(7)
午前中の公務が終えて昼食を食べに会議室を出ようとしたところで、同席していたおじさんに呼び止められた。
「コオ国務大臣ですよ」
隣に立つディルクに小さく耳打ちされ、私は軽くうなずくとピッと背筋を伸ばした。
コオ大臣は大柄な上、威厳のありそうなヒゲの為に一見近寄りがたい雰囲気を持つ。が、イメージと裏腹なきさくな笑顔を向けられた。
「ハンナ姫、これから昼食ですかな」
「はい」
「ご公務でお疲れのところ申し訳ありませんが、女王が姫様と内々でお話しがしたいと……」
――女王様が?
ディルクと顔を見合わせた私だけど、うすうす理由は分かっている……きっと朝の一件についてにちがいない。でも今朝あったことは、まだディルクにはなーんにも言ってないんだよね。だって下手に説明したら怒られるかもしれないと思ってさ……。
コオ大臣の案内でやってきたのは王宮の離れにある、小さいながらも居心地のよさそうな応接室だった。中にはすでに女王様が待ち構えており、私が部屋に足を踏み入れると同時に立ち上がった。
「……お待ちしておりました、ハンナ姫」
どうしたんですか、と私がたずねる前に、女王様が頭を下げたのでびっくりしてしまった。
「今朝はコルティが失礼なふるまいをして、大変申し訳ありませんでした」
「え、そんな。いいんですよっ……」
やはり今朝の一件について、すでに誰かから聞いてたらしい。
あの後サンルームに残してきたコルティ姫がどうなったか知らないけれど、かなりの女官たちが集まって大騒ぎになっていたからなぁ。
確かにあの子にはちょっぴり不愉快な気持ちにさせられたけど、だからって一国の女王様に頭下げてもらっては申し訳なさすぎる。
そしてなにより……隣で冷気?を発しているディルクが怖すぎるっ……『私は何もうかがっておりませんが?』って、そんな感じ。
すると女王様が小さくため息をついた。
「あの子は普段聞き分けが良いのですが、ことフリードに関すると手に負えません。本当に困ったものです」
「あのう、なんでお二人ともああなっちゃうのか、わけをうかがっても構いませんか?」
私の言葉に、女王様は問いたげな瞳でじっと私の顔を見つめた。
余計なこと聞いたかな、と私はバツが悪くなって首をすくめてしまう。
「いやあの、お二人とも兄妹なのにあんなじゃかわいそうだなぁって。私の余計なおせっかいかもしれませんが……」
「いいえ、そんなことありません」
女王様は私の方へと身を乗り出した。
「あの二人には、同世代の友人が必要なのです。ハンナ姫が二人のことを気にかけてくださるなんて感謝こそすれ、おせっかいなどと思いませんわ」
そう言った女王様は、灰色のまつ毛を少し震わせた。
神秘的なオーラを持つ女王様が、なんだか今だけ普通のお母さんに見える。それはとても親しみを覚えるけど、同時に私をほんの少しだけメランコリックにさせる……私の亡くなった母さんを思い出すから。
「……あの二人は、幼い頃とても仲の良い兄妹でした」
女王様は静かな声で語り始めた。
「コルティはいつも兄のフリードを追いかけていましたし、またフリードはどこへ行くにもコルティの手を引いていました。ですがコルティが十歳になり、次世代のアリュスの女王としての本格的な教育を受けるようになってから、二人の仲がぎくしゃくし始めたようなのです。ご存じの通り我が国は女王制ですので、王位継承権は生まれた時から娘コルティに決定しております。フリードもそのことは十分承知しております。また女王の補佐等といった、王家を取り仕切る者達も代々女性と決まっておりますので、フリードは特に王族として負わねばならない責務もありません」
ふうん、そうなると妹姫は大変だけど、兄王子の方は結構気楽な身なんだな……王都のレストランで会った時もブラブラしてたみたいだし。
「コルティは、そんな兄に嫉妬のようなものを覚えているのかもしれません。同じ兄妹なのに、一方は自由に出歩ける身にも関わらず、もう一方は王宮に縛られて厳しい教育を受けているのですから無理もありませんね」
「たしかに。コルティ姫様にしてみれば、お兄さんがフラフラ……いや、自由に出歩けるのに、自分だけ王宮にこもってお勉強をしなくちゃならないから面白くないかも」
「ええ。フリードもフリードで、コルティばかり目をかけられ、大切にされている姿を見ているのが、内心面白くないのかもしれません」
そっかぁ……責任無くて自由な分、ほったらかしにされてるって思っているのかな。フリード王子本人と話す限り、特にひねくれてる感じはしないけど。
「ああ、ごめんなさい。ハンナ姫を困らせるつもりはなかったのですわ」
押し黙ってしまった私に、女王様は心配そうに眉をひそめた。そのとき……絶妙のタイミングで、思いっきり私のお腹が鳴ってしまった。
「姫様……」
後ろからうんざりしたような騎士様の低い声がした。そんなこと言っても、お腹が鳴るのなんてコントロールできないからしょうがないもん……ああコオ大臣も、それに女王様まで笑いを噛み殺しているよ!
「す、すいません、真面目なお話してるのに……」
「いいえ、よろしかったらご一緒にお食事しませんか? ハンナ姫とは一度ゆっくりお話したいと思っておりましたのよ」
よろこんで、と快諾しようとしたら、コオ大臣が申し訳なさそうに口をはさんだ。
「申し訳ありませんが陛下、本日は宰相と昼食会議を行うご予定が……」
「ああ……そうでしたわね。残念ですわ、ハンナ姫」
「いえ、こちらこそ」
女王様ってやっぱり忙しい人なのだろう。まるで時間にせっつかれているかのように、女王様は挨拶すると足早に立ち去ってしまった。
コオ大臣は女王様の為に扉をおさえていた手をそのままに、続いて部屋を出る私たちを見送ってくれた。
「さあ、ハンナ姫も昼食を召し上がってきてください」
「すみません、お先に……ディルク、お昼ってどこで食べることになってた?」
「姫様のお部屋に準備していただいております」
廊下に出ると、コオ大臣と軽く握手をする。
「ハンナ姫……コルティ様はお寂しいのです」
コオ大臣の言葉に、私は握手したまま目を瞬いた。
立派なヒゲを指先で少しねじって、愛嬌ある小さな茶色の瞳が私を悲しげに見下ろす。
「ハンナ姫のような方が、コルティ様のお友達になって下さるとありがたいのですが……フリード様は王宮に寄りつこうとしませんし」
「あのぉ、もう友達ですよ……二人とも」
向こうが私を友達と見てるかどうかは、さておき。
半分気休めかもしれない私の言葉に、それでも大臣はうれしそうに笑ってくれた。
部屋へ戻る途中、私はふと思いついたようにディルクにたずねた。
「ところでディルクの友達って紹介されたことないね……今度会ってみたいなぁ」
カツカツとブーツの音を高らかに鳴らして歩く騎士様は一瞬足を止めると、絹糸のような金髪の束を背中でゆらしながら隣の私にふりかえった。
「姫様にご紹介できる友人など、私にはおりません」
翡翠の瞳の中には、何も感情が見えない。
「……どして?」
「つい先日まで、国外での仕事が主でしたので、特に交流を深める相手もいなかったのです」
つい、と私から視線をそらしたディルクは、再び歩き出した。
その横顔はいつものポーカーフェイスとは違って、不自然なくらい感情が見えない。そんな顔をさせちゃったことがなんだか申し訳なくって、私はあわてて明るく笑ってみせた。
「まあ、いっか。友達はこれから作ればいいんだし。友達第一号ができたら私にも会わせてね」
「……」
「あ、でも第一号は私と思ってくれてもいーよ?」
「姫様は私の友達ではありません」
顔を前に向けたままキッパリと言い切られて、私の頭の中ではガーン、と重苦しい音が響いた……最近お互いなれてきて、けっこう親しくなれたと思ったのに!
「私にとって姫様は、友達以上に大切なお方ですから」
サラリと続いたディルクのセリフに、私の歩く足が止まってしまった。そんな私に気づいたディルクも足を止め、怪訝そうな顔で私に振り返る。
「どうされました?」
「ま……」
「ま?」
――ま……真顔でそんなこと言わないでよ!
「姫様?」
「……なんでもない」
なんでディルクって、こういうこと平然と言えるんだろう?
逆にこっちが恥ずかしいってば……。