(8)
一度だまされると、警戒心強くなるもんだよね。
例えば「あんたなんかキライ」と意思表示された人から、急に「仲良くしたいの」と言われても実感湧かないものだ。『何か裏があるんじゃないか』と勘ぐってしまってもしょうがないじゃないか。
それとも……『最初で最後のチャンスかも?』とばかり飛びつく方がいいのかな。
いずれにせよ、午後の公務が終わってから突然コルティ姫様から呼び出された私は、その理由を聞いて戸惑ってしまったのはしょうがないと思う。だって急に「今朝のことあやまりたいからお会いしたい」なーんて言われたんだもん。『ホントかよ!?』と、ちょっと疑ってしまった。
コルティ姫とはまだ二回しか会ってないけれど、どちらも結果は散々たるものだった。
もしかしたらお母さんの女王様に怒られて、しぶしぶあやまろうと思っただけかも……そんな風にちょっぴり意地悪に考えつつそれでも面会に応じたのは、やっぱり出来る事なら少しでも仲良くなりたかったんだと思う。
侍女さんに案内された部屋は、一階の日当たりが素晴らしく良い大きな寝室だった。
室内の中央には透明な水色のカーテンで仕切られた天蓋付きのベッドがどーんと置かれており、私が室内に入ると同時にベッドの上の小さな体が半身を起こした。
「わざわざ来てくださってありがとう……ハンナ姫様」
「いえ……」
「こちらへいらしてくださる?」
カーテンを押し上げる手に招かれて、私はベッドの端っこに座った。
寝間着姿で銀色の髪の毛を長く垂らしたコルティ姫は、今朝見た形相とはまったく違う、海のように穏やかな表情を浮かべていた。
「ハンナ姫様……わたくしのこと、ゆるして下さるかしら」
「ゆるすも何も、そんな大したことじゃ……」
「ああよかった。わたくし本当は姫様と仲良くなりたかったの。でもフリードと仲良くしてて、なぜだかくやしくなっちゃって……」
フリード王子と仲良くしててくやしくなった、ということは、やっぱヤキモチ? でも、そもそも初対面の時から変だったけど……単に気分屋なのかな?
うちの騎士様も『王族は気ままな人が多い』って言ってたし、王族の子達と付き合うのって案外難しいもんなんだな……年が近ければすぐ友達になれるだろうって、のん気に考えていた私があまかったよ。
「ねえハンナ姫様。やっぱりわたくし、フリードと仲直りした方がいいかしら」
「それはまぁ、そうかと思いますけど」
「そう……」
ふと眼を伏せて考え込むような様子のコルティ姫様に、私はにわかに緊張する。
ああ、またコルティ姫の地雷を踏みませんように!
「ハンナ姫様」
「は、はい」
「わたくしフリードと仲直りしようかしらと、今日一日中ずっと考えていたの」
「はあ、まあ、それはすごく、良い考えかと思います、よ?」
どうもギクシャクしちゃうなぁ……なんせこの子、突然態度が豹変するもんだから。
すると次の瞬間、ぱっと顔を上げたコルティ姫様が、初めて私に笑顔を向けてくれた。
「ね、協力して下さらない?」
「へ? きょ、協力ですか……?」
「ええ。わたくし、フリードの好きな『氷の花』を摘んでプレゼントしたいの。フリードは花がとても好きだから」
確かにあの王子は花が好きそうだから、いいアイデアかも。
温室の花も王子が育ててるみたいだし、異国の花についてもいろいろ詳しかったしなぁ。
「でもね、雪の花はほら、あそこ……王宮の城壁の後ろに見える林を抜けた先にしか咲いてないの」
コルティ姫の視線が、窓の外へと向けられる。
「フリードと違って、わたくしは気軽に城から出られる身ではないし、それに夜目が利かなくて……」
「よめ?」
「夜の暗がりでは、あまり物が見えないの。アリュスの人たちは皆そうだけど、異国の方々なら明かりさえ持っていれば夜道も歩けるのでしょう?」
なんと、アリュス人にも弱点があったのか!
やたら寒さに強い民族だから、なんだか全体的に無敵な感じがしたけれど……そっかぁ。
「でも、なんで夜じゃなくちゃダメなんですか?」
「氷の花は夜じゃないと開花しないの。それに昼間に探しても、蕾は雪に埋もれちゃっているから到底見つかりっこないわ」
ふーん、そういうもんなんだ……ってことは、まてよ。
「それってもしかして、私が代わりに摘んでくる……と、そーゆーことですか?」
「ダメかしら……?」
夜にひとりで、城壁乗り越えて林を抜けるの?
そんなの絶っっっ対、ディルクが許してくれっこないって!
悪いけど断ろうとしたら、ガシッと両手をつかまれた。
「わたくし……フリードを喜ばせてあげたい。頼みの綱はハンナ姫様だけなの」
「そ、そうおっしゃられてもっ……」
「城壁の抜け道なら教えてさしあげられるわ。下働きの子で、恋人と林で密会する時によく利用している道を教えてもらったの。今夜は雪が積もっているから、林の中でも月夜に反射して足元は明るいはずだわ。もちろん、わたくしが夜道を歩くには利かない程度ですけれど、夜目が利くハンナ姫様ならきっと……」
と、そこでコルティ姫がふつり、と言葉を切った。
コルティ姫の表情がみるみる内に曇っていく……握られた両手からも力が失われてきた。
「……やっぱり、こんなことお願いできないわね。ごめんなさい……」
「あの……」
「わたくし、どうかしてたわ……本当は姫様にあやまりたかっただけなのに。つい、姫様のおやさしい人柄につけこんで……恥ずかしいわ」
そう言われるとなんだかかわいそうになってきてしまったのは事実。
それに、これは仲直りできる『最初で最後のチャンスかも』しれない……。
「あのう、やっぱり私にできることなら……」
「ホント!? 本当に引き受けてくださるの!?」
「は、はあ……」
――ああ、言っちゃった。
私に抱きついて「ありがとう」を連発するコルティ姫様に、私は内心冷や汗をかいていた……問題は、どうやって今夜ディルクに気づかれず外へ出るかだ。
――これは大変なことになっちゃったぞぉ……。
その夜。私はベッドの中で夜の静さの中、息をひそめていた。
ていうか、ドアの外に人の気配が無いかどうか聞き耳立てていたのだけど。
ディルクの寝室はすぐ向かいの部屋だから、私が大声を出せばすぐに飛んでくる……はず。ここ、防音設備とかどうなってるんだろ? きっと廊下には見張りがいるだろうから、そこを抜けて外へ出ることはまず不可能だ。
――となると、やっぱ窓から、か……。
ここ一応、二階なんですけど。
ちなみに足場、悪そうなんですけど。
でもコルティ姫から借りた縄ばしごでバルコニーから庭へ降り、城壁の外へ出る秘密の抜け道をたどって林へ向かえばいいのだ。で、帰りは残しておいた縄ばしごでバルコニーによじ登り、自分の部屋へ戻る。それで一件落着……って、ホントにそんな単純にいくのだろうか?
――やばい、緊張してきた……。
私は寝間着のまま、こっそりベッドの中に隠しておいた外出用のコートと手袋を身につけた。ベッドの下にはブーツを忍ばせてある。
――さっさと用事終わらせて、はやく帰ってこよっと。
そっと窓を押し、忍び足でバルコニーへと忍び出た。
縄ばしごを垂らし、手すりを乗り越えて足を伸ばした時、私の心の中はすでに後悔の気持ちで一杯だった。マッタクなんでまた、こんな面倒なこと引き受けちゃったんだろう。
抜け道はわりと簡単に見つかった。城壁のある場所には、ずっと昔に取り付けられたままの古くて小さな通用口が残されていて、そこを通って林へと抜けられるようになっている。
「よいしょ、っと……」
吐く息は白いけど、風はないから寒さはなんとか耐えられそう。
夜空を見上げると、きらきらと銀色に輝くお月さまが見えた……コルティ姫様の瞳を思い出し、なんだか監視されてる気分……ってますます気分はブルーになりそう。
林もやはりコルティ姫に言われた通り、簡単に抜けられた。その先には……息をのむような銀色の野原が辺り一面に広がっている。
「はあ……すごい」
真っ白で、どこがどこだかさっぱり分からない。
改めて後ろを振り返ってみると、先ほど抜けたばかりの林が静かに立っていた。
――まだ道、見失ってないよね……。
さっそく氷の花探しに取りかかることにする。
しかし……。
「……おっかしいなぁ?」
探せど探せど、青くって手のひら大だっていう氷の花が見当たらない。
こんなにどこもかしこも真っ白なんだから、一か所でも青くなってればすぐに目がつきそうだけど……。
――まさかと思うけど、月があんなに明るいから開花してないとか?
でも明るさが関係してるんだったら、曇りとか天気の悪そうな暗い日中だって咲いてそうじゃないの。とりあえず林の位置だけ見失わないようにしよう、とサクサク歩き続ける。
足元の雪を踏みしめながら、雪の深さが先へと進むにつれだんだん増していることに気づくまで時間がかからなかった。あっという間にひざ丈になり、気がつたら腰近くまで……うわぁ、このまま先に進んだら埋もれちゃう。
――ここまで積もっていたら、花だって雪の下に埋もれてるってば。
あまり雪が積もってないところまで引き返そう、と踵を返したその時……足が何かにすくわれたような気がした。
「ぎゃっ!」
のどがつぶれるような声が出て、そのまま足が宙を切る……ドサッ、という音とともに、全身に衝撃が走った。
雪をはねのけるように身体を起こすと、運が良かったことに雪がたくさんつもったところに落下したらしく、体のどこにも痛みは感じられなかった。
でも……と、私は頭上を見上げた。
目の前にそびえ立つ雪の斜面はかなり急で、ちょっとやそっとじゃ上れそうにない。てか、絶対無理こんなの。足場悪いし。てか、足場無いし。
「うっそぉ……」
もしかして私、軽く遭難しかかってない!?