(10)
お城に来たばかりのころ、侍女さん達のお世話になるのがたまらなく嫌だった。
服を着替えるにも、食事やお茶をするにも、侍女さんたちの手をわずらわせなくてはならなかった。その日着る服を準備してもらい、食事やお茶を運んでもらった。
特に「お腹がすいた」のひとことが言えなかった。
なんか恥ずかしくて、申し訳なくて。
だからよくポケットにお菓子をしのばせていた。それはお茶のときに出たクッキーやキャンディーをそっと紙に包んで取っておいたものだ。
お腹が空いた時、そのお菓子を食べた。
なかなか寝付けない夜、お腹が空くとベッドの中でこっそりお菓子を食べた。
あとからバレて、侍女さんたちを悲しませた。「どうして私たちを頼ってくださらないのですか」って、いつもお世話になっている侍女さんのひとりが涙ぐみながら私をぎゅっと抱きしめた。
ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったんだ。
ただ手をわずらわせたくなかったんだ……ごめんなさい。
それから少し、侍女さんたちと打ち解けた。
でも食いしん坊の私はしょっちゅうお腹を空かせてたから、ポケットにはいつも何かしらお菓子を入れていた……あの頃は。
――お腹空いたなぁ。
なにか入ってなかったかな。
寝間着のポケットをさぐると、指先に硬いなにかが触れた。
――なんだコレ?
イヤリング?
……待てよ、このイヤリングはたしか昨日の晩餐会で着けた、しずく型のブルートパーズじゃないか。なんでここにあるんだろう? ああそういや寝る前に気づいて外したんだっけ……そのままつい寝間着のポケットに入れちゃったのか。
――ところでココどこ?
まず外じゃない。洞窟でもない。家の中だ。
そう、まさに民家って感じの。今朝フリード王子を追いかけた末たどり着いた、小さな小屋のような家だった。
視線の先には、背を向けて椅子に座っているディルクの姿があった。
そしてその向かい側には、白いお髭を生やしたおじさんが座っている。そのおじさんの顔が「おやっ」といったように私の視線に気がついた。
「嬢ちゃんが起きとるぞ」
すぐにディルクが振り返った。
ディルクの金色の髪が暖炉の灯りを反射して、あたたかなオレンジ色に見える。
「……ご気分はいかがですか」
ディルクは椅子から立ちあがって私のそばにやってくると、心配そうに私の顔をのぞきこんだ。
「どこか痛いところはありませんか?」
「あ、うん。大丈夫だよ。ところでココどこ?」
「こちらの方のお宅です」
そう言ってディルクは肩越しに振り返ると、テーブルの奥に座っているおじさんに「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と小さく頭を下げた。
それから私は、まだ寝ていた方がいいと止めるディルクを押し切って無理やりテーブルに着くと、おじさんが入れてくれた温かいお茶を飲んだ。
おじさんの名前はフロストさんと言って、さっき私が落ちた崖の近くにあるこの家でたったひとりで暮らしているそうだ。
「ちょうど足りなくなった雪を集めに出かけたら、君達にばったり出くわしたワケだ」
そう穏やかに説明するおじさんはグローブのように大きな手でお茶のポットを傾けた。なんでも明日から、いや今日から始まる雪の祭典に出品する雪像作りで忙しいらしく、徹夜で作業してたんだって。
雪像用の雪が足りないから作業場の裏にある崖のふもとへ行ったら、ちょうど私たちが雪崩と共に上から落っこちてきたところだったらしい。雪がクッションになってくれたことと、ディルクがかばってくれたおかげで私は傷ひとつなかった。
だけど私は気を失ってるし、夜は視界も悪いので、夜が明けるまでフロストさんの家で待たせてもらうことになった、とディルクが説明してくれた。
「あのぅ、フロストさん」
私はひとつ、気になってることを口にした。
「ここら辺に『氷の花』って咲いていませんか?」
「『氷の花』? 聞いたことないがな、そういう名の花は」
「……」
――コルティ姫め……どうりで探しても見つかりっこないまずだ!
地元の人が知らないっていうんだもんなぁ。はは……力抜けたわホント。
顔を上げると、どこか心配そうに私を見つめるディルクと目が合った。私は思わず大きなため息をついてしまう。
そんな私の様子にフロストさんは「まだ休んでいた方がいいみたいだな」と声を掛けてくれた。
「二人ともゆっくりしてってくれて構わんよ。私は作業に戻るけどな……よかったら少し見てみるかい?」
「雪像作りですか? ぜひ! せっかくのチャンスだし……いいかな?」
最後の「いいかな?」はディルクに向かって言った。
ディルクは難しそうな顔してたけど『お願い!』って顔で見つめたら、翡翠の瞳を少し伏せて吐息をつくと『仕方ありませんね』といった感じに小さくうなずいてくれた。
「す……っごい!」
青白く輝く、雪で作られた女神像に私は感嘆の声を上げていた。
「きれー……しかも大きい。私の身長の倍はあるみたい」
「祭に出品される雪像の中には、もっと大きなものもあるはずだよ。嬢ちゃんはこの国初めてだって、お付きの兄さんから聞いたよ。なんでも南の方からやってきたから雪も初めて見たんだって?」
「そーなんです。雪って真っ白できれーですよねぇ」
「でも黙ってこっそり宿を抜け出して雪遊びをするなんて、危ないからもうやっちゃダメだよ? 雪は綺麗でも恐ろしいものなんだから」
――宿? 雪遊び? なんのこと?
隣に立つディルクを見上げるとしらんぷり。どうやら身分隠してることになってるみたい……そりゃ他国の姫とその騎士が、真夜中の雪野原で遭難しかかってたなんてちょっと、いやだいぶカッコ悪いからなぁ……。
それにしてもこの雪像、フロストさんが一人で全部作ったっていうんだからすごい。
作業部屋には、背の高い脚立や大きな箱に詰め込まれた大工道具みたいなのでいっぱいだ。こーゆーの使って、こーんなきれいな像を作っちゃうなんて……ん?
「あのう、フロストさん。この女神様って……」
「女神? 違うよ、これは男だよ」
え! てか、やっぱり?
どこかで見たことある顔だなあって思ったんだけど、実際そっくりなんだもん……フリード王子に。でもどーして王子なんだろ?
「今年の雪像コンテストのテーマが『コルティ王女の一番好きなもの』だからね。メイン審査員は王女だから尚更、兄王子の雪像を作ったんだよ」
「そ、そーなんですか……」
二人の喧嘩を今朝見たばっかりな私としてはフクザツな気分……しかもその喧嘩の原因ですが、もしかしたら私にあるかもしれないです……なんか責任感じる。
「これをきっかけに、二人とも意地張ってないで仲良くすればいいんだが」
「ホントそーですよねぇ……ん?」
ありゃ、おじさん二人が仲悪いって知ってんの!?
背の高いおじさんを見上げると、おじさんも不思議そうに私を見てる……やばい、ついうっかり口がすべった。
ディルクは作業場の裏口から外の様子を確認していて、私たちの会話に気づいてない。ここは私ひとりでなんとかごまかさねば……えーとえーと……あ、そうだ。
「おじさん、コレどうぞ!」
「え、なんだい?」
向こうにいるディルクに聞こえないよう声をひそめて、おじさんにそっと差し出たもの……寝間着のポケットに入れっぱなしになっていたイヤリング。青くきらきら光る石は、フリード王子の瞳によく似てる。
「これを雪像の瞳に入れたらどうかなぁって」
「……君はフリードの知り合いかね?」
はっ……しまった。ますます墓穴。
でもいいアイデアじゃない? だっておじさんには、ぜひとも決勝まで勝ち進んで欲しい。それでコルティ姫に、王子を象ったこの雪像を皆の前で選んでもらいたい。
おじさんはしばらく無言で私の顔を見つめていたけど、やがて小さく笑ってうなずくと石を受け取ってくれた。
「よし、それじゃ残りの作業を頑張るかな」
おじさんが作業に戻ると同時に、私はディルクに連れられて再び奥の部屋へと戻った。きっともうじき夜が明ける……そうしたらいよいよ『雪の祭典』だ。私も早くお城へ戻らなくっちゃ!