(2) ダンスレッスン
宿題も終えて部屋へ戻ると、扉の前でディルクが待ち構えていた。今日は渋い茶色の騎士装束に、同色のリボンで腰まで届く金色の髪をすっきりまとめている。堅物のくせに意外にオシャレだ……いや単に中身がいいと何着ても似合うから、オシャレに見えるのかな。
それにしても、いつもはこの時間なら騎士の詰め所(ディルクは私付きの騎士だけど他にも仕事があるのだ)にいる時間帯なのに、どうしてここにいるのだろう?
「なにかあった?」
「……やはり、お忘れでしたか」
やや呆れた口調のディルクは、優雅な所作で扉を開いてくれた。『なんのことやら?』と促されるまま部屋に入ると、中にいたヨリと侍女頭のニナさんがあわてた様子で私を出迎えた。
「ああよかった、ディルク様もご一緒でしたのね!」
「ヨリ、どうかしたの?」
「お忘れですか? 今日からダンスのレッスンが始まりますわよ。先日お話したではありませんか! 先生はもうとっくにお見えですし、姫様はどこかへ遊びに行かれたまま、なかなかお戻りにならないからどうしようかと……」
「ヨリ、姫様を責めるような言い方はおやめなさいな」
やんわりと先輩のニナさんにたしなめられ、ヨリははっとして「すみません」と何度も頭を下げた。ところで遊びに行ってたんじゃなくて、宿題してたんだけどー……ってそこは空気を読んで黙っていよう。
「まあまあ、あやまらないでよ。むしろあやまるのは私の方だし」
二人に申し訳ないやら、後ろで冷気を発している騎士様がこわいやら……。それにしてもダンスレッスンなんて、すっかり忘れてた。このあいだアリュスの国へ行ったときダンスがヤバイことがディルクにバレたんだけど、まさか本当にレッスンをすることになるとはなあ。まあこれも王族のつとめなら仕方ないか。
ヨリに手伝ってもらいながら、ルームシューズを真新しいダンスシューズに履き替えた。戸口には私の様子を見ながら動こうとしないディルクに首をひねる。
「ディルク、詰め所に戻らなくていいの?」
「私も姫様のレッスンに同行いたします」
「なんで?」
「姫様が外部の人間と接触する際は、姫様付きの騎士である私も立ち会わせていただくことになっております」
そうか、このお城では、そーゆー決まりがあったっけ。
「……というのは建前で、本当は姫様お一人ではどうも心配だからです」
「ちょっと!」
クスリと笑った騎士様に、私は顔を赤らめながら舌を出してやった。ハイハイ、どーせ私は世話が焼けますよ……こんなんじゃ、もし私がバイトしたいって言い出したらどういう反応するだろう? てか、許してもらえそーにないよーな……。
バイトのことを心配していたら、それが顔に出ていたのだろう。勘違いしたヨリが私をやさしくはげましてくれた。
「レッスンのことはご心配なさらなくても大丈夫ですわ。先生は若い女性とうかがっております。きっと仲良くなれますよ」
「ヨリ……」
そうじゃない……正直ダンスなんてどーでもいいんだよ。私はただ、バイトがしたいの!
レッスン場となるダンスホールには、すでに先生が待ち構えていた。鮮やかなオレンジ色のドレス姿の先生は、私の姿をみとめると壁際に置かれた簡素な椅子から立ち上がり、神経質そうに微笑んだ。
「はじめまして、ハンナ姫様。わたくしはエミリア・ドリューと申します。今日から一週間、姫様のダンス指導を精一杯つとめさせていただきますので、よろしくお願い申しあげます」
多少棒読み感が否めない口調のエミリア先生に、私はぎこちなく挨拶を返した。
「ではさっそくレッスンを始めましょう。まずは基本ステップからです」
うわぁ、もう練習開始するの……今日は初日だし『ここはひとつ親交を深めるためにも雑談など』なーんて展開期待してたのに!
「ところで姫様、あちらの方は……」
「あ、ディルクですか? 私付きの騎士なんですが……なんかお城の決まりで、レッスン中は一緒にいなくちゃならないんです」
「そう、ですか……」
エミリア先生は遠りょがちに壁際に立つディルクを見ると顔を赤らめた。至極一般的な女性の反応だ……まったくうちの騎士様はこれだから。当の本人はすずしい顔しちゃって、まあこれはいつものことだけど。
ただエミリア先生はやりにくそうだった。なんどもディルクの方を見て、なんだかビクビクしているようだった。男の人が苦手なのかな。
ところでエミリア先生はスパルタじゃなかったらよかった。それどころか、すごーく気を使ってくれた……ちょっと申し訳ないぐらい。そんなに腫れもの扱うようにしなくても、ステップ間違えたら普通に注意してくれていいのに。
「お上手ですわ、姫様」
「いやでも、今のところまちがえちゃって……」
「で、でも、ほとんど合っていましたもの。じゅうぶんお上手ですわ!」
じゅうぶんお上手って……それが本当なら、私はこのマンツーマンのレッスンを受けてないだろうに。ふとディルクを見ると、ディルクはいつもどおり完璧なポーカーフェイスで佇んでいた。ただ私と目が合うと、彼としてはめずらしいことに、優美に弧を描く眉を微かに持ち上げてみせた。
――うん、ディルクの言いたいことはわかってる……先生はお世辞を言ってくださってるんだよね? あはは……。
そんな具合にレッスンは一時間近く続いた。けっきょく最後まで、先生と何にも雑談出来なかった……というのも先生は、レッスン終わるやいなや「ではまた明日」と足早にレッスン場出ていってしまったのだ。
「もっと先生と、おしゃべりしたかったのになあ」
私のぼやきに、隣のディルクが反応した。
「これはダンスのレッスンで、お話をする時間ではありません。それに姫様は、これからお勉強のご予定がおありでしょう。エポック先生がお待ちですよ。宿題は済ませましたか?」
「さっきリーザちゃんの部屋でやった」
「それは結構なことです」
満足げにうなずくディルクに、私は『お、今がチャンスかも』とばかり切り出してみた。
「あのさ、お願いがあるんだけど」
ディルクは歩きだそうとした足を止める。私は何気ない、軽ーい口調(ここが重要!)で続けた。
「実はバイトしたいんだよね。外で」
「……なぜですか」
「いやさ、どーしてもお金が必要なんだよね。ほら王様の誕生日。アレのため」
「……」
「ささやかでも、自分で稼いだお金でプレゼントしたいと思ったの。ダメかな?」
ディルクはしばらく考えるような様子だったが、やがて私に向き直ってうなずいた。
「いいでしょう」
「いや、ダメって言うだろーけど……って、え? いいの?」
「はい、ただし条件付きですが」
……条件?
「変装していただきます」
へんそー、ですか?
「姫様の御身分を隠すなら構わない、という意味です。ただし一週間だけです。それ以上は認めることができません。それから送り迎えはいたします。よろしいですね?」
「う、うん……それはいーけど」
「では、さっそく手配いたしましょう。バイト先のご希望はございますか?」
「あ、うん。出来ればお茶を扱っているお店がいいんだよね。王様のプレゼントにしたいんだ」
「お茶を飲まれる国王様のため、ですね」
最後の一言をいいながら、ディルクの瞳が少しだけ優しげになった気がした。親孝行な娘と思われているのかなー、へへへ。
でもそれだけじゃないもんね。ちゃーんと、ディルクのプレゼントもこっそり用意しちゃうんだもんね。不意打ちであげたら、さすがのポーカーフェイスも崩れるかな。そう考えると、ちょっとワクワクしてきた。
ディルクの驚く顔を見るほうが、王様が喜ぶ顔を見るより楽しみになってきたなんて……これはヨリにもモチロン、誰にも言えない秘密だな。