(3)
翌日の昼頃、私たち一行はアリュスの王都の外れに到着した。
アリュスはうわさ通りすごく寒い所で、防寒着なしじゃ外を歩けない……はずなのに。
「なーんで皆、普通のかっこうしてられんの!?」
にぎやかな町中では上着一枚とか、私の国じゃ春先ぐらいの軽装で歩く人達であふれてかえっていた。
これじゃ毛皮のコートにショール、耳までスッポリおおう帽子までかぶって完全防備してる私が異様に見えるじゃん……。
「アリュスの民は我々と違って、寒さに強い遺伝子を持っているのです」
そう説明するディルクも、いつもの騎士装束に分厚いマントを一枚羽織っただけ。寒くないのかなぁ?
気になってたずねてみると、クールな騎士様はあっさり「鍛えてますから」と即答した。そーゆーもんなんだ……?
とにかく、まだ王宮まで道のりがある。
この町で昼食をとることになった私たちは、護衛の人たちには休憩がてら各々自由に食事してもらうことでひとまず解散した。
当然、私はディルクと一緒だ。
いくら王都に入ったとはいえ護衛もいないことだし、私達は身分をふせてレストランへ向かうことにする。
「どこも混んでますね」
「お昼時だしねぇ……でもあんまり空いている店もね。どうせ並ぶなら、おいしいって評判の人気店で食べたいなぁ」
そんなわけで、一軒の流行ってそうな店に入ることにした。
店の外には順番待ちのベンチが設けられ、数組の家族連れやカップルが楽しそうにおしゃべりしながら行儀よく順番を呼ばれるのを待っている。
私たちが列の最後尾につくと、店の人にメニューを渡された。「30分ほどでご案内できますから」と愛想良く言われ、まあ寒いけど我慢することにする。メニューを片手に小さくくしゃみをすると、隣で私の風除けをするように立ってくれていたディルクが「大丈夫ですか」と眉をひそめた。
「なにか体の温まる飲み物でも買ってきます。ここを動かないでくださいね」
ディルクは一言念を押すと、近くの飲み物のスタンドへ向かった。ひとりその場に残された私は、さっそくメニューを開く。
――よし、ディルクが帰ってくるまでに何を注文するか考えておこう。
メニューはアリュス語と、この大陸の共通語の両方で書かれていた。共通語なら読めるけど、料理の写真が載ってないからイマイチ想像つかない……食材の名前とか、知らない言葉もたくさんあるしなぁ。
「君、異国からきた人?」
流暢な共通語で話しかけられ、私はメニューから顔を上げた。
そこには肩まで伸ばした銀色の髪がまぶしい、ものすごい美人がニコニコと私の顔をのぞいている。
「そんな格好で寒そうにしてるから、すぐに分かったよ。この国は初めて?」
「はい」
「この店のランチは美味しいよ。どれにするか決めた?」
そこで私はえへへ、と笑って広げていたメニューを持ち上げてみせた。
「これ、共通語で書かれているから読めなくもないんですが……どれがいいのかさっぱり、です」
「じゃあ僕が選んであげるよ。好き嫌いとかある?」
「特に無いです」
「じゃあこのスープとシカ肉のセットなんかいいよ。ちょっとスパイシーだけど身体があたたまるしね」
……遅ればせながら私は、そこで初めて目の前の麗人が男性だということに気がついたのだった。
銀色の毛先だけがふわん、と柔らかく巻かれていて、とってもきれい。
ぼんやりその顔をながめていたら、ふとその表情が「そうだ」と何か思いついたように変わり、綺麗な刺繍が施された上着のポケットからなにやらゴソゴソと取り出した。
「これはお近づきのしるし」
その麗人は、私の手のひらに小さな包みを押しつけた。
「じゃ、またね」
そして現れたのと同じくらい、その人は唐突に列から離れると足早に去っていってしまった。
あれ、ランチの順番待ってたんじゃなかったの? それともただ道を歩いてて、困ってそうな私に親切に声を掛けてくれたんだろうか?
ふと手のひらを見ると、薄紙に包まれたチョコレートがひとつ。
はしっこをかじってみたら、口中に香ばしいキャラメルの香りが広がった。なにコレ、おいしいじゃないの。
「お待たせしました……それは?」
顔を上げてると、そこには湯気の立つ飲み物を手にしたディルクの姿があった。
その視線は、私の手元に注がれている。
「あ、ディルク。いや実はね……」
簡単に事情を説明して、最後に手の中のチョコレートの包みを見せた。
そしたらディルクに怒られた。
「知らない人から物をもらってはいけません。しかも食べてしまったとは……!」
残りのチョコレートは没収、さらにお説教というオマケまでついてきた。
くどくど叱られるのを殊勝げに聞いてるふりをしつつ、私の頭の中はスパイシーなシカの肉とスープでいっぱいだった。
――ああ、お腹ペコペコ……早く順番呼ばれないかなぁ。
ようやく王宮に到着したのは、日も暮れようとした頃だった。
実際はもっと早くに外門をくぐったのだけど、いろいろ入城の手続きをしたり、また門から王宮の建物の入り口まで離れていたこともあって、かなり時間を食ってしまったのだ。
「厳重な警備だなぁ」
「王宮ですからね。姫様はご存じないかもしれませんが、我が国も外国からの客人を招く際は入念なチェックを怠りませんよ。それに一目でそれと分かる警備隊の他に、私服で警備している者が城内には多数おります」
なんと、そうやってお城の平和と秩序が保たれていたとは!
よく考えると、騎士制度だって王族を守るために必須ってなってるしね。私たち王族って、結構厳重に守られているものなんだなぁ。
――ディルクにも苦労をかけてるんだなぁ。
私は思わず隣を歩くディルクの腕を、日頃のねぎらいの意味をこめてポンポンと軽く叩いた。叩かれた本人は怪訝な顔をしてたけど。
そんな事をしているうちに、やがて謁見の間に通された。
王宮の外観からしてそうだったけど、室内もガラス張りで出来てるみたいに透明な家具や装飾品であふれていた。聞くところによると、これはガラスではなくてアリュス特産の珍しい透明な大理石なんだって。
光が差し込むと、部屋中がキラキラとプリズムを作ってきれい。
リーザちゃんが話してたみたいに、確かにおとぎばなしに出てくるようなお城だよ。
「ようこそいらっしゃいました、ハンナ姫」
奥の間から現れたのは、光沢のあるドレスを身にまとったアリュスの女王様だった。
このアリュス国は女王制で、男の国王様は存在しないのだ。
女王様は長い銀色の髪を高く結いあげて、てっぺんに星粒みたいに輝く石でできたティアラをつけていた。長いまつ毛も銀色で、それがミステリアスな灰色の目と相まって不思議な雰囲気をかもしだしている。
――なんか氷の王宮にぴったりの、神秘的な感じの人だなぁ。
そんな女王様の後ろから顔をのぞかせたのは、小さな女の子だった。
「こちらは娘のコルティですわ。コルティ、ごあいさつを」
「はじめまして、ハンナ姫様」
目元がお母さんとそっくり……この子も神秘的な感じに育ちそう。銀色の髪は二つに分けて耳の横でまとめ、小さな髪飾りをつけている。
「さあて、女の子たちには隣の広間にお茶とお菓子を用意してありますよ。コルティ、ハンナ姫を連れてらっしゃいな……手はきちんと洗うのですよ」
「はあい、お母様」
さあ行きましょう、とコルティ姫に促され、私は隣のディルクを見上げる。
ディルクは女王様とまだお話があるらしく「後で私も参りますから」と言ったので、私はひとまずコルティ姫と一緒に隣の部屋でお茶をいただくことにした。
廊下に出ると、並んで歩いていたコルティ姫がちらり、と私を見やった。
まだこの状況に慣れてない私は、ちょっと緊張しつつも笑いかけてみるが……あれ、なんだかそっぽ向かれちゃった。
――向こうも緊張してるのかな?
お互い無言で廊下を歩き、やがてコルティ姫の後に続いて隣の部屋に入ると、中から焼きたてのお菓子の甘い香りがした。
「どうぞ、ここに座って」
「うん……」
二つしかない席の片方を指さされ、私はぎくしゃくとテーブルに着く。
なんだか妙に緊張する……何か話した方がいいのかな。
「あのう」
「何?」
じいっ、と例の神秘的な瞳で見られ、ついもごもごと口ごもってしまう。
すると……。
「……つまーんない子」
「は?」
え、え? 今『つまーんない子』とか言われた?
ぼう然とする私の隣で、コルティ姫はさっさと自分の分のお茶をポットから注いでる。
「あの、コルティ姫様?」
コルティ姫はしらんぷりしたまま、お菓子に手をのばした。
そしてひとりもぐもぐと食べ始めてる。
――えー……困ったな。
こんな時どうしたらいいか分からないよ。
今までリーザちゃん以外のお姫様たちと顔合わせる機会ってあんまりなかったしなぁ。
仕方ないのでおずおずとポットを拝借して、とりあえず自分のカップにお茶を注ぐ。
沈黙の中あまり食欲もないけど、同じく真似をしてお菓子に手を伸ばそうとした時……控え目なノックの音が聞こえた。コルティ姫の「はい」という声に扉が開かれ、ディルクが部屋に入ってきた。
――た、助かった……。
「おくつろぎの所おじゃまして申し訳ありません」
「いいえ、ちっとも。今からハンナ姫様に旅のご様子をうかがうところでしたの。ね、ハンナ姫様?」
先ほどとは打って変わって、にっこり愛嬌のある笑顔を向けるコルティ姫に、私は目を丸くしてしまう。
「わたくし、姫様とお会いするのがとても楽しみでしたの」
「はあ……」
「仲良くしてくださるかしら?」
長いまつ毛をぱちぱちさせて、コルティ姫が無邪気に問いかける。
私は混乱する頭で、それでも何とか「はあ、もちろんです」と返事をしたのだった。
女王様との謁見も終わり、客室へ案内されようやくホッとした。
座り心地の良いソファーに腰を落ち着けた途端、ふいにディルクが切り出した。
「先ほどはコルティ姫とどうされました?」
「は?」
「姫様のご様子が、いつもとは少々違って見受けられましたので」
あの微妙な空気を読みとったのか……さすがするどい。でも様子が変だったのは私じゃなくって、むしろあの姫の方なんだけど。
ディルクは腕を組んだまま、私の説明を辛抱強く待っている。
うーん……でもさ、あんな細かいこといちいち話すのもなぁ。コルティ姫はまだ十二歳だし、たまたま虫の居所が悪かったって可能性もあるし……。
「姫様?」
「……うん。まあ、とにかくここに座りなよ」
私が示したソファーの隣にディルクはためらいがちに腰をおろすと、小さくため息をついた。
「王族の中には気ままな方も多いですからね……姫様も無理して仲良くされなくても構いませんよ」
「え、そーゆーもんなの?」
「向こうに打ち解ける気がなければ、努力しても結局は徒労に終わるだけでしょう」
めずらしく寛大な意見……私がまじまじとディルクの顔を見ると、弓なりな眉が微かに持ち上がった。
「なんですか、人の顔をジロジロと」
「いやあ、めずらしい事もあるもんだなぁって」
――やさしいぞ、ディルク……ちょっとジンときた。
「なんのことですか?」
「いやいや……それはそうと、今夜は何に着替えればいいの? たしか晩餐会みたいなのがあるんだよね?」
「みたいな、ではなく晩餐会です。姫様の歓迎会でもありますので、規模もそれなりでしょう。ダンスもありますから、あまり引きずらない程度のドレスを着用して下さい」
「ふあーい」
やれやれ、ダンスかい。
「踊りはきらいじゃないけど、社交ダンスはイマイチ苦手なんだよなぁ」
そう私がぼやくと、ディルクの身体の動きが一瞬固まった(ような気がした)。
「姫様……ダンスは大丈夫ですよね?」
「え? どのダンス?」
な、なんだ? ディルクの顔からどんどん表情がなくなっていくよーな……?
「最後にダンスの練習をされたのはいつですか」
「えーと、お城にあがったときに少しやっただけだから……三年前くらい?」
はーっ、と大きくため息をつき、がっくりと頭を垂れたディルクに私は内心冷や汗をかいた。
もしかして踊れないのって、すっごくマズイことなのではっ!?
「あ、あのぅ、ごめんディルク……」
「……いえ、姫様の責任ではありません。確認を怠った私のミスです」
「どうしよう、今夜の晩餐会、どうしても踊らなきゃだめ?」
「ご心配なく。私から『姫様は足首を痛められてて踊れない』とでも申し上げておきます」
「そ、そっか」
とりあえずセーフ?かな。
胸をなでおろす私のかたわらで、ディルクの不吉な声が。
「……帰国したらまず、ダンスの特訓ですね」