(5)
賑やかな広間をぬけて廊下に出ると、意外にもあちこちに人の姿があった。
酔いざましにぶらぶら歩いている人や、ダンス疲れか靴を脱いで足をさすっている人など、それぞれの理由で会場を抜け出した様子である。
フリード王子に連れられてサンルームに入ると、そこでは数人のお年寄りグループが小さな円卓囲んでのんびりとお茶を楽しんでいた。
「ほお、あなたが今夜の主賓の姫君とな」
「まだお若いのに公務なんて立派ねぇ」
「ほら、こっちのチョコレートもお上がんなさいな」
―――絶対、子供に見られてるよな私……。
民族の違いか、この国の人は平均してやたら背が高い。しかも顔の作りも大人っぽいから下手するとコルティ姫より若く思われてるかもしれない。
とにかくテーブルに招きよせられた私達はいろんなお菓子を押し付けられた。
もっとお茶を飲んで行け、と強くすすめられたけど、ディルクに黙って抜け出してきた手前あまりゆっくりもしてられない。
「ごちそうさまでした」とお礼を言ってテーブルを離れるまで、かたわらのフリード王子はなにが可笑しいのかクスクス笑いっぱなしだった。
「さ、こっちだよ。おいで」
王子は私の手を取り、奥の温室へ案内してくれた。
いろんな植物の間を練り歩くことしばし、やがてひとつの植物の前で足を止めた。
「ほら、これが東の国から献上された花だよ」
王子が指示した花に、私はあっけに取られた。
「え……これ?」
節くれだった緑の不思議な幹からシャープな葉が飛び出ていて、その先っちょに紫色した小さなしずくみたいなものが垂れ下っていた。なんか、とてつもなく地味だな……いかんいかん、せっかく見せてくれたのに落胆した顔しては。
「これはタケという名の植物で、花をつけることは滅多にないからとても珍しいんだ。そうだね、だいたい60年から、場合によっては120年に一度しか咲かないらしいよ」
「ひゃくにじゅうねん!?」
ひえぇ、貴重なもの見た気持ち。
「あとこっちの木も花が咲く種類だけど、残念ながら一年に五日ぐらいしか咲かなくてね」
「えー、そんなに短いの!?」
「でも東の国では、とても愛されている花なんだよ。花弁が淡いピンク色で夢のように綺麗なんだ」
百年に一度しか咲かない花だったり、一年に五日しか咲かない花だったり……東の国って不思議な花があるんだなぁ。
それからしばらく温室中にある花をあれこれみせてもらった。ちょっと見近寄りがたいぐらい綺麗な外見とは裏腹に、フリード王子は気さくで結構話しやすい。
だからついついおしゃべりが弾んでしまい、やがて王子に「ところでそろそろ戻らなくて大丈夫?」と言われて飛び上がった……一体どのくらいここにいたんだ私たち? 早く戻らなくっちゃ!
フリード王子はパーティーへ戻る気がないらしく、サンルームから飛び出していく私を温室からのんびりと見送っていた。
パーティー会場へ戻ると、室内は相変わらず賑やかだったが、音楽は少しスローテンポになっている。そろそろお開きの時間が近いのかもしれない……やばい、冷や汗が出てきた。
――ええと、私が座っていた場所は……あ。
先刻まで私が座っていた椅子には、怖いほど表情を無くしたディルクの姿が……マズイ!
おずおずと近づく私の姿に気がついたディルクはゆっくりと立ち上がった。
「お疲れじゃありませんか」
「はへ? お、怒らないの?」
「一緒にいらしたのがフリード王子だったものですから」
へー、ディルクってばフリード王子のこと知ってたんだ?
そういや昔、仕事でこの国に来たことあるって言ってたしね。そっかー、よかった!
「……ですが私との約束を破って、勝手に広間を抜け出したのは別問題です」
ぐいっと手をつかまれ、あっという間にディルクの腕の中に引き込まれた。
片方の手は腰に回され、もう片方で手のひらをつかまれる。リードされるままダンスホールの中心近くまできてしまった……わわわ、まさか踊れっていうの!?
「私、足ケガしてて踊れないって予定じゃなかったっけ」
「スローダンスだから大丈夫です……ここならもう、逃げられませんよ」
――ま、まさか。
「だいたい、あなたは姫としての自覚が……」
やっぱりお説教か!
振りきって逃げたいところだけど、腰と手をがっちりホールドされちゃってて動けないよぅ。
「お説教なら部屋戻ってから聞くからカンベンしてよ……」
「いけません、叱るのは悪いことした時にしないと効果がないのです」
犬や猫のしつけか!
ものすっごく面白くなくて、私は下唇を突き出してそっぽを向く。
「人目がありますよ。もっと姫君らしく、にこやかにしてください」
にくたらしいから、歯をむき出して笑ってやる。
そんな私の顔を、冷笑を浮かべて見下ろす騎士様……周りの人たちにはどう映ってるんだろ? 姫と騎士の微笑ましいダンスなのか……遠目では。とほほ、現実はこんなんだけど。
窓の外を見やると、サラサラと粉雪が降り始めたみたいだ。
室内の灯りは暗めに落とされ、透明大理石を敷きつめたダンスフロアが幻想的に青く光っている。音楽はムードたっぷり、周囲の人たちの動きもそれとともにゆったり、ゆったりと揺れていた。
「……姫様、ちゃんと聞いてますか?」
至近距離には、私をのぞきこむ秀麗な顔。薄い唇にちょっぴり甘めの微笑を浮かべて……しかし目が笑ってない。これはかなり怒ってるよ!
「ごめん、なさい」
「分かればよろしいのです」
「じゃあもう戻っていい?」
「いえ、せっかくですから」
ディルクの手がくるりと回転した。ぐらりとまわった私は、一回転後にしっかりと支えられる。耳元に微かに響く、悪魔のささやき……。
「せっかくですから、踊りのレベルチェックをさせていただきます」
ああ……一難去ってまた一難か。
翌朝起きたら、窓の外は銀世界だった。
昨夜の晩餐会は日付が変わるまで続き、朝から始まる『公務』のために早朝から叩き起こされた私はかなり寝不足。
――うー、お布団から出るのつらい……。
二階の客室にいる私は、窓から庭を見下ろしてみた。
いろいろ木とか植えられてるみたいだけど、雪がかぶっちゃってよく分からないなぁ。それにしても 外は思いっきり寒そうなのに、それでも道行く人々はコートすら羽織らない。なんでシャツ一枚で平気なんだ……アリュス人おそるべし。
「あれ、ディルクだ……」
見慣れたマントを羽織った騎士様の姿に、私は目を瞬いた。
隣にコルティ姫の姿があったからだ。
コルティ姫は他のアリュス人同様、薄いドレス一枚で歩いている。
銀色の髪を朝日にきらめかせ、ディルクにエスコートされながら庭先を散歩してるようだ。
「姫様、いかがされました?」
朝食を準備してくれていた女官さんが、窓辺に立つ私に声をかけたのでふりむくと、そこにはテーブルに整然と並んだお皿とカップたち。
――おお異国の朝食……湯気が立ってて美味しそう。さっそくいただこう。
「それで何をごらんになってたのですか」
「ああ、コルティ姫の姿が見えましたので」
温かいお茶を受け取って、ひとくちすする。
はあ、美味しい。
「コルティ様は、毎朝お庭を散歩されるのが日課ですの。お身体が弱くていらっしゃるから、体調の許す限り外の空気を吸われるのですわ」
「そうなんですか」
あのお姫様、身体弱いんだ……この寒空の下、あんな格好で平気なのかな? あんな薄着じゃ普通なら具合悪くなりそうだけど、寒さに異常に強いアリュス人だから大丈夫なのだろう。
そういえば、まだコルティ姫にお土産渡してなかったな。
食事の後にでも渡しに行こうかな。
「ハンナ姫様も、お食事の後にお庭を出られてはいかがでしょう? 今日は美しい雪が積もってて、奥庭から眺める山々の景色は格別ですわ」
「……そーですね」
――ただし、すっごく寒そーですが……。
アリュスは常冬なんだけど、一年中雪が降っているわけじゃないらしい。
ちょうど今ぐらいの時期から半年ぐらい、ずっと振り続けるそうで……つまりはいっちばん、さむーい季節に訪れた事になる。国境越えした時はまだ雪降ってなかったのに。
「初雪は先週末でしたけど、今日の雪はこの時期らしい深い雪になるでしょう。明日から開催される『雪の祭典』は我が国最大のイベントですので、ハンナ姫様も存分お楽しみくださいね」
「はい、もちろん」
そう、この『雪の祭典』こそ、今回の公務のハイライトなのだ。
なんでも雪像アートの品評会があったり、花火も打ち上げられるらしい。それで私は、その祭の来賓者として出席する予定なのだ。
「今年は初雪が例年より遅かったので心配でしたけど、これで雪像コンテストも開催できますわ」
「そっか、雪がたくさん降らないと雪像作れませんもんね」
「ええ、皆が毎年楽しみにしているイベントですからね。きっと今夜は夜通し雪像作りで大わらわでしょう」
そんな話をしつつ食事を終えると、ひとりで部屋にこもっているのもつまらないので廊下に出てみた。ディルクはコルティ姫と一緒だろうから、鬼の居ぬ間になんとやら……で、ちょこっと王宮見学。
室内は温かかったのに、廊下に一歩出るとちょっと寒い。
急に思い立ったから部屋着で出てきたんだけど、これで大丈夫かな……歩けば少しは身体温まるかな。
時折すれ違う人たちは、私の姿に気にも止めない。
どうやら私、王族オーラがゼロみたい……きっと私、お手伝いさんの一人と思われてる可能性大かも。
――ま、かえって気楽で助かるけどね。
階下へ降りる階段で制服姿の女官さんらとすれ違った。
なんだか楽しそうにおしゃべりしている。
「ねえ、コルティ様とご一緒だった殿方見た?」
「あの方でしょ、今ご滞在されている姫君の騎士って」
「素敵よねぇ。さっき庭先でコルティ様と散歩されてたわよ」
「ホント!? ちょっと見に行こうかしら」
――まったく……どこへ行っても目立つんだな、うちの騎士様は。
それに比べてどうよ、仮にも姫である私の存在感の薄さは。
昨日到着したばかりだから、この王宮じゃあまり顔知られてないんだろうけど……それを言うならディルクだって同じじゃん。
「やっぱ女の人ってイイ男には目ざといんだなぁ……イケメン・センサーでもついてんのかな」
ぶつぶつ言いながら階段を降りたところで、ばったりコルティ姫とディルクに出くわした。
「姫様、お目覚めでしたか」
「あ、うん、ちょっと前に」
ツカツカと私のもとへやってきたディルクから、ヒヤリと外気の冷たさを感じる。
「お食事はもうお済みですか? ところでなぜ、そのような格好をされているのです? 今日着るご予定のお召し物はどうされたのです?」
ああ始まった……普段無口なくせに、こーゆー時になるととたんに饒舌になるからやんなっちゃう。
この際ディルクは無視して、コルティ姫にごあいさつをしよう。
「おはようございます、コルティ姫」
「おはようございます、ハンナ姫様。外の景色はもうご覧になりまして? とっても綺麗なのよ。今お庭を一回りしてきた所なの……ハンナ姫様の騎士を勝手にお借りしてごめんなさい」
「いやいやそんな。ディルクの一人や二人、いつでもどーぞ!」
――ついでにもうしばらく連れてってやってください……お説教されそうなんで。
アハハと愛想良く笑った私の横で、地を這うようなディルクの「姫様……」という低い声が聞こえたけど気にしない。よかった、コルティ姫、今日はご機嫌いいみたい。
「そうだハンナ姫様、あちらでわたくしのお茶に付き合って下さらない? ディルク様、ちょっとハンナ姫様をお借りしても構わないかしら?」
コルティ姫はディルクにたずねると、ディルクはちょっと考えるような素振りをみせた。
「姫様いかがされますか? ご公務のお時間まで、まだ一時間ほどありますが」
「え、私? いや別に、私はかまわないけど……」
コルティ姫は「じゃあ決まりね!」と細い指先でしっかりと私の腕を取った。私はなかば引きずられるようにして歩き出す。
ちらりと後ろを振り向くと、そこにはやはり微妙な表情のディルクが私たちを見送っていた。心配してそうに見えたけど、私の気のせいかな……?