(4) 待ち伏せ
「わ、悪かったね。忙しいのに呼びつけちゃって」
なんだかこそばゆくって、口から出る言葉がどもってしまう。ディルクは静かな表情でそっと首をふった。人によっては無愛想とも取れる態度だけど、私にはちゃんと分かる……今日の騎士様は機嫌がいいのだ、きっと。サラリと額にかかった前髪が、室内の灯りに照らされて蜂蜜色に輝いている。あの髪、指の間でサラサラやったら気持ち良さそうだなぁ……と、のん気にそんなこと考えてる場合じゃない。
「ええと、そのぅ……」
なんと切り出していいか迷っていると、騎士様の手がスッと伸ばされ、ひざの上のナプキンを取り上げられた。次に身をかがめてきたのでドキリとした。
「姫様」
「な、なに……」
「ソースがついてます」
ディルクは手したナプキンをそっと私の頬にあてた。目があって、フッと笑われる。なにこれ、超恥ずかしいんですけど。
「それで、私に相談とは?」
そうそう、それだよ本題は!
「えっと、カリスティ宰相様に会わせて欲しいんだけど」
「宰相に?」
のぞきこむ翡翠の瞳が「なんで?」と問いかけてきた。さいきんは目を見ただけで何言いたいか分かってしまう。
「ほらディルクって宰相様と一緒にお仕事してるんだよね? だからその時、ほんのちょっとでいいからお話しさせてもらえないかなぁ?」
「宰相に改まって、いったいなんのお話をされたいのです?」
なんのって改めて聞かれるほど、ぜんぜん改まった話じゃないんですが。
「……言わなくちゃだめ?」
「だめです」
――即答ですか!
「凧の話だよ」
「たこ?」
「うん。今度クラスで凧揚げ競争するんだ。それで宰相様の妹さんも参加してもらいたいから、ちょっと宰相様にお願いしてみようかなって」
「なるほど。宰相は妹君の教育に大層熱心だという噂ですからね。おおかた妹君は、勉強があって参加できないと姫様に申された、というところでしょうか」
「そうそう、そーなんだよ。勉強しなくちゃいけないからって、断られちゃってさ。でもみんな参加するんだし、せっかくだから……」
「それは無理でしょう」
キッパリ突き放すような物言いに、私はあっけに取られて騎士様の顔を見上げた。いつものポーカーフェイスが、なんだか普段より冷たいかんじに見える。
「よその家庭の事情に口をはさむべきではありません」
「……口をはさむってわけじゃ」
ディルクはやれやれ、といった様子で目の前にしゃがみこむと、椅子に座る私の顔をのぞきこんだ。
「宰相には宰相の考えがあるのです。他人がとやかく口を出す問題ではありません」
「……」
私はなにも反論できなかった。
翌朝目が覚めて一番に浮かんだのは、昨夜のディルクとの会話だった。
――口はさむなって言われてもなぁ。
そりゃ私だって、他人様の家庭の事情に首をつっこむつもりないよ。でもフェリシーちゃんは、クラスでただ一人、凧揚げに参加しないことどう感じてるんだろうって。
――そうだ。宰相様と話する前に、もう一度フェリシーちゃんの気持ちを確かめよう。
次の行動が思いついて、私はとたんに元気になる。早めにベッドから飛び起きると、ヨリが用意してくれたドレスに着がえた。
「……またこの形か」
今日の『セーラー服』はアイスブルーの地に白のスカーフ。えりにはグレーのラインが二本入っている。学校用のドレスらしいから、確かにちょっと気合いが入る気がする。
「姫様、すぐに朝食のご用意を……」
「いらない、ちょっと早く出るから」
「そんな! せめて馬車のご用意まで……」
「それもいらないよ。いってきます!」
クローゼットからコートを引っ張り出すと、オロオロするヨリを後にして勇み足で外へ飛び出した。この日は晴れていたけど空気がキンと冷えていて、体のしんがシャキンとした。
――凧揚げ競争まで、あと三日かぁ。
空は雲ひとつない青空でカラッとしてる。『このまま当日まで晴れてくれるといいなぁ』と思いつつ学校の近くまでくると、フェリシーちゃんを待ち伏せるため門から少し離れた木陰へ向かった。
……だが、そこには先客がいた。
「フェリシーちゃん!?」
木陰には待ち伏せしようと思っていた当人が立っていた。重たい前髪のせいで顔の上半分が隠れ、しかも赤いマフラーで下半分が隠れている……だがこのオレンジ色のサラサラ・ストレートヘアは間違いなくフェリシーちゃんだ。
「ちょうどよかった、実は話があってさ……昨日の凧揚げのことだけど」
「私も、あなたのこと待ってたわ」
フェリシーちゃんはそう言うと、いきなり嗚咽をもらした。えっ、うそ。泣き出しちゃったよ?
「え、ちょっと、だ、大丈夫?」
もしかして、昨日無理にさそっちゃったから困らせたかな。やっぱりディルクの言う通り、おせっかいはよした方がよかったのかも。どうしよう。
私があわあわとあせっていると、フェリシーちゃんは泣きだしたのと同じくらい唐突に泣きやんだ。ほっと胸をなでおろしていると今度はガシッと両手を取られた。
「……ありがとう」
「へ?」
あいかわらず猫背で顔は伏せているけど、握られた手は震えながらも力強かった。
「凧揚げさそってもらえて、本当はうれしかった。あたしこんなだから、あんまり友達もいなくって……でも転校生のあなたなら、私の気持ちを分かってもらえそう」
「え、あ、うん」
つまり、さそってよかったってことかな?
「えーとそれじゃ、さっそく今日から一緒に凧作りを……」
「でもダメなのっ!」
フェリシーちゃんはかぶりをふる。
「お姉さまに知られたら大変だわ。あたしは、あたしは……!」
「わあああ、泣かないで!」
肩をブルブル震わせるフェリシーちゃんに、私はあわててポケットからハンカチを取り出した。それで涙をぬぐうのを手伝っていたら、ふと重たい前髪からフェリシーちゃんの瞳がのぞいた。
「あれっ……」
「あ」
フェリシーちゃんははじかれたように体を退くと、さっきよりもいっそう顔をふせてしまう。でもばっちり見ちゃった。
「かぁわいーねぇ!」
「えっ……」
「そんな可愛い目、私生まれて初めて見たよ。リスさんや小鹿ちゃんみたい」
おずおずと顔をあげたフェリシーちゃんの瞳は、つぶらな黒目がちの、というよりほとんど全部黒目な瞳でうるうる輝いていた。まるで森のリスや小鹿みたいだ。
「変って思わないの」
「えっ」
「可愛いなんて、初めて言われた……」
一瞬沈黙が落ちた。そして私が口を開きかけた次の瞬間……タイミング悪く後ろから声を掛けられた。
「ボーゼさん、カリスティさん。そろそろ授業が始まる時間ですよ」
「先生」
ふり向くと担任の女性教師が立っていた。え、もうそんな時間? でもまだフェリシーちゃんと話が終わってない。かくなる上は……。
「……お腹がいたい」
「ボーゼさん?」
私はとっさに体を折り曲げると、ちょっと芝居がかった風に「イタタ」とまゆを寄せた。
「すいません、朝ごはんが悪かったかな……保健室どこですか」
「あら大変だわ。食あたりかしら?」
ごめん先生、朝ごはん食べてません……。
「フェリシーちゃんに付き添ってもらって、保健室行ってもいいですか?」
「ええ、それはもちろん……」
こうして私たちは、まんまと保健室へ移動することができた。先生、だましてごめんなさい……。
転校二日目でさっそくサボるハナちゃん。苦笑