(1) 突然の公務
森に囲まれた、白亜のお城。そこが私の住む『家』。
私の名はハンナ・ボーゼ。このお城に住む、王様の何番目かの姫だ。
王様には正室のお妃様の他に、たくさん側室のお妃様がいて、それだけではなくお妾様もいる。そんな王様が、遠征先で出会ったのが私の母親で……それで生まれたのが私。でも王様は長い間、私が生まれたことすら知らなかったそうだ。
だから私はずっと、母と母方の祖父母と一緒に遠く離れた田舎町で暮らしていた。でも十二歳の年に家族全員を流行り病で失ってしまい、隣町の孤児院に引き取られた。
その半年後、お城から迎えがやってきた。なんと私が王様の娘だという驚きのニュースを持って。
そうして私はお城に引き取られることになり、早四年経った……。
「姫様、何を熱心にご覧になられているですか?」
「ああヨリ、これは今年の公務リストだよ」
ヨリが用意してくれたお茶にミルクを注ぐ。いい香りだなあ、このお花の香り大好き。
夕食を終えて、今は王宮の一角にあるティールームでお茶をいただきながら待ち合わせ中。手元のリストを眺めて、内心ちょっとまずいなあと思っていたところだ。
「ご公務……たくさんございますね」
「うん……」
春になる前に十六歳になった私は、誕生日のお祝いの席で、その翌日から予定されている一年分の『公務リスト』を渡された。すごい束でびっくりした……部屋に戻って、すぐにえいや、と引き出しの奥にしまっちゃった……先の予定は見ない方がいい、うん。人はこれを現実逃避と呼ぶ。
でも夏を目前にして、その公務リストをわざわざ引っ張り出したのにはわけがある。
「実はね、夏の公務が一個増えちゃった」
「えっ、まさか!?」
「いやあ今日の会議で正式に決定しちゃったみたい……あはは。しかも明日からだよ。私も夕食前に知らされたばっかでさー」
ヘラヘラ笑う私の横で、ヨリはお茶のポットをギュッと抱えたまま俯いてる。白いエプロンにくっついた注ぎ口から紅茶のシミができそうで、見ててこっちがハラハラするよ。
「あのう、ヨリ……」
「酷いですわ!」
ガバッと顔を上げたヨリの怒りの形相に、思わず口をつぐんでしまった。普段控え目な性格な為、感情の針が振り切れるとそのギャップが凄まじい。
「そうでなくても、最近の姫様はお忙しいのに! ご公務の間を縫って、お勉強にダンスのお稽古をされ、夜は晩餐会や舞踏会に引っ張り出されて……その上さらにこんなのって、あんまりです!」
「わ、分かった、心配してくれてありがとうホントに! でもさ、断れないこともあるんだよ……仕方ないよ」
そう、仕方ないのだ。本当は今回の公務は正室様の第三王女レオノーラ姫が担当する予定だったけど、昨夜腹痛を起こして緊急入院しちゃったんだよね……なんでも食あたりらしくて、お忍びで城下町へ遊びに行った時に食べた牡蠣が原因らしい。
そこで急遽代理を立てる事になり、早朝から外務大臣をはじめとする各関係者を招集して緊急会議が開かれた。そこで代理として大抜擢されたのは……この私。
本来ならば、私よりも身分の高いお姫様が選ばれるはずだけど、運悪く皆さん別の公務で出払っているそうで、苦渋の決断?で私に順番が回ってきた……と、思いきや。
――まさか決め手が、ディルクが先方と知り合いだから、とはね……。
なんていっても今回は、南方の島国エスタルロードからやって来る第三王子の接待という、結構重要な公務だったりする。とてもじゃないけど、私に務まるとは思えない……そこでディルクの出番だ。
ディルクは私の専属騎士になる前は、黒サッシュの騎士様として外交関連の仕事をしていた経験がある。だから国外に知り合いがたくさんいて、今回の賓客も、漏れなくそのうちの一人だったことが判明。
だから表向きは姫である私が接待するけど、実際はディルクがそのお役目を果たすという……まあ、そういう事情があるから、まさか私が嫌だとか言えないわけで。
ただ一つだけ、泣く泣くあきらめた事がある。
「リーザちゃんのお見舞いに行けないなんて……残念」
リーザちゃんは、私のひとつ上のお姉さん姫で、いつも仲良くしてもらってる。そのリーザちゃんが、季節外れの風邪を引いて寝込んでしまった。だけどお城の『しきたり』で、公務中の王族は病人のお見舞いに行けないのだ……。
「そういう問題ではありませんわ! いえ、もちろん、そちらもとても残念ですけど、私は姫様のお体が心配なんです!」
たしかにヨリが心配するように、最近いろいろ公務が重なって奔走していたっけ。でも今回の公務が終われば、一週間夏休みがもらえるんだよね。
「私は平気だよ、体力には自信あるもん」
「姫様、いつもそうおっしゃられて、ご無理されるからっ……」
困ったなあ、ヨリになんて声を掛けようかと、考えあぐねていたその時、よく響く涼やかな声が割って入った。
「ヨリが心配するのももっともです。あまりご自身の体力を過信されてはなりませんよ」
颯爽とした足取りで現れたのは、私の専属騎士であるディルク・ベッセルロイアー。この国の三大貴族のひとつベッセルロイアー家の嫡男にして、騎士の中でも最高ランクの黒サッシュであるエリート騎士様だ。
「早かったね。外務大臣と打ち合わせだったんじゃなかったの?」
ディルクは端正な顔を微かに歪め、それから私の前に跪く。体を屈ませると金糸のようにサラサラの髪が肩から滑り落ち、グレーの地に赤い縁取りの騎士装束が細マッチョ(だと思う。脱いだところ見た事ないけど)と相まって、ちょっとヤバいくらいカッコイイ。うん、容姿端麗であることは素直に認めよう……ただし中身は、ヤバいくらい口うるさくて堅物だけどね。
「打ち合わせは済みました。それより姫様、お顔の色が優れませんね……お食事も普段より召し上がらなかったと料理長から報告を受けております」
そりゃあリーザちゃんが心配だし、何より仕事が増えたって夕食前に伝言受けて、一気に食欲減退したからだけど。でもそれ言うと、この生真面目な騎士様は、責任感じちゃうかもしれないしなあ……。
「ごめん、夕食前にお菓子食べちゃったんだ。後で料理長に謝っとくよ」
「……そういう事にしておきましょう」
察しの良い騎士様は、困ったように苦笑する。ああ嘘がバレてるなあ、と私も苦笑いを浮かべた。
会議で私が公務の代理になったと知らせを受けたディルクは、すぐ私に伝言を寄こし、夕食後の打ち合わせをセッティングした。つまり知らせを受けたのが、たまたま夕食前になっちゃっただけ。まあ食後に言われたら言われたで、やっぱり突然の事でブルーに陥って、今度は消化不良起こしかねない。
ま、こうなったら前向きに公務に取り組むしかない。
「とにかく明日からの公務の日程を説明してくれるんでしょ? まず何時に起きればいいの」
「……三時半です」
嘘だろう、さんじはんって!?
「さんじはんに起きて……その、なにすんの?」
「午前七時に開始予定の歓迎式典にご出席いただきます。場所は南の港です」
ディルクは手持ちの書類の束をめくった。
「明朝の出発予定時刻は午前五時。ご朝食とお支度に一時間半、その後馬車で一時間半かけて港へ向かいます。式典の三十分前には会場入りし、後は現場担当の者から説明を受けていただきます」
うわあ……朝からきっついスケジュールだな。
「待って、朝食は馬車の中で食べるよ。あと着替えは五分もあればできるし。城を出るのが五時なら、四時半に起きれば余裕だよ」
「……承知しました、何か軽食をご用意しておきます。ただしお支度には少々時間が掛かるので、四時には起きていただきます」
「分かった、四時でいいよ……」
なんとかプラス三十分の睡眠は確保できた……よかった。