレス。淡い水色の生地は、軽くて涼しそうで、肌触りも着心地も良さそう。
「これならウエストを締めないので、馬車の移動中も楽だと思いますわ」
「ありがとう、ヨリ。コルセットも柔らかそうでよかったあ。で、これは何?」
ベッドに置かれた四角い箱を指さすと、ヨリが上機嫌でいそいそ開けてくれた。中には不思議な形の装飾品が入っていた。なんだコレ?
「クレスパインですわ。このヘアネットの部分で後頭部を包み、後ろのしっぽのような部分がつけ毛になってますの。人工毛ですけど、本物の髪の毛みたいに良く出来ているでしょう?」
「……でもこのつけ毛、金髪だよ……私、髪が黒いんだけど」
「今は地毛と違うカラーのエクステつけるのが、社交界で流行ってますのよ! ほら可愛い、すっごくお似合いですわ~。これで姫様のショートヘアも、うまく誤魔化せ……いえ、映えるというものですわ!」
そうね……私、華やかに結い上げる髪がないからね……このままの髪だと、男の子みたいだからなあ。
「今年はせめて、髪飾り着けられるぐらいまで、頑張って伸ばしてみるよ」
「いーえ、姫様はその髪型がお似合いですから、そのままでいいのですよ」
ヨリは明るく笑い飛ばしてくれた。え、本当にこのままでいいの? 洗うのものすっごく楽だから、助かるけど!
「ただし、お客様とお会いするときだけ、こういう物で飾らせていただきますけどね」
「うんうん、それくらいなら我慢できるよ!」
あとは重い宝石が付いたペンダントの代わりに、紺色の細いリボンチョーカーが用意されていた。耳飾りは、先に房がついている青のタッセルで、こっちも軽くてよかった。
――よし、この装備ならば、一時間半の馬車だって耐えられそう。
それからヨリに付き添ってもらって、急いで浴室へ駆け込むと、ザっと体をお湯で清めて洗顔を済ませる。
「うーん、姫様のお肌ですけど、毛穴がいつもより開き気味ですわね……昨晩は良く眠れました?」
「あ、えーと……明日、じゃなくって今日のお客様の国の事とか、第三王子様の事とか? 資料渡されてたから、先に読んでおこうって……そしたら寝るのがちょっとばかり、遅くなった」
「えー、そうなんですか!? ディルク様ったら、どうして寝る前にそんな重要な資料を姫様にお渡ししたのかしら、もうっ!」
ヨリは私の肌にクリームを塗りながら、ディルクへの文句タラタラだ。まあ、たしかに寝る前に渡されたら、目を通すまで気になって眠れないからなあ。それというのも、過去にちゃんと資料に目を通さないで人と会って、何度も冷や汗かいたりと苦労した経験があるからだ。そういうわけで今は、公務の前にきちんと資料に目を通さないと落ち着かない。
「真面目になったよなぁ、私も」
ウンウンと自画自賛していたら、隣のヨリがはあっと大げさにため息をついた。
「でもお肌のコンディションは最悪ですわ……まあ、あわてて馬車の中で資料をお読みになった挙句、車酔いされるよりずっとマシだと思うことにします」
「うん、毛穴うまく隠してね」
「もちろん、お任せくださいませ!」
こうしてヨリの鮮やかな手腕により、うまい具合に化粧を施した私は、ディルクのエスコートで馬車に乗り込むと、南の港町を目指した。
南の港町メーゼに到着すると、もうびっくりするくらい風が強かった。
――うわあ、髪がもげる、ハゲる!
髪につけた飾りがやたら重くて、つけ毛の部分が風に持ってかれると、後頭部に張り付いたヘアネットごと髪の毛がもぎ取られそうになる。これは大変危険だ……次回から外で装備する時は天候に気をつけないと。
「姫様、こちらへ。今から現場主任より、式典の説明がございます」
「ふあい……」
ディルクに手を引かれて、港に設置された簡易ステージに上がる。
「このステージの目の前に、エスタルロードの輸送船が停泊する予定です。タラップはその位置ですから、ハンナ姫様は王子にお渡しする花束をお持ちになり、この位置でスタンバイしていただけますか」
「はいっ、分かりました」
真っ赤なカーペットを敷かれたステージの真ん中で、花束を抱えて出迎えるのか……風で吹き飛ばされないようにしなくては。
地平線に目をやると、すでに船首は港へ近づいてきている。道が思いの外混んでいて(皆、港にやってくる他国の船を見物したいから)馬車の到着が若干遅れてしまい、少々予定を押している。
「……姫様、手順は分かりましたか。ご不明な点があれば、今のうちにお聞きください」
下で待機するディルクは、風になびく髪を鬱陶しそうに払いながら、ステージの真ん中に立つ私を見上げた。その後ろでは、ディルクを一目見ようと詰め掛けたお嬢さん方でワイワイやっている……どこへ行っても目立つ騎士様だよな。
「ええと風がすごく強いけど、花びら全部散っちゃっても、その花束って渡すべき?」
「……」
いや、そんな呆れた顔しないでよ。結構重要なポイントだと思うよこれ。
「ハンナ姫、お花は直前にわたくしからお渡ししますんでー、とりあえずその位置から動かないでくださいませー」
現場主任さんの、張り上げる声が風に散っていく……ホント大丈夫か、花束。
そうこうしているうちに、巨大な輸送船がバーンと停泊した。
――うわあああ、すごい大きな船だなあ!
タラップから優雅な足取りで降りてきたのは、風に白いショールを躍らせた浅黒い肌の美丈夫だった。その鮮やかなブルーの瞳が私の姿を捕らえると、ニカッと大きな笑顔が向けられる。
「姫様っ、お花お花……」
おおっと、うっかりしてた。あわてて後ろに控える主任さんから花束を受け取ると、風に花びらを散らせながら(もうどうしようもない)こちらへ向かって歩いてくる男性と対峙する。
「はじめまして、姫! エスタルロード国第三王子アーベルと申します」
すごい、風の音に負けない、大きくて良く通る声だ。サッと大きな手が差し出されたので、花束吹っ飛ばされそうだけど、なんとか無理やり片手で抱えて、もう片方の手を伸ばした。
――わわわ、バランス崩した!
本当はきっと、手の甲を差し出さなきゃならないところを、よろけちゃって、そのままガシッとアーベル王子の手を掴んでしまった。
「は、はじめまして、王子! ハンナと申します! ようこそ我が国へ!」
そのままぶんぶんと手を上下に動かして、握手のフリをした。そして花びらが半分剥げ落ちた花束を、これ以上酷くなる前にずいっと差し出した(というか、押し付けた)。
「ふっ……あははは、これはこれは! なんと可愛らしいお出迎えだろう。ありがとうございます」
アーベル王子は白い歯をきらめかせて、爽やかさ全開な笑顔を浮かべた。
やった、大成功だ! そう思ってステージの下に控えるディルクに振り返ったら……あれれ、なんか微妙な薄笑いを浮かべているよ?
アーベル王子と騎士様を交互に見比べていたら、王子がディルクの存在に気づいたようだ。
「よう、ディルク!」
王子は花束(もはや花びらは残っていない……)を私に押し戻すと、ヒラリとステージから飛び降りてディルクの目の前に降り立った。
「久しぶりだなあ! まさか出迎えに来てるとは思わなかったぞ」
「アーベル様……相変わらず自由ですね」
「その生意気な口調も懐かしいぜ。どうだ、今夜一杯やらないか? うまい酒を持ってきたんだ」
アーベル王子は親しげにディルクの肩に手を回す。なんだこれ、すっごい仲良しじゃん! しかも珍しくディルクが困った顔してる。
「今夜はアーベル様を歓迎する晩餐会が開かれます。ご欠席は許されませんよ?」
「分かってるって、その後にどうだって言ってるんだ」
「まったく……とりあえずその話は後にしましょう。ほら姫様もお困りですよ」
そこで初めて、アーベル王子は私を思い出したようだ。ステージで所在無く突っ立っている私に向かって、これまた爽やかさ全開で笑いかけた。
「すまないな、姫! せっかくお出迎えいただいたが、もう十分だ。先に城へ戻ってもらっても構わないぞ!」
「はあ……」
これはまた、一癖も二癖もありそうな王子が来たわ。