(5) お迎え
保健室には年老いたおじいさん医師がいて、私たちを親切にも個室へ案内してくれた。保健室に個室! さすが王宮内の学校だ……。
個室の扉が閉められると、私とフェリシーちゃんは一瞬顔を見合わせてクスクスと笑いだす。
「あたし、こんな風に授業さぼったの初めて」
「私も……とはいっても、ここに来てまだ二日目だけどね」
「ハナちゃん、でいいのよね? 前はどこの学校にいたの?」
そこで私は、この王宮学校へ編入したいきさつを簡単に説明した。フェリシーちゃんは私がお城からやってきたことを知らなかったらしく、とてもおどろいていた。
「あたしは小さい頃、西の大陸から移住してきたの」
フェリシーちゃんの話によると、ご両親はずっと前に他界しており、今はお姉さんと二人きりで王宮の近くに暮らししているらしい。
「お姉ちゃんは昔からすっごく優秀で、五年前に宰相に大抜擢されたの。お姉ちゃんみたいに若い人が選ばれるなんて、異例中の異例だったみたい。しかも移民で外国人っていうハンディがあるから、すっごく大変だったの。でもお姉ちゃんは努力家だから……いっつも私に言うの……周囲に馬鹿にされないためにも、勉強だけはなまけちゃいけないって」
「そっかぁ、だから勉強がんばってるんだね。えらいなぁ」
「でも、あたしお姉ちゃんみたいに優秀じゃないの。どんなにがんばっても、クラスの平均点取るのがやっと……」
私のハンカチをにぎりしめたままのフェリシーちゃんは目を伏せてしまった。あれ、この子……よく見るときれいな顔立ちしている。さっきは不思議な瞳に気を取られてばかりいたけど、こうしてよくよく見ると肌も白くてビスクドールみたいだ。キャラメル色のまつげは長く、まばたきするたびにふっさふさとゆれる。さすが美女で有名な宰相様の妹さんだなぁ……って、感心してる場合じゃなかった。
「元気出そうよ。私もがんばったって平均がやっとだよ。でも勉強できなくても、きっと他に得意なことがあるはずだよ」
「他に? たとえば?」
「たとえば? うーん……」
あらためてきかれると、案外むずかしいな。フェリシーちゃんにアドバイスする以前に、そもそも自分の特技が思いつかないや。
と、そこで部屋の外からざわざわと人の声がした。どうやら廊下の方から聞こえてくるようだ……それがだんだん近づいてきて……とうとう目の前の扉がバタン、と大きく開かれた。
「……お迎えにあがりました」
「ディルク!」
やばい、騎士様登場だ! グレーのマントをひるがえして、颯爽と部屋に入ってくる……なんだこの迫力あるオーラは。
「な、な、なんでここに……」
「学校から、姫様が急病だと連絡があったからです」
しまった、先生が連絡しちゃったんだ! めちゃめちゃ後ろめたくって、今から気分悪くなっちゃいそうだ……万事休す。
ディルクはうろたえる私の目を一瞬じっと見つめ、それからとなりのフェリシーちゃんへと視線をうつす。
「宰相殿の妹君ですか」
「は、はいっ……」
「この度は病気の姫様に付き添っていただき、ありがとうございました」
ディルクがていねいに礼をすると、となりのフェリシーちゃんも私に負けず劣らず動揺しまくっていた。そして次の瞬間、さっと身をかがめた騎士様に私は絶句する……なんとそのまま抱きあげられてしまったのだ!
「あ、歩ける、自分で歩けるからっ!」
「いいえ、私がお連れします。病気の姫様を歩かせるわけにはいきません」
そう微笑えんだディルクの目が……こわい。コレ絶対怒ってる、てか仮病バレてる! そのままツカツカ歩きだすディルクの肩越しに、部屋に取り残されてぼうぜんとしているフェリシーちゃんへ『ゴメン』と目配せした……今日のところは、ダメだこりゃ。
廊下に出ると、周囲の状況は想像以上に悪かった。ありえないぐらい人垣ができてる。そして、好奇の目、目、目……なんで!?
「ほら見て、あの人よ!」
「ステキ」
「あの方、もしやベッセルロイアー家の?」
「あの美貌、あの物腰、黒サッシュ……そうよ、きっとそうよ!」
「ということは、あの子がうわさのお姫様!?」
「そうか、うわさは本当だったのね」
「うらやましいわ、あの騎士の姫だなんて」
本人らを目の前にあれこれ言われてますが……そんなステキでもうらやましくもないんだよ。この抱き上げる両腕、すっきりしてるようで鋼のようにかたく、ぜったい降ろしてくれそうにない。逃げるなと言わんばかり。
かなり恥ずかしい思いをした挙句、ようやく学校の外に出られてほっとしたのもつかの間……門にはド派手な真っ白いお馬さんが待っていた。まさか、コレに乗って帰るとか!? 頭上の騎士様の顔がニヤリと笑った(ような気がした)
問答無用でえいやっ、とばかり馬に乗っけられ、すぐ騎士様もヒラリと軽い身のこなしで馬上の人になる。そして間髪入れずに走りだした……なんつー目立つマネをするんだ、この人は。はずかしくって明日から私、学校行けなくなりそうだよっ!
「ひどいよ、ディルク!」
「ひどいのは姫様の方でしょう。なぜ仮病など使ったのですか」
「うっ……」
手綱をやや緩めた騎士様のふところで、私は小さくなってしまう。やがて馬の駆け足が徐々にゆるやかになり、頬をなでる風も弱まってきた。
――寒いなぁって思ってたけど、朝と違って日中は結構あたたかいんだなぁ。
規則的な馬のひづめの音がパッカパッカと、心地よい良いリズムをきざみだした。しかも森林がちょうどいい感じに木陰を作ってくれて、なんだか段々眠たくなってきた……って、待てよ。
「なんで、森? お城へ戻るんじゃなかったの?」
「少しだけ遠回りしていきましょう」
「はあ?」
見上げると、少し口元をほころばせたディルクの顔。それを見た私は、なんだか妙に安心して、愚痴のひとつやふたつを言う余裕が出てきた。
「もう、めちゃめちゃ恥ずかしかったよ。大勢の前で子供みたいに抱っこされてさ……」
「仮病を使う悪い子には、お仕置きが必要ですからね」
しれっとそう言ってたずなを握るディルクは、でもどこか楽しげで……叱られているはずなのに、不謹慎にもちょっぴりうれしくなってしまう。やがて緑の回廊をくぐりぬけた私たちは、湖のほとりへと出た。
馬から下ろしてもらい、水面の輝きをしばし見つめる。冷たく静寂な空気に包まれて、木々の葉っぱがサヤサヤと微かな音をたてて歌っているみたいだ。寒いけれど気持ちいいな。
「ここに来たの、久しぶりだなぁ」
そういや去年の春、ディルクと出会ったばかりの頃に遠乗りでここに来たっけ。サンドウィッチを半分こして食べてたら、弓矢が飛んできたんだよなぁ……あれにはびっくりしたけど、ディルクに助けてもらって無事だった。一年近くも前のことだけど、ついこの間のことのようにに思える。あの時はお互いなれてなくって、どうもぎくしゃくしてたな。今とは大違いだ。
「春になったら、またお弁当持ってここに来たいねぇ」
しみじみつぶやいたら、長い指がそっと頬にふれる。ふと気がつくと騎士様の新緑の瞳が、私の顔をのぞきこんでいた……顔、近っ。
「くまが出来てますね」
「そ、そう?」
「昨夜、私が色々と申し上げたから、でしょうか」
えっ、と顔をあげると、どことなく憂いをふくんだディルクの視線とぶつかった。
「宰相の妹君のことで、お悩みだったでしょう」
「えっ、ああ……まあ悩むってほどじゃ」
まあ、あながち外れてなくもないけどさ。